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西山洋市監督の新作中編と制作過程を追う映像作品の制作をクラウドファンディングで実現!
映画監督:西山洋市が、俳優たちとの実践を通してその可能性を模索してきたジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」。そこから見いだされた映画と演出のもう一つのあり方。その具体像を知っていただくため立ち上げたプロジェクトです。
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2025年夏、西山洋市監督の新作中編と、その創作過程の記録映像を制作するために立ち上がったプロジェクト。“All-or-Nothing方式”のプロジェクトとなり、目標金額に達した場合2025年6月〜7月に撮影予定です。皆さんのご支援を、どうかよろしくお願いいたします。
映画監督:西山洋市が、俳優たちとの実践を通してその可能性を模索してきたジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」。そこから見いだされた映画と演出のもう一つのあり方。その具体像を知っていただくため立ち上げたプロジェクトです。
視覚的側面が絶対的に優位なものとみなされる映画で、 聴覚的な要素、すなわちセリフ音声の「響き」から独自な映画表現の模索を始めるジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」は、その「響き」の追求によって映画の視覚的側面にも多大な影響をもたらす本質的なものでした。
本プロジェクトは、実際に演技・演出を実践する方、「イタリア式本読み」に興味のある方、また広く映画に興味を持つ方など、多くの方々に西山監督独自の進化を遂げた「イタリア式本読み」の到達点とその演出の可能性を知っていただくため、西山監督の新作中編とその創作過程の記録映像を制作するプロジェクトです。
なお、本プロジェクトは“All-or-Nothing方式”とするため、目標金額に未達の場合はプロジェクトそのものが中止となります。
1.応援コメント
2.プロジェクト概要
3.『機械』+『新ハムレット』=「映画劇」
4.本プロジェクトについて、西山洋市監督からのメッセージ
5.西山洋市プロフィール
6.本プロジェクトの与えるインパクト
7.イタリア式本読みによる「日本映画」の再解釈ー映画の現在地を捉え直す
8.本作品の制作方法
9.想定されるリスクとチャレンジ
10.リターンについて
11.資金の用途
12.プロジェクトメンバー
13.企画者・浅田麻衣より一言
横浜聡子監督(『俳優 亀岡拓次』『いとみち』)
三宅唱監督(『夜明けのすべて』『ケイコ 目を澄ませて』)
映画美学校修了生に向けた講義「Acting in Cinema」修了生が発信する自主企画
「映画の演技を学ぶワークショップ」(通称「Acting in Cinema」)は、文化庁助成事業:次代の文化を創造する新進芸術家育成事業「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〜演技を通じた新しいクリエーター創出を目的とする」の一事業として、映画美学校修了生を対象に開催されています。本プロジェクトは「Acting in Cinema」の修了生の一人が立ち上げたプロジェクトです。
西山洋市は早稲田大学在学中にシネマ研究会に所属、その後、高橋洋、井川耕一郎らと自主映画制作を行い、1991年、テレビドラマ『おろし金に白い指』を演出。1998年より映画美学校で教鞭を取り始めます。2000年代に一方で商業的な作品、他方で自主制作的な作品を並行して制作する中で 新たな方法論の必要性を感じ、同時期に開始された複数のワークショップでジャン・ルノワール監督の「イタリア式本読み」の方法論を導入。俳優たちとの実践を通して、応用と考え方の模索を続けてきました。
シナリオから芝居を立ち上げるとき、描くべき(必要とされている)本来の姿はイメージに邪魔されて最初はよく見えません。 それを見えるようにするためには、自分がなんとなくやりたいと思っていたこと(先行するイメージ)があったとしてもそれはまず脇に置く。役者にも自分の解釈(これも先行するイメージです)を脇に置いてもらって、一緒にシナリオが本来必要としている芝居を模索する。そのための方法の一つが「イタリア式本読み」です。
演技演出はヴィジョンの問題で、うまいヘタとはあまり関係がない。理論と方法に触れることで映画演技に対するヴィジョンをできる限り拡張してもらいたい。それがこのワークショップの最大の目的です。
そのために、参加者個々人の特長に合った映画的演技演出を(あなたの映画俳優としての可能性を探り当てるように)一緒に考えたいと思っています。
『大いなる幻影』『ピクニック』『フレンチ・カンカン』など多くの名作を生み出したジャン・ルノワール。トリュフォーやリヴェット、ロメール、ゴダールらヌーヴェル・ヴァーグの若き映画作家たちに影響を与え、その後、その評価は全世界的なものとなり、ルノワールの作品は多くの映画人に多大なる影響を与えてきました。
『ジャン・ルノワールの演技指導』には、ルノワールと俳優が実際に本読み、リハーサルをしてシーンを立ち上げている様子が記録され、 その本読みは「イタリア式本読み」と呼ばれています。
「Acting in Cinema」は『ジャン・ルノワールの演技指導』に記録された「イタリア式本読み」の基本的な考え方、方法を解説したのちに実践として最後に短編(3分ほど)の撮影をする講義です。西山洋市はただルノワールのやり方を真似るのではなく、 俳優たちとの実践を通して、イタリア式本読みを独自に分析、アレンジしたものを受講生に伝えてきました。
今回、西山洋市監督が撮影する作品とともに、その制作過程を映画美学校フィクション・コース修了生の監督が撮影する作品、最終的に2本の作品が誕生します。制作過程を追ったものは『ジャン・ルノワールの演技指導』ならぬ『西山洋市の演技指導』です。
なお、本作はいわゆる劇場公開を考えておりません。基本的には、このクラウドファンディングで支援していただいた方々に見ていただくことを考えています。
ご支援いただいた資金をもとに映画劇『機械+新ハムレット』(仮)を撮影します。
本作は、横光利一の短編小説『機械』、そして太宰治の戯曲風小説『新ハムレット』を下敷きに西山洋市がシナリオ化する作品です。以下、作品構想を記します。
『機械』の舞台は、ある下町の町工場。そこでは金属製の「ネームプレート」が製作されているが、工場の主人がある時「新方式の製造法」を開発する。それをめぐって工場内部で不可解なスパイ騒動が起こり、工員間の確執から内部のパワーバランスが変転し始める物語である。
しかし、われわれが本作の作業場で製作するのは太宰治の『新ハムレット』であり、「ネームプレート」によるスパイ騒動を、女座長が開発したという「新方式の演出術」をめぐる劇団員の確執に変換する。それは水面下では女座長への愛と嫉妬のドラマとして展開され、もう一方で『新ハムレット』に対して彼らがどうアプローチするのかという作品の制作過程の葛藤として描かれることにもなるだろう。
『新ハムレット』は戯曲のようなもの(太宰自身戯曲とは認定していない)だが、女座長の目論見では、それは「舞台劇でもなく、劇映画でもない、第3の形態」の創作物(「映画劇」)になるはずであり、それを実現するための彼女の持論と彼女が開発したという「新方式」が、リハーサルの進行とともに示されてゆくことになりそうだ。
『機械』の原作は主人公の語りのみで進行するため、人物たちが具体的にどのような言葉使いで、どのような調子で話しているのかは定かではありませんが、話の設定から下町的な「世話(=ケ)っぽいセリフが想像されます。
一方『新ハムレット』のセリフは、『機械』で想定されるものとはだいぶ違い、(『機械』から見れば)「時代」がかっている(=ハレ)ということになります。だからと言って、それは中世デンマークの王族や家臣たちによる「時代劇」的なものとも言いきれません。小説やお芝居で知っている、昔の日本の華族など「上流階級のしゃべり方」のようにも思えます。
いずれにしろ、今回の映画の設定からは、日常的なケのセリフと非日常的なハレのセリフが、芝居作りを通して併存する世界が想定できます。しかし、そのような響きのバリエーションの並列はありふれていると言えば言えます(時代劇の多くはそうなっています)。
焦点となるのは、「イタリア式本読み」を通したとき、それらのセリフが響きとしてどのようなものになるのか、そこに映画表現としてなにが生成されるのか、です。
イメージ通りのものを作るのではなく、イメージを排した時なにが出てくるかに賭けるのが「イタリア式本読み」ですから、いまはまだ構成上のセリフのバリエーションのことしか言えませんが、この映画で描かれるであろう劇中劇のリハーサルや演出のシーンも、今回のプロジェクトで掲げている「演出論の追求」の具体像のひとつになると考えています。
※横光利一『機械』と太宰治『新ハムレット』は青空文庫に所収されています。ぜひ読んでみてください。
そして、映画劇の制作過程を初日から追った作品(仮に『西山洋市の演技論』と呼称)も同時に制作します。この作品は、ただ監督が演出し、俳優が演技する光景を切り取ったものではありません。
「西山洋市のイタリア式本読み」を追うという企画根幹の元、俳優たちとのやり取りはもちろん、撮影部と西山洋市の会話、そもそもの企画段階の会話なども含めて、複合的に『機械+新ハムレット』(仮)を追えればと考えています。俯瞰的に現場を押さえながらも、一つの作品としても観れるものを制作していきます。
演技のワークショップというと演劇のものと思われがちと思いますが、ここ数年続けてきた「Acting in Cinema」ではその名の通り映画で演じること、その演技演出の再発見を目指しています。再発見というのは、劇映画が初めて音声を持った時の「初心」に帰って、改めて劇映画のセリフ演技とは何なのか、セリフ音声は「響き」としてどのような可能性を秘めているのかをいま一度考え直す、あるいは一から考え直してみるということです。それを僕なりに「再トーキー化」と言ってみたりもしました。
そのような試みに「イタリア式本読み」を取り入れる最大の理由は、劇映画のセリフの響きが映画表現にもたらす効果が他のやり方以上に可視化される方法であり、その方法論の追求によって劇映画の未知の多様性を(僕が知らないだけかもしれませんが)見出せるのではないかという可能性もそこに感じたからです。
そしてその効果が最大に発揮されるのはまず第一に役者の魅力としてであってほしいと思っています。
役者の、そのセリフ回しと響きの、現在あまり出会うことのないような魅力がかつての日本映画には存在していましたが、それはどのように生成されたのか、そして再生は可能なのか。
それを具体的に模索するためにワークショップではちょっと昔の映画のシナリオや戯曲を素材にして、「イタリア式本読み」によって言わば理論的に、その響きの再生…単なる模倣的な再現ではなく、現在の役者による現在的な再生…の可能性を探ってきました。
昔の素材を使うのは現在流通している言葉とは違う響きによる新しい表現の可能性の模索のためです。過去を踏まえることで、その先にあるかもしれない新しい演技演出の可能性を探ることもわれわれのワークショップの目的の一つでした。今回のプロジェクトはその試みの現在地ということになるのでしょう。
『おろし金に白い指』(91)『ホームビデオの秘かな愉しみ』(93)など実験的深夜ドラマの演出から出発。『ぬるぬる燗燗』『ぬるぬる燗燗の逆襲』(92)は96年に劇場用映画『ぬるぬる燗燗』としてリメイク。その他の監督作品に『痴漢白書劇場版II』(97)『完全なる飼育愛の40日』(01)『稲妻ルーシー』(04)『運命人間』(04)『グロヅカ』(05)など。共同脚本作品に黒沢清監督『蜘蛛の瞳』(98)塩田明彦監督 『月光の囁き』(99)。
一方、『桶屋』(00)『INAZUMA稲妻』(05)『死なば諸共』(06)『kasanegafuti』(12)からリモート映画の『FUE』(20)に至る「マゲをつけない時代劇」の試みで劇映画の新しい形を模索。近作に『瑠璃道花虹彩絵』(16)、『ネオ†ハムレット』(19)、『愛と嫉妬のパンデミック』(21/映画美学校フィクション・コース第23期高等科生とのコラボレーション)。
演出に悩む監督、演技に悩む俳優へー響きは映画の聴覚的側面だけでなく、画面を変える
「イタリア式本読み」は『ジャン・ルノワールの演技指導』中の翻訳も関係していると思いますが、 「ただ、俳優に棒読みで読んでもらう演出論」というイメージが先行してしまっています。棒読みとは本来、歌舞伎の子役の発声法のことで、そこには独特な抑揚とリズムがあり、「イタリア式本読み」が目指す発声とはまるで違うものです。また、棒読み=下手な読み方、という図式も現在広がってしまっているため、誤解を防ぐために西山洋市は「フラット」と呼称しています。
シナリオに対する先入観はセリフの抑揚として端的にあらわれ、他の抑揚の可能性を排除してしまいます。フラットに読むことは、俳優に自らに潜む「先入観」を気づかせ、監督もその「声」を直に聞くことで、自身の演出に潜んでいた先入観に気づきます。そこに生じる「矛盾」によって、より大きな視点からの作品理解が導かれ、演技と演出の新たな可能性が生まれることをルノワールは示唆しています。
ルノワールも言うように、セリフ演技は人物の動きや外形とも連動します。独自の響きによって掴まれた役には独自の動きや外形がもたらされます。響きは映画の聴覚的側面だけでなく画面を変えると言ってもいいのです。慣習的に映画では視覚的な表現が重視されがちですが、実は音響としてのセリフ演技は、控えめに言っても映画的な表現の半分を担っているばかりでなく、その響きの良し悪しで視覚的な効果自体が大きな影響を被ることになるほどの重要性を持つものなのです。
しかし、『ジャン・ルノワールの演技指導』を観るだけでは「イタリア式本読み」の演出は実践できません。演出家が俳優に働きかける瞬間が『ジャン・ルノワールの演技指導』には記録されているのですが、 この「働きかけ」をどうしたらいいかわからない、という声は、特に若手監督から多く聞きます。
俳優の声や立ち姿を見て、監督自身も脚本を再解釈し、脚本が持つ表面的イメージに引きずられることなくベストな演出を追求するルノワールの姿勢は、そもそものイタリア式本読みの構造を知っていないと自身で活用するのは困難です。本プロジェクトでは、西山洋市の監督作品だけではなく、その制作過程も追うことで、より多角的に「イタリア式本読み」を知るきっかけになることを狙います。
『ジャン・ルノワールの演技指導』の中でルノワールは「フラットな本読みを繰り返すうちある瞬間に電気に打たれたように役に目覚める」と語りますが、西山洋市は そのような一見神秘的にも見える瞬間に頼ることなく役を(その独自なセリフの響きを)できる限り客観的に判断し掴まえられるようになるための「科学的な指針」の必要性をそこから読み取りました。そこで、応用的な考え方と方法を考案するとともに、さらにその解釈を進化させ、自らが寄って立つ日本映画のトーキー化以後のセリフ演技の展開を新たな視点で再解釈するに至っています。
それは端的には、トーキー化の渦中にいて映画のセリフ音声のあり方を模索した 溝口健二の「舞台劇とも日常そのままとも違う第三の形態を模索しなければならない」という言葉の具体化としての映画的なケのセリフ演技の追求から、その20数年後、1950年代半ばにやはり溝口が自作に求めた「オペラ」の概念(歌劇のオペラそのものを意味しない、セリフのある種の音楽性)に至る、日常性と非日常性(しゃべりと音楽性)を貫くようなセリフ演技のあり方を念頭に置いた、「イタリア式本読み」の中核にあるフラットから抑揚を模索する方法の読み替えの可能性です。
同様の経過をたどったものとして小津映画の(小津調ともいわれる)独特なセリフ音声の生成を上げることもできます。『ルノワールの演技指導』に記録されているように、 「イタリア式本読み」のセリフ演技の生成変化もケ(フラット)からハレ(抑揚)にいたる経過として捉えられています。その最終形は主人公のアリアとも言えるような(抑えの利いた)音楽的抑揚を持つセリフ演技でした。
本プロジェクトは、使用する題材も含めて、「イタリア式本読み」によって、そのような大きな視点から日本映画の歴史と現在地を捉え直すことまで含めた試みでもあると言えます。
ルノワールは、本読みに際してまず
「先入観としてのイメージや慣習的な考え方を疑う」ところから始めます。そのようなルノワールの「イタリア式本読み」の思想を深めてゆくと、それはリハーサルのやり方や演技演出に対する考え方のみならず、映画の制作方法自体の変更による新しい作品創造の可能性にまで行き当たることになります。
したがって本プロジェクトは、通常の制作方法とは異なるスタイルによる作品制作を試みます。
通常、映画の現場では監督が中心にいて俳優、スタッフはその指示に基づいて動きを決定するというイメージですが、このプロジェクトでは、セリフのトーンは俳優と演出者の共同の模索によって生成されます。それに伴う動きは、生成されたセリフのトーンに従って、まず役者自身が模索しベースを形成。その後、演出家との議論、さらにカメラマンなどスタッフとのきわめて具体的なアイデアの提案と検討を経て、最終形としてカメラとマイクに「定着」します。 いわば、音楽で言う「バンドのセッション」のようなスタイルで現場が進行するこのスタイルは、「Acting in Cinema」で模索されてきた撮影方法の発展系でもあります。
創造の現場に新たなやり方を導入することによる“新しい映画作品生成のもくろみ”。そしてその模索の成果の提示が今回のプロジェクトの大きな狙いの一つです
また、映画の制作において「日々スケジュール」(=日々スケ)は必須です。今回、撮影日程は「6日間」という枠組みはありますが、そこに日々スケは存在しません。バンドのセッションのように相互で影響しあい、スケジュールの順番に撮るのでは起こり得ない「突然変異」を狙う。
このような規模の撮影でしかできないことかもしれませんが、こういった撮影方法もあるのだと今後の映画制作を考える上での一助になりえればと考えています。
セリフの「響き」を中心にして映画を構想するという映画作りは、オーソドックスな手法から見ればなにか転倒した、不自然で、さらにはハイリスクなものに見えるかもしれませんが、「イタリア式」本来の思想からすれば、それは転倒ではなく順当なのです。
「イタリア式本読み」を知らなかった方でも、このプロジェクト紹介のあちこちで断片的に紹介されている「イタリア式」の思想と方法から、その順当さを察知していただけるものと思います。
興味を持ってくれたみなさんにはぜひ企画へのご協力をお願いし、この試みの成り行きを最後まで見ていただきたいと思います。
本プロジェクトは“All-or-Nothing方式”とするため、 目標金額に未達の場合はプロジェクトそのものが中止となります。不成立となりますと支援者の方々にご返金となり、リターンの履行も行われないリスクの少ないプロジェクトです。どうか、皆さん1人ひとりのご支援をお願いいたします。
本プロジェクトは、以下のスケジュールで進行いたします。スケジュールは若干前後する可能性がございますので、その場合、支援していただいた皆さまにはメールでご連絡いたします。
スケジュール
撮影:2025年6月〜7月
編集・整音・カラーコレクション作業:2025年8月〜2026年1月(準備期間含む)
完成:2026年2月
試写会・リターンの履行開始:2026年3月〜5月
本プロジェクトは「作品を観てもらう」ことを前提としております。よって、最小単位の3000円のリターンから、作品を閲覧いただくことができます。
1.コレクター限定のUpdateを共有
コレクター限定で、制作秘話などをお届けします。
2.西山洋市監督『機械+新ハムレット』(仮)+『西山洋市の演技論』(仮)1週間配信(※試写会後)
1週間限定となりますが、2作品を配信で見ることができます。
3.西山洋市監督『機械+新ハムレット』(仮)+『西山洋市の演技論』(仮)完成品映像データダウンロード(※試写会後)
完成した2作品をダウンロードできます。
4.撮影オフショットデータ
撮影時のオフショットをデータでお送りします。
5.鑑賞の補助となるサブテクスト(PDFデータ・冊子)
企画の発端となった「Acting in Cinema」の講義レジュメなどを編纂。作品の補助となるサブテクストです。
※30,000円以上のリターンにはPDFデータと冊子に編集した2パターンをお届けいたします。
6.『ジャン・ルノワールの演技指導』/ 西山洋市解説の書き起こし(PDFデータ・冊子)
Acting in Cinemaの講義内で、西山洋市が実際に解説した『ジャン・ルノワールの演技指導』をテキストに起こしてお渡しします。
※30,000円以上のリターンにはPDFデータと冊子に編集した2パターンをお届けいたします。
7.関係者試写会ご招待(終了後監督トークあり)
東京における関係者試写会+トークにご招待致します。会場までの交通費はご負担をお願いします。(平日夜予定 ※変更の可能性あり)
8.西山洋市監督『機械+新ハムレット』(仮)+『西山洋市の演技論』(仮)DVD
完成した2作品をDVDでお届けいたします。
9.クレジットに”Special Thanks”でお名前を掲載
完成した2作品及び作品パンフレットのクレジットにお名前を記載します。
10.「劇映画の音響としてのセリフ表現~劇映画のセリフの〈響き〉にはどのような意味があり、どこから来て、どこへ向かっているのか」全14回分講義ノート
実際に西山洋市が立教大学の講義で使用したものを編纂予定です。PDFデータと冊子に編集した2パターンをお届けいたします。
※一部、「5」のリターン、「Acting in Cinema」の講義レジュメと重複する部分がございます。
11.作品パンフレット(冊子)
監督インタビュー、制作日誌、試写会の様子などを掲載予定です。
皆様からのご支援は、『機械+新ハムレット』(仮)および『西山洋市の演技論』(仮)の2作品の制作・完成に向けた下記費用に活用させていただきます。
1.人件費
2.現場費
3.機材費
4.ロケーションレンタル費
5.美術費
など
浅田麻衣(映画美学校アクターズ・コース第6期修了生)
金岡秀樹(映画美学校アクターズ・コース第6期修了生)
小林徳行(映画美学校フィクション・コース第20期修了生)
釜口恵太(映画美学校アクターズ・コース第7期修了生)
2024年10月、南房総から帰る電車の中で、ふと思い立ったその翌日に企画書を書き始めたのがこのプロジェクトの始まりでした。同世代と演劇を企画したことはありますが、映画制作は初めてで、拙い進行になっていると思いますが多くの方にご助力いただいています。
初めて西山さんの現場に入った時、具体的かつ俳優個人の個性に合わせた的確なアプローチで本当に驚いたことを覚えています。「このセリフをモノローグにしてみよう、貴方が思うモノローグはどんなイメージ?」(=ここで私は「一人でスポットライトを浴びせられているイメージ、と答えました)「ここのセリフはもっとキュッと縮めて」など、いわゆる「感情的にやってみよう」「〇〇っぽくやろう」という抽象的なイメージだけでない演出方法を、多くの監督や俳優にぜひ知っていただきたいと考えています。それもあって、今回は西山さんの監督作品だけではなく制作過程も撮る、ということが根幹方針となりました。
今回、クラウドファンディングのテキストを作成するにあたり西山さんとメールを交わしていたのですが、まだまだ自分には知識がなく学びたいことが沢山あるなと痛感しています。
改めて「イタリア式本読み」は、演技(及び演技の複雑さ)に果てしない可能性があるのだと希望的に感じさせられる演技論だと感じています。(演技・演出が膠着したその時は、絶望ではなく新たな演技を開拓できるキーであるのだと)
どうか、皆さまのお力添えをお願いいたします。
〈プロフィール〉
高校より演劇を始める。
大学は演劇サークル、狂言サークルに所属、また、大阪市の映画助成団体CO2に第1回目より参加。大学時代はマスコミ、特に冤罪報道について学ぶ。
以後、京都・大阪の小劇場にて主に活動。俳優のかたわら、劇場に勤め制作も兼任。2016年より関東へ。映画美学校アクターズ・コース6期修了。
映画出演:小林達夫監督(渡辺あや脚本)『カントリーガール』、余園園監督『ダブル・ライフ』、高橋洋監督『ザ・ミソジニー』など
3000 円
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