働くの原点=生の営み
vol. 18 2015-11-14 0
「いま東京で ”働くとは何か” を考える本」取材15/100
きっとこの取材では一番の先人であろう1944年生まれのDJ KUMEさんにインタビューをしました。
DJ KUMEさんは、知る人ぞ知るDJ。その前は商社マンで主に中南米を行き来していた経験もある。今は、退職して年金とDJ業で生きている。インタビューを始めると唐突に話始めた。私たちは本当に本当にあっという間に引き込まれていった。振り返るとなんとも不思議なインタビューだった。以下、KUMEさんからのメッセージ。
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無人島に1人で漂着したとする。。。もう生きていくために出来る限りのことを知恵を絞って自分で全てやるでしょう。。。それは現代人から見ると一生懸命。だけど本人からしてみれば、ただ生きるためにしているだけ。これが『働くの原点=生の営み』。 次に無人島に10人で漂着したとする。。。10人いるから生きるためにすることを、分業できる。誰かのためにもやるから、精神的な喜びが加わる。そして、10人が生きられる自分の役割を果たしたら、余暇が生じる。
さて、現代の日本、特に都市部ではどうだろうか? 「働き」は収入の多寡(金と云う人為的ものさし)や社会的地位によって評価され、「働く」ことの本来の姿が歪められている。「働き」の質についても、分業が細分化し過ぎて、自分の「働き」が 何処で誰のために、どう役立っているのか見えにくい作業が多くなっている。また過大な製造設備は必要以上の物量を自動的に吐き出し、これを捌かねばならない人々にストレスをもたらす。加えて、組織は現状維持を許さないばかりか、右肩上がりの成長のみを強要する。これらは、「働く」ことの本来の姿からは程遠い。「働くこと」が、自分や社会全体の幸せな未来に繋がると実感できれば、それは大きなモチヴェーションとなり、苦ではなく、喜びにもなる。
ところが、会社の業績のためとか、国全体の経済成長のためとか、どう自分の幸せに繋がるか判然としない目標しか与えられなければ、「働く」モチヴェーションは低減する。また、安易で短絡的な業績向上や経済成長は、反社会的・反未来的な所業によっても、その達成が容易となる。それに加担させられるのは、苦痛でしかないだろう。
あらゆる組織や社会そして経済も、人々を不幸にしてはならず、人々の幸せに奉仕するためであらねばならない。そうでなければ、その存在理由が無い。その点、自分の「働き」が、自分や人々の幸せや将来のために、本当に役立つか? このチェック機能が、個々人に必要だし、会社等あらゆる組織にも必要。さらには世の中全体がそれを行う必要があるのではないか。
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DJ KUMEさんの幼年期・少年期の日本は戦後まさに、無人島に10人で漂着したと云う前述の比喩に類型化されるような環境だったという。豊かさを求めることに何の疑問も抱かなかった。とにかく人らしく生きる為に働いた。その頃は、何のために働くのか、自分は社会の役に立っているのかなどと懐疑する必要もなかった。自分の天職は何かと考えることも非現実的だった。今にして思えば、それは幸せな時代だったとも言える。
商社マンを25年勤めて退職した。会社員時代でも独自の価値観を貫いていけたのは、夜遊びを通じて出会った様々な価値観を持つ人のおかげだという。
大学を卒業して、商社マンになるまで、そこからDJ KUMEになるまで、そして今。この話は本にとっておきたいと思う。