ミニコラム③ 薩摩焼とは
vol. 5 2023-03-01 0
こんにちは。
スモモクラウドファンディング担当です。
本作品に関連する、薩摩焼や、日本の陶芸文化、歴史についての基礎知識を配信していくミニコラムの第3回です。
今回は、薩摩焼についてみていきたいと思います。
<薩摩焼の起源>
薩摩焼は、薩摩藩17代藩主であった島津義弘公が、1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)まで二度にわたって行われた文禄・慶長の役に出兵の際、朝鮮から80人以上もの陶工を連れ帰ってことに始まります。
それ以降、薩摩の各地で築かれた窯ではさまざまな焼き物が焼かれるようになります。
<薩摩焼の特徴>
まず、薩摩焼は、大きく白薩摩(白もん)と黒薩摩(黒もん)に分けられると言われています。
---------------
白薩摩・・・主に御用品として用いられた透明釉のかかった白色陶器
黒薩摩・・・民需品となった白色以外の有色土を用いた陶器
---------------
さらに、近世までに形成された薩摩焼の産地には、以下の六系統があり、
白薩摩、黒薩摩のみならず、焼締陶器や磁器も製造されています。
---------------
◆竪野(たての)系・・・・・・・・・・・主に御用品の白薩摩を製造。
1601年(慶長6年)、陶工である金海(星山仲次)が現在の姶良郡姶良町である帖佐(ちょうさ)に開窯。
開窯初期に作られていた竪野系は古薩摩と呼ばれており、白薩摩の起源になったとも言われている。
◆苗代川(なえしろがわ)系・・・・民需品の黒薩摩を主としながら御用窯で白薩摩も製造。
朴平意(ぼくへいい)を中心とした朝鮮の陶工が、1599年(慶長4年)に串木野島平(現在のいちき串木野市)に上陸し、その後、苗代川(現在の日置市東市来町美山)に移住し築窯。
◆龍門司(りゅうもんじ)系・・・・・小型陶器の黒薩摩が主体。
1608年(慶長13年)、朝鮮陶工・卞芳仲(べんほうちゅう)らにより開窯したと伝えられるが詳細は不明。
◆元立院(げんりゅういん)焼・・・肥前の元陶工を招いて黒薩摩を製造。
1663年(寛文3年)、元肥前陶工を招き小野元立が築窯。西餅田(にしもちだ)系とも呼ばれる。
◆平佐(ひらさ)焼・・・・・・・・・・・天草陶石を用いて磁器を製造。
1776年(安永5年)、天草陶石を購入した川内平佐の北郷家が主宰し、開窯。
◆能野焼(種子島系)・・・・・・・・焼締陶器。
種子島家の庇護のもと、十八世紀前半に開窯。焼締陶器の花生や徳利、甕などの日用品を中心に、多彩な貼付文様が魅力的ながらも、明治後期に閉窯。
---------------
この多様性こそが薩摩焼の特徴と言えます。
※現在まで続いているのは、苗代川系・竪野系・龍門司系の三系統のみ。
「薩摩焼」と一口に言っても、同じ県内にありながら多くの系統を持ち、様々な特徴、種類がありますね。しかし、起源はみな同じもの。
このように薩摩焼のルーツを探っていくと、さまざまなことやものが見えてきます!
(それでは、次回もお楽しみに!)
<過去回はこちらからおさらい!>
ミニコラム① ”やきもの大国”誕生前夜
https://motion-gallery.net/projects/yakimono_movie...
ミニコラム② 西日本を中心に定着した朝鮮人陶工たち
https://motion-gallery.net/projects/yakimono_movie...
【朝鮮陶工たちの400年を超える「魂の旅」
日本の陶芸文化に迫るドキュメンタリー映画支援プロジェクト】
クラウドファンディング実施中!
https://motion-gallery.net/projects/yakimono_movie