ミニコラム① ”やきもの大国”誕生前夜
vol. 2 2023-01-28 0
こんにちは。
スモモクラウドファンディング担当です。
本日から、ミニコラムと題して、本作品に関連する、薩摩焼や、日本の陶芸文化、歴史についての基礎知識を配信していきます!
初回は、九州各地でやきもの文化が発展したきっかけとなった史実に関して。
それが、豊臣秀吉による朝鮮出兵です。
文禄元年(1592年)に始まり、文禄2年(1593年)に休戦した文禄の役と慶長2年(1597年)に再開して慶長3年(1598年)に豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で終結した慶長の役とを合わせた総称として「文禄・慶長の役」とも呼ばれる、豊臣秀吉が明征服を目指して朝鮮に侵略した戦争です。
※朝鮮半島では当時の干支を取って「壬辰・丁酉倭乱」とも呼ばれています。
この時、朝鮮へ出征した兵数は約15万人とされていますが、主には西日本の大名が朝鮮へ出征しました。その中にいたのが、肥前佐賀藩の鍋島直茂、筑前福岡藩の黒田長政や薩摩藩の島津義弘等ですが、戦争が終結し、朝鮮からの帰陣の際に、彼ら大名たちは朝鮮滞陣中に道案内を務めたり、食糧などの供出に協力した農民や漁民、陶工などの職人・技術者たちを日本に連れて帰り、それぞれの領内に定住させ、帰化させます。
連行された朝鮮の技術者たちのうち、特に陶工が多く渡った土地が佐賀の鍋島領内や薩摩の島津領でした。これらの地域では、以前より陶器の生産は行われていましたが、そこに多数の朝鮮陶工たちが渡来したことで、西肥前一帯ははじめとした九州各地に窯場が築かれ、朝鮮陶工たちの技が、以後の日本におけるやきもの技術を向上させることとなり、やきもの文化がさらなる発展していきました。
それゆえに、この「文禄・慶長の役」は、別名「やきもの戦争」とも呼ばれているのです。
(vol.2もお楽しみに!)
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