猪苗代のワルリ画に込められたストーリー「魚獲りと食べ方の話」
vol. 7 2017-01-31 0
「再び始めよう」に描かれた、網で魚を獲る人々
猪苗代湖は日本で4番目の広さを持つ美しい湖。僕も子ども時代、夏には海水浴ならぬ湖水浴に、冬には白鳥を見によく行っていました。当時の写真に写る若い頃の親と、子どもの自分を見ると、郡山に暮らす人にとっても身近な存在だということを思います。明治時代の中頃にできた安積疏水を通って、猪苗代の水が郡山に運ばれている、という直接的な関わりも含めて。
Tushar、Mayur、Harshadの3人が猪苗代に着いた初日、猪苗代湖の志田浜へ行きました。湖水を手のひらに乗せ、祈るようなしぐさで「はぁ、いいところだねぇ」としみじみと言う姿を見て、「なんだかうまくいきそうだ」と見通しが開けた気がしました。
着いた日はとても良い天気で、湖面も穏やか。どこまでも水面が広がっていました。
翌日、晴天で強い風が吹く朝、遊覧船・「はくちょう丸」と「かめ丸」が出港する長浜でコイや小さな魚たちを見ました。冷たい風に「寒いー!」と言いながら、生き物たちとの出会いを喜んでいました。猪苗代のワルリ画には、猪苗代湖と水辺の様子が描かれています。目を凝らして見つめれば見つめるほど、多種多様な水棲生物が描かれているのがわかります。魚獲りをする人々も。それらが生き生きとしているのは、自分たちも村で魚獲りに勤しむからです。彼らは魚獲りについて話し出すと、止まらなくなります(笑)
(アップデートno1に写真があります!https://motion-gallery.net/projects/waf_in_inawash...
猪苗代の人々と水辺の生き物たちの関わりを初めて聞いたのは、小桧山六郎さんのお話でした。「野口英世のお母さん、野口シカさんは、よくエビ獲りをしていたんです。シカさんが獲っていたのは、エビが静かな夜明け前にだったそうです。薄暗い中で作業する姿が、『猪苗代湖には化け物がいる』なんて噂になったこともあったそうですが(笑)エビを獲りの簡単な方法は、杉の葉を入れておくことなんです。そうすると、卵を産みにやってくるエビを獲ることができます。同じように、フナやコイも岸辺にやってきたところが狙い目なんです。ちょっと、残酷なようでもありますが・・・海から遠い猪苗代の人々にとって、貴重なたんぱく源だったんです」
水中の生き物たち。真ん中にいるのはエビです。
ほかにも、ドジョウやアカハラと呼ばれるハヤの一種など、食用にしていた水棲生物は多いそう。
食べ方も様々。背開きにして、はらわたをとって、串にさして、焼いて保存食にしておいたり。(ちなみに、焼くのは、「すずめ焼き」と呼ばれます。すずめもそうやって保存していたそう)
それに、あまじょっぱい煮付け、燻製も保存の方法。
産卵時期のおおきなフナは、二晩くらいコトコト煮込んで骨まで食べられる味噌煮に。
鯉は、鯉こくにしたり、刺身を熱いお湯にくぐらせて酢味噌で。鯉のうまにもグー。
ぶつ切りにした鯉と、はらわたをいれてあまじょっぱく仕上げたり。
気になるエビは、天ぷらに。もしくは、味噌汁にいれてもおいしい。
八つ目ウナギも。でも、最近はみなくなったそう。なまずも、食べられます。
アカハラは天ぷらにするのがおいしい。
30年前、小桧山さんが野口英世記念館で勤め始めた頃に同僚に連れて行ってもらった小川では、産卵時期で遡上する魚を手づかみでとれるほど豊かだったそうです。
でも、最近は湖に注ぐ小川がコンクリートで固められ、水辺の生態が変わり、水棲生物はガクッといなくなってしまったそう。唯一、家の近くに、50m〜100mくらい岸が土のままで残っている名もない川があって、そこには水辺の生態が保たれているそうです。
「孫が郡山市に住んでいるんだけど、こっちにくると目を輝かせてその小川で遊ぶんだよね。小学4年生の女の子と小学1年生の男の子なんだけど、特に上の子の方は家でつくっている堆肥にいるミミズにも平気で触るし、虫が好き。ご飯の時は、だれよりも先に手をつける(笑)でも、好き嫌いは一つもないんだ」
そう話す小桧山さんは、とても嬉しそうでした。
そして、そんな風に遊べる子どもたちがうらやましく思えました。
okazu