猪苗代のワルリ画に込められたストーリー「雪の話」
vol. 5 2017-01-23 0
かんじきを履いてそりと雪の上をゆく人々
WAF in 猪苗代~プロローグ~でつながった猪苗代の方々のfacebookなどを見ると、今の時期の猪苗代の子たちは頑張って雪の中、学校に通っているそうです。通学路は子どもたちがすべてから解放される遊び場。寒い中にも楽しいものがたくさんあるでしょう。僕も、小学生の時に雪に飛び込んだら長くつがはまって足が抜けなくなってしまい、大人に助けられたことが何度かありました(笑)
ワルリアーティスト3人が聞かせてもらった中で、一番多かったのは雪についての話かもしれません。ワルリ画は、見当がつかないほど昔からワルリ族、主に結婚した女性たちによって引き継がれてきた壁画です。1970年代・約40年前にインド政府の役人によりその芸術性を見出され、キャンバス地に描かれた「作品」として少しずつ世の中に出回り始めました。以降、誕生してきたワルリ画多しと言えども、雪の上をゆく人々の足元に「かんじき」が描かれたのは、おそらく史上初でしょう。
彼ら3人がかんじきを見たのは、野口英世の生家を再現した建物の中でした。猪苗代町・翁島には、「野口英世記念館」があります。1000円札に肖像が描かれている野口英世は、この地域の出身です。リサーチ期間中、記念館の副理事長や、元学芸員の方から様々なお話を聞かせていただきました。元学芸員の小桧山さんが語ってくださったのは、野口が英世と名乗る前、「清作」として猪苗代で暮らしていた当時の様子でした。
当時の暮らしを小桧山さんに解説してもらっている。ワルリの村には草履はないが、ヤシの木の葉っぱで編んだゴザやホウキがある
その頃の子どもたちは、寒い時には薪割り、縄をなうためのわらを柔らかくする作業などをやらされました。体を動かして暖まり、火のそばにはあまりこなかったそうです。というより、火のそばにいると大人から「寒いんだったら身体動かしてきなさい!」と手伝いをさせられたそうな。だから、火のそばに行かないで子どもたちで遊んでいるのがベターだったそうです。
当時の猪苗代湖には魚が今よりも多くいて、子どもたちが楽しんでいたのは魚釣り。川に遡上する魚が狙い目だったそう。その魚や、とりもちや網で捕まえた小鳥、木の実などをおやつにしていました。罠には他にも種類があって、馬の尻尾の毛を輪っかにして鳥の足を引っ掛けたり、米をまいてそれを食べに来たスズメをザルとつっかえ棒で捕まえる罠も。自分たちの村にある罠と照らし合わせて、「日本もそうだったのか~」と笑いながら頷くワルリアーティスト3人。
教育を受ける子どもたちが少なかった当時、猪苗代で高等学校に通っていたのは清作と1人の友人だけでした。6km離れた学校に徒歩で通っていましたが、冬は、道が雪に覆われます。車も走っていないので、ザクザクと雪を踏み分けて学校へ。その足跡も、帰る頃には地吹雪で元どおり・・・。アメリカで研究に励む英世が恩師に送った手紙には、猪苗代の冬で培われた忍耐力が研究の支えになっています、と書かれていたそうです。時代は移り変わり、雪の量はかなり減っている、とのこと。けれども、雪は昔から猪苗代の子たちを強く育んできたのでしょう。
翁島の長照寺さん(野口英世の菩提寺)で詳しく話を聞く。
清作はこの絵に登場しませんが、かんじきを履いて雪を行く人はこういう話からイメージされた気がします。この人たち、実は、山からそりで炭を運んできているのです。炭焼きの話は、また次回。
okazu