WAF in 猪苗代〜プロローグ〜のこと@名古屋・相生山徳林寺
vol. 2 2017-01-15 0
写真は、愛知県名古屋市にあるお寺、相生山徳林寺です。名古屋市内という都市部にありながら、蛍見られるほど豊かな自然を残す相生山の中腹にあります。
このお寺はとてもユニークな取り組みの拠点になっています。地域の人々が集まって宿坊をセルフビルドで建てていたり、アースオーブンがあったり、トイレ用水に雨水を活用したり、中国やベトナム、ネパールからの留学生がいたり。醤油や味噌を仕込むワークショップを開催していたり。境内を解放して、「つながりの朝市」という市も毎月開催されています。「ちゃんと向き合ってちゃんとつながる。つくるひとと食べるひと・使うひとが、のんびりじっくり話ができて、ちゃんと向き合いつながる朝市。」(https://www.facebook.com/徳林寺-つながりの朝市-2247194143580...)カフェもDIYでつくっているそうです。地域の人々の力が大結集している!そういう磁場を持ったお寺です。
(DIYで建てられた、宿坊・みんなの家)
(たくさんの人が集まって、おいしくご飯を食べながら色々なことが生まれているだろうことを物語るアースオーブン!)
この徳林寺にて、ノコプロジェクト説明会を開催しました。2015年の秋にはじめてお邪魔した徳林寺。2回目となる今回は、寒波で1年に一回あるかどうかのあいにくの雪。にもかかわらず、20人ほどの方々が足を運んでくれました。
(説明会開始前に、WAF with noco 2016の映像を上映。スイス人の二人も来てくれていました)
私たちにとって、WAFとnocoは、兄弟のようなものです。WAFが祝祭的なハレとするなら、nocoは、日常のケ。ウォールアートプロジェクトの両輪としてどちらも相互補完的に存在しています。
その中でも、”WAF in 猪苗代”は、両輪がかみ合ったものだったなぁ、と思うのです。nocoは、ワルリ族の人々の言葉で「もう十分です、ストップ」という意味。
自分たちの暮らしを見つめ、必要なものを取捨選択していく。そんなワルリ族の人々の姿勢に習い、つけた名前です。大事にしているのは、その土地にあるものを見つめる眼差しと、それらを土台にして未来をつくっていくこと。「古いものがいい」「伝統的な暮らしに戻るべき」というわけではなく、新しいものも適宜取り入れながら、大きなものに流されるのではない、自分たちの暮らしをつくっていこうという取り組みです。猪苗代のワルリ画、「Paripurna Jungle(パリプルナ ジャングル)~十全な森」、「Chala Punha Surwat Karuya (チャラ プンハ シュルワット カルヤ)~再び始めよう」には、その眼差しで見た猪苗代が表されています。(詳しくは次回のアップデートで!)
猪苗代で色々な方々から話を伺い、地域性を掘り下げていったこと、それをアートで表現したことは、ノコプロジェクトに興味を持ってきてくれた方々にとっても「参考になりました」と言ってもらえて、嬉しかったです。
(猪苗代のワルリ画のことを話しています)
以下、会の中で出た言葉のうちのいくつかを記します。(私が覚えている範囲なので、少し違っている部分もあるかもしれません・・・すみません!)
「自分の兄夫婦の子どもが、おじいちゃん、おばあちゃんが作っている野菜を食べないで、スーパーマーケットで売っているものを好んで食べている。自然にもっと触れてくれたら変わるのでは、と思い、積極的に野外へ連れ出すように誘っている」
「子どもも大人も遊びの時間をもっと大切にすることが必要なのでは」
「今の世の中、時間泥棒がいっぱいいる。気づくと、空いている時間に何かしなきゃと駆り立てられていて、ほんとうに何もしない時間がない」
「子どもたちの遊びの時間を大切に考えるなら、大人が遊びに夢中になっている姿を見せることも大事だと思う」
「通学路のような、大人たちに計画されていない場で好き勝手に遊べるのが子ども時代には大事なのかも」
「相生山を次世代のために残していきたいけれど、行政が主導していくと今の形は変わってしまいそう。でも、一体どうすればいいのかと迷っていたのだけれど、今日の話でヒントをつかめたような気がします」
「先日ここでエディブルシティの上映会なども開催したのだけど、なんとかしたいな、と考えて、動き出している人たちがあちこちにいるということに励まされる」
などなど、話はどんどん深まっていき、あっという間に終わりの時間がやってきました。雪で早めに名古屋を出なくてはならず・・・そうでなければ夜通しでも盛り上がっていたことでしょう。徳林寺に集う方々のその熱さたるや!
「このお寺は、いつでも開かれているから、誰が来ても大丈夫なんです」という和尚さんの懐の深い言葉に、磁場の発生源がある気がしました。
okazu