【70%達成!】「これからの映像世界」について
vol. 2 2025-10-01 0
ユリシーズ代表の飯田です。
達成率が70%を超えました!たくさんのご支援、応援ありがとうございます。またご支援に際しいただいた皆様からのメッセージも大変励みになっております。
いい映画にしたい、という思いがどんどん強くなってきています。僕としてはさいたま国際芸術祭2020に出品したドーム映像作品『double(ドゥーブル)』(2021年)以来のひさしぶりの長編映像作品です。この間の様々な変化も感じながら、初の映画ということもあってかなり気合が入っています。
引き続き応援よろしくお願いいたします!
さて、ユリシーズというチームで活動するに至った最初のきっかけは、プラネタリウムの全天に舞踏を投影したドーム映像作品『HIRUKO』(2019年)の制作です。
最上さんと知り合う前から僕はこのドーム映像というメディアに魅力を感じて映像作品を作ってきました。ドーム映像って何?という感じだと思いますが、今回はリターンの1つでもある、僕が担当する映像講座「これからの映像世界」について少しお話しします。
ドーム映像に僕がもっとも惹かれる理由は、映画という歴史が選択してこなかった映像文化のもうひとつの可能性を秘めている、ということです。
映画の誕生は今から130年ほど前になります。リュミエール兄弟が「列車の到着」を撮影した最初期の映画では、その50秒ほどの映像を初めてみた観客が列車が眼前に近づいてくる様子に驚いて座席を立って逃げ出したという有名な逸話があります。今の僕らの感覚からしたら全くあり得ないリアクションです。このことは単に彼らが文明的に劣っているという話ではなくて、彼らと僕らとの決定的な違いとは、彼らは「映像」を知らなかった、ということに尽きると思います。
映画の誕生は驚きと共に、この世界の現実がカメラによってフレーミング可能であることを宣言する事件でもありました。近代的自我が花開いた時代です。現実を切り取り、表象していく快楽は世界を熱狂させながら映画を育て上げ、いまの映像文化の基盤や言語、文法を作り上げます。
そして、その後の映像の過剰な広まりによって、いつしかこの視点は、僕らがものを見るときの視点や構えにまで浸透して置き換わってしまってるんじゃないか、僕らが「映像」を常識的に知っている状態とは、なにか「見る」ことの大切な役割を手放してしまっていて、この先ってけっこう文化としてどん詰まりなんじゃないか。そう思えるほどに人類史的にも偏った視覚の時代を生きているような感覚が、僕の中にあります。
僕はしばしばこのことを映像の原罪、と言って受け止めています。映像作家として、半ば本能的に映像メディアを表現手段に選択しながら、その衝動の中心には、この世界の秘密に触れたい、世界を味わい尽くしたいという核なる関心とエゴがあります。それが、今のままだと、そこに到達できそうにないという気がしています。これが単に個人のエゴや映像に限った話ではなく、「見る」という行為そのものと、視覚文化全般に関わる問題であると思うからこそ、原罪という大袈裟な言い方をして受け止めようとしています。
プラネタリウムという場所は言うまでもなく星を見るための場所です。いまでこそ映画館同様にプロジェクターによるドーム映像が繰り返し上映されていますが、ここに人が集まることには「星をただ見る」という根強い動機があって、今なお光学式の星空専用の投影機によるプラネタリウムが人気です。天井に投影された光の点を皆で見上げて星に見立てる。あるいは星の出現そのものを願う。この空間には明らかに映画館とは違う「見る」ことの構えが発生しています。星座の並びこそあれ、我々は星そのものから意味を受け取る必要がなく、底なしの星空に向かってただ「見る」ことに徹している。『HIRUKO』や『double(ドゥーブル)』といった作品で、僕が目指したドーム映像とは、まさにこの場所が守り続けてきた「見る」ことの役割を、舞踏という、姿や動きの表象を追っては決して見ることのできない内在世界に対しても開いていきたい、ということ。近代から現代にかけて駆け上がってきた映画が選択しなかった道を、映像を通して「見る」ということのもう一つの驚きを実現し、より豊穣な世界へと至りたい、というものです。
没入感のあるプラネタリウムの広大なスクリーンは、単に映画のスクリーンの拡張ではなく、向き合い方によっては、新たな視覚体験のカギとなります。昨今のイマーシブメディア全般が映像世界に引き込むことを追い求めているのに対して、それとも違う、「見る」ということの能動性によって実現する、もうひとつの没入感です。
今回のクラウドファンディングのリターンに設定した僕の映像講座では、そのあたりをドーム映像制作の実践と、それを実際にプラネタリウムに投影することを通して体験できるような内容を用意してます。ぜひご参加いただけたら嬉しいです。これからの映像世界について、ここで書いた以上のことをより掘り下げてお話ししますので、参加者の方々と一緒に深めて行けたら幸いです。
最後に、映画『東京巡礼』について。
「映像」を知ってしまった僕らは、それを忘れて「列車の到着」に驚くことはできません。「映像」を知ったうえで、次の世界を模索していく必要があります。プラネタリウムのドーム映像に向き合ってきたことで、全く違った映画を生み出せそうな気がしているのですが、どのような形になって、どう受け取られるのか、未知の領域に踏み込む思いです。そうでもしなければ原初舞踏を映画にすることは難しいでしょうし、それができた時にこの映画は映画の次元を少し越えるかなと期待しています。そして監督としては、何よりいい映画を作りたいということに尽きます。ぜひみなさまも映画『東京巡礼』にご期待ください。
- 前の記事へ
- 次の記事へ