【達成率64%】映像という「もうひとつの眼」
vol. 1 2025-09-20 0
ユリシーズ代表の飯田です。
クラウドファンディングがスタートして一週間が経ちました。現在達成率64%、開始直後からたくさんのご支援をいただき、これ以上ないスタートを切ることができました。皆様からの応援、ご支援に心より感謝申し上げます。
チームとしては実は今回が2回目のクラファンです。前回はちょうどコロナ禍の2021年に行った「もうひとつの眼 / もうひとつの身体」という企画でした。撮影現場への参入による儀礼の可能性をテーマに、有観客による映像配信を行いました。無観客配信が舞台芸術を繋ぎ止めていた時代に、クラファンによる場の実現と、「見る」ことの意義を改めて問うような企画でした。
撮影現場というからには映像こそ企画の軸にあったわけですが、この頃から単に舞踏の映像化ということではなく、映像というメディアそのものについて、これだけ身近にありながらも、未だ捉えきれていない力や役割について、舞踏を中心とする現場との関わりから見出そうとしていたように思います。カメラの目とは何なのか。「もうひとつの眼」とは何なのか。
そんな構造的な問いを抱えながら、ずいぶん映像作家らしからぬ道を進み始めたとも思います。笑
それは「見る」という次元をどう変えていくかということ。これから先どんなにすごい映像技術を目の当たりにしても、「見る」という行為そのものを見直さない限り、世界は息苦しく、どん詰まりのように思えるし、遠い国の誰かの切実な日常の覗き見や傍観であって、そこに心動かされても、あなたの切実な眼差しにはなりえないでしょう。これは映像の話であって、生き方そのものに関わる話だと僕は思っています。
「見るのではない、そこにいるのだ」昨夜SNSで見かけた映画『アバター』のキャッチフレーズです。映画の世界に入り込むということ、その没入感の高い映画表現の極みとは対照的に、僕は「見る」ということをもう一度信じてみたいと思います。
今度の映画『東京巡礼』は、映画という特殊な時間軸の中で、表象の壁を超えて「見る」ことの次元をアップデートしようとしています。原初舞踏のある世界を眼差す、内在世界との連動を通して東京を眼差す。眼差すことそのものに当事者性を求めていく。映画の歴史の中でいつしか枝分かれして、選択してこなかったパラレルな側の、もうひとつの没入感、「もうひとつの眼」です。
その視線の先にはどうしても身体が、踊りが必要です。
最上さんの踊りを撮影していると、全身全霊とは踊りのためにある言葉だと思うことが多々あります。身体の内在から動きが生まれ出る、その全身全霊の瞬間を眼差すこと、眼差しとともに表現が生まれる。舞踏と映像の両輪を掲げるユリシーズの映像作品は、映像体験としてこの関係性を崩さず共有していくところに新たな表現の可能性をみています。
映画として、見たこともないような回路を作り出したいと思います。一方で非常にわかりづらい領域への挑戦であるからこそ、その作品の船出にはたくさんの見送りの力が必要です。原初舞踏への関心が集まり始めている今、活動を次の段階へ、カメラの目とともにその体験を広めて、新たな共感を表現として生み出していく。他でもないクラウドファンディングという形を選択し、映画製作のプロジェクトを立ち上げた我々の思いです。
引き続き、ご支援、応援のほど何卒よろしくお願いいたします。
飯田将茂