フィリピンの映画産業について
vol. 9 2020-05-20 0
こんにちは。「Purple Sun」共同プロデューサーの今井太郎です。
クラウドファンディング、今日含めて残り6日となりましたが、おかげさまで43名の方々から合計313,000円のご支援を頂いております。目標達成に向けて引き続きご協力よろしくお願いします。
本日は、フィリピンの映画産業について、プロデューサー目線で私なりの見解を書かせていただきます。
私は今、フィリピンとの合作映画の企画を3つ進めていますが、フィリピンの映画関係者と初めて出会ったのは5年前の2015年でした。当時私はサラリーマンとして商社で綿糸の仕事をしながら、大阪アジアン映画祭でボランティアとしてゲストのアテンドをしていました。その時にアテンドを担当したMilo Sogueco監督が始めて知り合ったフィリピンの映画関係者であり、初めてのフィリピン人の友達です。
それまで仕事で様々な国に行っていたのですが、フィリピンには一度も行ったことはありませんでした。
その後、2016年に参加したイタリアでの国際共同製作ワークショップで、Mikhail Red監督、Pamela Reyesプロデューサー、Bradley Liew監督、Bianca Balbuenaプロデューサーと出会い、それからフィリピンとの関係は深まっていきました。
2018年には釜山でアジア16カ国から若手プロデューサーが集まる半年間のプログラムにも参加し、アジア各国の映画産業について学びました。
アジアにはまず、中国、日本、インド、韓国といった映画の大国があり、そして香港、台湾、シンガポール、マレーシアという大きな中国語圏マーケットが存在します。そんな中で、近年急成長しているのが東南アジア諸国です。若い人口の増加、経済発展に比例するように映画産業も急成長しており、東南アジア全体で見ると大きなマーケットを形成しています。
数字で見るとインドネシアが一番大きく、その次にベトナムです。韓国のCJがインドネシアとベトナムに力を入れているのは大きいマーケットが急成長しているからです。そして東南アジアの映画といえばタイ映画が一番日本人には馴染みが深いのではないでしょうか。
フィリピン映画は日本ではまだまだ馴染みが薄いのですが、世界の主要映画祭では大きな存在感を放っています。自国の商業映画が大きく成長しているのがインドネシア、アートハウス映画で映画祭を席巻しているのがフィリピンという感じです。従って、ハリウッドはインドネシアに、映画祭はフィリピンに注目しています。東南アジアの若手監督がカンヌ、ベネツィア、ベルリンに進出する大きなサポートをしているのが釜山国際映画祭なのですが、釜山ではフィリピンはもう通り越してベトナムに注目しているようです。映画祭界隈では次に来るのはベトナムと言われています。
インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア、それぞれの国の映画監督やプロデューサーと一緒にワークショップに参加し、年に何回かは映画祭で一緒に酒を飲んだりするので、今では友達もかなり増えたのですが、フィリピンが他の東南アジア諸国とどう違うか、私なりに考えてみました。
映画祭やワークショップで出会う東南アジアの映画関係者は多くが裕福な家庭の育ちの人々です。日本に比べればまだまだ貧しい国で、映画監督になるには恵まれた環境に育っていないとなれないのは想像がつくと思います。
友達が増えるにつれ気がついたのは、フィリピンだけは、富裕層の監督に混じって、普通の中流階級出身や、貧困層出身の監督もたくさんいる事です。その理由が何故なのかずっと疑問だったのですが、フィリピンに行って聞いたのは、フィリピンでは年間2万円ほどの学費で専門学校や大学に行けて映画制作も学べるそうです。年間2万円であればスラム街に住んている子でもバイトすれば払える金額です。学校には機材もあるので、ショートフィルムを作って注目を集める監督もたくさんいます。
そういった基盤があるのに加え、フィリピンは世界的に見ても稀な位、若手監督支援プログラムが充実しています。例えば4つ映画祭があって、各映画祭が3〜10の新人監督の企画を選んで300万~600万円ずつのお金を出します。フィリピンは日本と比べて物価が1/3位なので、300万~600万円は日本では900万〜1,800万円位の感覚です。それだけのお金があれば新人監督の初めての長編でも、クオリティが高いものを作れる環境にあります。そういった新人監督の作品が毎年20〜30本生まれているという計算になります。ABS-CBNというフィリピン最大のスタジオもそのような支援をしているのですが、そこから新しい才能を探そうという狙いなのかと思います。世界でもこのような仕組みがあるのはフィリピンと中国位ではないでしょうか。中国は新人監督でも最低1億円の予算と言われていますが…
そしてそういった民間の活動をFDCP (Film Development Council of the Philippines)が最大面にバックアップしています。FDCPの会長はドゥテルテ大統領の親戚の若い女性なのですが、政府から過去最大規模の予算を引っ張ってきて、フィリピン映画を世界各国の映画祭でアピールしています。また、若手監督やプロデューサーを主要映画祭のワークショップに送り込んだり、自国でも海外からメンターを呼んでワークショップを開催しています。今、どこの映画祭に行っても一番人気のあるパーティーはFDCP主催のフィリピンナイトです。世界各国の重要な映画関係者は堅苦しくなく楽しいフィリピンナイトに集まります。映画祭とのネットワーキングが上手なのは、韓国とフィリピンです。
FDCPの面白いところは、大統領批判の映画でも堂々と海外の映画祭でアピールしています。海外の映画祭で評価されるのは政治批判や社会的意義の大きい作品が多いのですが、FDCPは政府のお金で大統領批判の映画であれ公平に海外に発信しています。
この点に関しては、欧米の政治に対する向き合い方に近いと思います。去年、「主戦場」の監督のミキ・デザキ氏のシンポジウムを聞きに言ったのですが、彼が言うには欧米では政府は国民のものという意識が強く、言論の自由という思想が根底にあるので、お金が政府から出ていようとそれは自分たちのお金だという観点から政府のお金を使って政府批判をするのは当たり前なことのようです。フランスではアートハウス映画のほとんどは政府の助成金から作られているのですが、それでも政府批判の映画はいつの時代でもあります。イギリスのケン・ローチ監督の映画も政府の助成金を多くもらっていますが、政府批判しています。その日のミキ・デザキ氏のトークのテーマにはあいちトリエンナーレの慰安婦像問題も含まれていたのですが、そのシンポジウムの後援は文化庁であり会場も京都国立近代美術館でした。
これはFDCPに限らずフィリピン人の国民性であって、この欧米的な民主主義の考え方、言論の自由の考え方はアジア全体の中でもフィリピンだけ突出した特徴なのかなと思います。それはなぜなのか、日々考えていますが、個人的な見解はこんな感じです。
フィリピンは300年以上スペインの植民地だったこともあり、アジアでは唯一カトリックが多数派の国です。その影響からかフィリピン人には中南米のラテンの陽気なノリを感じます。アメリカの植民地だった時代もあり、皆英語が喋れるようにアメリカの影響も大きく受けています。
釜山の学校に行っていた時に気付いたのですが、日本人含めてアジア人は授業中ほとんど発言をしません。普段英語を使っているという理由も大きいと思いますが、フィリピン人は発言が多い方です。ヨーロッパのワークショップに行ってもフィリピン人は欧米人同様に堂々と発言します。この根本的な原因はアジア各国の宗教的圧力と政治的圧力だと思います。例えばインドネシアやパキスタンでイスラム教の批判をすれば処刑にされる可能性があります。中国やベトナムで政治批判をすれば逮捕される可能性があります。アジアの殆どの国において、同様の圧力があります。日本は他のアジアの国に比べるとそんな圧力は殆どないのですが、同調圧力のような社会的圧力があり発言には消極的です。
しかしフィリピン人は政治批判も宗教批判もするし、自分たちの意見をはっきりと言う傾向にあります。前述したフィリピン最大手のテレビ局ABS-CBNは大統領批判を理由に、放送免許が更新されず、今月からテレビ放送が停止されています。それに対しても真っ向から言論の自由を国民が政府に対して訴えています。そんな事が可能なのは東南アジアではフィリピンだけだと思います。
そういったフィリピン人の国民性が今のフィリピン映画の原動力になっているのではないでしょうか。一方フィリピンと対極的なのが中国です。最近の中国の若手監督が作るアートハウス映画も面白い作品が多いです。それは、大っぴらに政治批判が出来ず、暴力描写や性描写も制限されている中国では、監督たちがアイデアを駆使して間接的に政治批判、暴力描写、性描写をしています。そんな制限から生まれる創造性が今の中国映画の面白みだと思います。
もう一つ、フィリピン人の大きな特徴は、大きな組織に属している一番下っ端の人でも自分の意見を持っているという点です。私が自動車会社で勤めていたころ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、パキスタン等の工場に出張でよく出向きました。商社に勤めていた頃はインド、中国、ベトナム等の紡績工場や綿花畑に頻繁に訪問していました。殆どのアジアの国々において、組織に属している人間は自分の意見を全く言いません。組織の意見を代弁するだけであって、自分の意見を言うと罰せられるのか、本音を聞き出すのは難しく、彼らに自分たちで考えると言う習慣はないように感じていました。それは日本でも同じです。
しかしフィリピン人は組織の一員でも、自分の意見を言う傾向にあり、自分で考える習慣もあります。スラム出身の監督でも自分の伝えたい事を映画で表現でき、映画祭でははっきりと自分の意見を議論出来るのは、そういったフィリピン人の習慣があるからこそだと思います。こういったアジア人の特性は、欧米の植民地政策や日本統治時代の歴史、宗教、政治が大きく影響していて、今後そう簡単に変わるものではないと思います。
他の東南アジア諸国では欧米で勉強した富裕層の監督が自国の政治的問題や社会的問題を俯瞰的目線から扱った作品が多いと思うのですが、フィリピンでは実際に貧しい家庭で育った監督が自分たちの目線で映画を作っています。それがフィリピン映画の面白さの原動力になっていると思います。フィリピンの次にベトナムの波が来ると書きましたが、フィリピンとは全く違う環境なので、違う意味で面白い作品が生まれてくると思っています。
私は東南アジア映画に触れてまだ5年ほどですので、そんなに多くの東南アジア映画を観てきた訳ではありません。しかし、ワークショップや実際の企画開発を通して一緒に勉強や仕事をした東南アジアの監督やプロデューサーはたくさんいます。そんな経験から個人的な見解を今回は書かせていただきました。
さて残り6日間、目標達成へ向けて頑張って参りますので、皆様も引き続きご家族、お友達、ご同僚、お知り合いにお勧め頂いたり、SNSでシェアして頂けると幸いです。
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今井太郎