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INTERVIEW - 2015.11.18

釜ヶ崎のおっちゃんたちをヨコハマトリエンナーレに連れて行く!

大阪市西成区にある、通称「釜ヶ崎」。日雇い労働者が暮らすこの地で開催されているのが、だれでも無料で参加できる「釜ヶ崎芸術大学」だ。この「釜ヶ崎芸術大学」の取り組みは、国際的な芸術祭「横浜トリエンナーレ2014」のディレクターも注目、正式に招聘されることとなった。

大阪市西成区にある、通称「釜ヶ崎」。日雇い労働者が暮らすこの地で開催されているのが、だれでも無料で参加できる「釜ヶ崎芸術大学」だ。この「釜ヶ崎芸術大学」の取り組みは、国際的な芸術祭「ヨコハマトリエンナーレ2014」のディレクターも注目、正式に招聘されることとなった。
このヨコハマトリエンナーレへの諸経費、ならびに釜ヶ崎芸術大学の活動資金調達のためにクラウドファンディングを活用した上田假奈代さんにお話を伺う。


ヨコハマトリエンナーレ2014横浜美術館中央に鎮座

すべての人に開かれた表現の場

――釜ヶ崎芸術大学とはどのような組織なのですか?


釜ヶ崎芸術大学で行われた詩の講座

上田:大阪市の西成区、通称・釜ヶ崎と呼ばれるまちで、「釜ヶ崎芸術大学」は人との関わりあいのなかにある表現の可能性をさぐるNPO法人こえとことばとこころの部屋(以下ココルーム)が運営しています。地域のなかにあるさまざまな施設を会場として、誰でも無料で(カンパ歓迎ですよ)参加できます。学びたい人が集まれば、そこが大学、というわけです。

釜ヶ崎は日雇い労働者が働き、暮らす「寄せ場」。日本最大のドヤ街です。1960年代全国各地から労働者が集まり、集められ、ここから工事現場や港湾へ出かけていきました。日本の高度経済成長を支えてきたといっても過言ではありません。しかし劣悪な労働環境から、しばしば暴動がおこり、ネガティブなイメージを持たれる方も少なくありません。いまだに「危ないから行ってはいけない」と、言われることもあります。

そんな釜ヶ崎で暮らす「おっちゃん」(わたしたちは「おじさん」と呼ぶのですが)たちは高齢化が進んでいます。全国各地からこの街に集まり、そしてそのままここで骨を埋めることになるおじさんたち。家族もなく働くこともできなくなって、生き甲斐を失い、孤立感・孤独感から、アルコールやギャンブルへの依存、孤独死などが起こっています。もしかしたら、10年後の日本の都市の姿かもしれません。

ココルームは13年前から活動しているアートのNPO法人です。釜ヶ崎の端っこにある商店街で喫茶店のふりをしています。小さなスペースでさまざまなワークショップを開いていたのですが、高齢化で歩く人が減ってしまい、わたしたちがおじさんたちの住み慣れた街のなかにでかけていくことにしました。それが、2012年に開講した釜ヶ崎芸術大学(釜芸)です。すべての人に開かれた場所です。年に40〜80の講座やワークショップを開き、だれでも無料で受講できます(くどいですが、カンパ歓迎です)。開講する講座は多岐にわたります。芸術は森村泰昌先生、狂言は茂山童司先生、天文学は尾久土正己先生など、毎回その道の専門家の人たちに講師として来てもらっています。受講者はおもに釜ヶ崎のおじさんたち。居眠りなんてしませんよ。集中して聞くし、わからなかったら質問する。そのまっすぐな姿勢に先生も励まされています。だから、一方的に教えるという場ではなく、講師も生徒もお互いに学び合える場となっています。いままでに述べにして1800名くらいの人が釜芸で受講してくれました。釜ヶ崎には、好奇心いっぱいなおじさんたちがいっぱいいて、「いつもは早く寝るんだけど、釜芸がある前の日はワクワクして眠れない」って話してくれたことも。うれしいですね。

始まりはコミュニティ・カフェ「ココルーム」

――なぜ、そのような学べる場所を作ろうと思ったのですか?

上田:もともとは、大阪の新世界という場所に「フェスティバルゲート」という、都市型の商業娯楽施設があり、そこを現代芸術の拠点にしようという大阪市の計画がありました。私は詩人ですが、なかなか仕事になりません。社会の枠組みのなかで創作活動をしていくこと、創作活動で生計を立てていくことに興味や関心を持っていて、だったらこの計画に乗ってみよう、と決意したんです。そこで、NPO法人「ことばとこえとこころの部屋」を立ち上げ、「ココルーム」という名前のコミュニティ・カフェを作りました。アートが好きな人ばかりが集まる場所にしたくなかったから。カフェは社会のさまざまなトピックが集まる場所にもなりました。そして、いくつものアートの団体が入居していることから、海外からもたくさんのアーティストがやって来て「そこに行けばなにかおもしろいことがある」と思ってもらえる場所になりました。

ところが、2007年に大阪市の文化政策が大きく転換することになり、フェスティバルゲートから退出することに。そこで、以前からココルームが関わりを持っていた釜ヶ崎に拠点を移すことにしました。この国を底辺から支えてきた釜ヶ崎の街の人々の声を聴きたいと思うようになっていました。戦争を経て、民主化、市場主義へと変遷する日本の次の社会はどんなものでしょう。そのイメージを描くためには、声なき声にこそ耳を澄ましたいと思いました。また釜ヶ崎には多くのNPOや団体がありますが、アート系の団体はひとつもなかったからです。そしたら、やれることもあるかもしれません。でも、この街でアート系の組織が活動することは反発を招くことになるかもしれないと思っていましたから、本当に手探りから始まりました。

ココルームは喫茶店のふりをして、日常的に人と人とがふれあえる場、話をする機会を作っています。生活保護を受けるようになったおじさんたちがよく来てくれます。常連になってくれる方たちではなく、わたしたちと接点を持ちたがらない彼らは「やることがないから、お酒を飲んでいる」と言うんですね。わざわざココルームまで足を運ぶのも億劫なら、わたしたちが街にでかけて、なんかおもしろいこと、やりたいことをいっしょに作ったらいいんじゃないかしら? それが釜ヶ崎芸術大学が生まれたきっかけです。最初の釜ヶ崎芸術大学の講義は2012年の9月。初回から20名以上が参加してくれました。それからは、受講生同士で友達になったり、授業がない日もココルームに遊びに来てくれたり、参加者のおじさんたちの表情がやわらかくなっていきました。

活動のなかで感じるのは、お世話する、されるの関係ではないということ。おじさんたちが人々と関わり合い、表現することに取り組むなかで、人やお互いの関係性は変えることができるということを教えてもらっています。

――学ぶことで、お互いに学び合えるんですね。

上田:おじさんたちも学ぶ。わたしたちもいつも新しい発見や学びがあります。おじさんたちは、当たり前ですが釜ヶ崎に来るまでにそれぞれの人生を歩んできました。そして、それまでの人生を伝えるのが上手な人もいるし、かたくなに語ろうとしない人もいます。以前、無口でいつもムスーっとしてるTさんが狂言の講座に出たときのことです。周囲のおじさんたちともあまり打ち解けようとしていなかった方なんですが、講座が始まって、周りの人たちと会話をしはじめると、少しずつ笑顔を見せ始め、さらに自分の人生をネタにして舞台で演じきって、観客から大笑いされたんです。その頃から彼は変わっていきました。詩の講座ではお互いに取材するのですが、最初の二年間、Tさんは取材されることはできても、相手に質問することができなかったんです。彼がつくる詩は思い込みの詩でした。講師であるわたしは特にそれを指摘しませんでした。ところが、今では相手の人に質問して詩をつくっています。

「表現」って周囲に心を許せるようになって、はじめてできるものなのかもしれないって気づいたんです。つまり、その場にいる人たちがお互いの存在を大切に認めていることこそが、「表現」を支えているんですね。無意識にわたしたちは誰かを排除していないか、改めて考えさせられました。無口なおじさんは、それまで排除された経験が重なり心に殻をかぶせていたんですね。そうしたことに気づいてから、アートNPOとして、「表現」の場をつくることは多様な人々が生きていくために必要な練習の場なんだと、言っていきたいと思うようになりました。

釜ヶ崎のおじさんたちと現代芸術家・森村泰昌氏との出会いが、ヨコハマトリエンナーレへと

――そんなおじさんたちと、ヨコハマトリエンナーレに出ようと思ったきっかけは?

上田:「芸術」の講師の森村泰昌さんがアーティスティックディレクターを務めるヨコハマトリエンナーレ2014に出てみないか?って声をかけてくれたんです。森村さんは、有名な絵画や映画のなかに入り込んで、登場人物の格好をして写真を撮る作品で世界的に有名な美術家。彼が2007年にレーニンに扮した作品《なにものかへのレクイエム(夜のウラジーミル1920.5.5-2007.3.2)》は釜ヶ崎ロケなんですが、そのときのコーディネートをお手伝いしたんです。森村さんのオーダーで釜ヶ崎のおじさんたちもエキストラとして80名程作品に登場したんですよ。この作品制作がご縁となって、2012年に釜芸で「芸術」の講座を担当していただきました。毎年一度の特別講座です。森村さんはココルームの活動をおもしろがってくださって、どうすればトリエンナーレに参加できるのか、考えを巡らせてくれました。釜芸で参加し、また展示のほかにもオープンキャンパスとしてのワークショップやイベントなどもやりましょう、とアイデアを練り上げていきました。


《なにものかへのレクイエム(夜のウラジーミル1920.5.5-2007.3.2)》

ただ、本当に資金が足りなかった。釜芸は助成金を頼りにギリギリでやっているのですが、2014年度に関しては必要な助成金が受けられず、トリエンナーレどころか日常の運営も危ない状況でした。ざっと計算してみたところ300万円ほど足りなかったのです。助成金申請していては間に合いません。そこで、クラウドファンディングを活用して、トリエンナーレや釜芸の運営資金を調達しようと思ったんです。

クラウドファンディングに取り組む事で表現できた、
釜ヶ崎芸術大学が目指す事

――クラウドファンディングは、期日前日に目標金額を達成となりました。

上田:緊張の連続でした。いろいろ特典を用意して、チラシなどもつくって配り、声かけも積極的に行ないました。地道なプロモーション活動でした。けして豊かではない経済事情の人がココルームに「寄付するよ」と小銭を持ってきてくれるのです。追加で500円のコースを設けました。うれしいですけど、この調子で期限内に達成するのか心配でもあります。こつこつと応援が集まっていく形でしたが、本当に時間ギリギリで滑り込みセーフでした。

やっていて感じたのは、クラウドファンディングを実施する事で、 おおっぴらに「おじさんたちとヨコトリに行きたいんです。寄付をお願いします」と言えるところがありがたいと思いました。詩人の谷川俊太郎さんに思い切って今回のことを話すと、気に留めてくださって、大きな支援をいただきました。

もちろん、そこまでしてお金を集める価値があるのか、社会性があるのか、ということを何度も自問自答するのはしんどいことでもありました。ココルームは組織ですから、スタッフもそれぞれに考えたと思います。改めてそれを言語化し、スタッフみんなと共有することは大事なことです。実はスタッフのひとりでも気持ちがぶれたら、一挙に集中力を失ってしまうと思いました。ヨコトリに参加するおじさんたちの気持ちとも微妙な距離がありますよね。その距離さえも楽しまないとね。体調やわずかなお金の問題も本人にとっては大問題です。直前にふたりのおじさんたちの不参加問題が起こりましたが、さりげなく理由を聞いて、お金を貸し付けたりして、なんとか予定通りのメンバーで横浜へ出発しました。

また、いままでもココルームは活動資金が潤沢というわけではなかったのですが、周囲には「なんとかできている」と見えていたようです。クラウドファンディングを行い、「こういう理由で、これだけのお金が足りない」と具体的に堂々と言うと、「え、いままでそんなに大変だったの!?」ってみなさんに驚かれました。

そこで、自分たちの活動のことを改めて伝えたり、今後はこういうことをやっていきたいと、抱負まで語ることもできました。ココルームの活動、釜ヶ崎芸術大学についてきちんと考えなおすきっかけにもなりましたね。

クラウドファンディングは、資金を調達するための方法ではありますが、自分たちがやっていることを自らみつめなおし、あらためて周囲の人たちにアピールできるチャンスだったと感じています。

――資金調達に成功して、横浜へおじさんたちと一緒に行けたんですね。

上田:おじさんたち、お手伝いの人たち、スタッフ、スタッフの子どもたちとで、総勢50名ほどの大ツアーでした。おじさんたちは新幹線に乗るのはみんな久しぶり、大部屋での夜は修学旅行のよう。おじさんたちの体調なども心配で、スタッフたちは緊張の連続でした。


おじさんたちと一緒に大阪へ

トリエンナーレに誕生した釜芸の空間が、人と人との間にある様々な障壁を取り去った

ヨコハマトリエンナーレでは、それまでにおじさんたちが作った書、詩、写真などのほかに、講義ノートなどを展示して、釜芸、そしてココルームそのものがわかるような展示にしました。夏祭や越冬の三角公園でココルームが開く習字コーナーでおじさんたちが書いた書を天井に張りつけ、墨の天の川に。横浜には一緒に行けませんでしたが、元労働者でスコップのような大きな手で細かい作品をつくるおじさんがいます。スーパー玉出のチラシをこよりにして作った創造的な通天閣。ガラスケースに入れて、展示スペースの真ん中に置きました。ココルームの店内にある食事したり作業する畳の小上がりをつくり、観客の方が座ってのんびりできる空間にしました。美術館のあの空間が、ちょっと不思議な雰囲気になりましたね。


壁には、MotionGalleryのクラウドファンディングを基に劇場公開に至った、映画『トークバック』の劇場チケットも

また、実際にトリエンナーレにきた人たちにも釜芸を体験してもらおうと思って、オープンキャンパスを数日間行ないました。出張講座は哲学と詩、おじさんたちの人生が詰まった創作狂言の公演、「TAKIDASHIカフェ」など。狂言のセットの松の絵は、前川紘士さん(美術家)を講師におじさんたちとワークショップをして、丸二日掛けて制作したものです。公演本番前のおじさんたちは本当に緊張してて楽屋ではヒトコトも話さなかったそうです。炊き出しは2日間で1100食。親子丼と野菜たっぷりのカレーライス。横浜美術館のある桜木町は、駅のむこう側に寿町という、釜ヶ崎のような寄せ場があるんです。そちらにも声をかけ、100人以上の方が来てくれていっしょに炊き出しのご飯を食べました。


TAKIDASHIカフェには長蛇の行列ができた

印象的だったのは、美術館の方々も炊き出しの列に並んでくれたこと。館長さんや若いスタッフ、警備や清掃員の方たちも来てくださったんです。「部署が違うと一緒にご飯たべたことはなかった、これが初めて」と若いスタッフからメールが届きました。大きな組織で人数も多いと、スタッフ同士の交流も少ないそうですね。ささやかですが「TAKIDASHIカフェ」は、同じテーブルでいっしょにご飯を食べることにつながったんですね。異なる立場の人たちがであいなおすことーわたしたちがやりたかったことです。

おじさんたちはトリエンナーレへの参加がとても刺激になったようで 「今度のトリエンナーレまで長生きしなきゃ」って。自主的に絵や書をしたためる人もいます。ヨコハマトリエンナーレという釜ヶ崎以外の発表の場ができたこと、知らない人たちの目や声に触れたことは、確実におじさんたちのモチベーションになっています。資金の面で諦めないで本当によかったと思っています。


おじさんたちの人生を元にした創作狂言も大盛況

「日本の未来を先取りしている場」から考える"これから"

――トリエンナーレを通じて、全国から釜ヶ崎芸術大学に注目が集まりましたしね。

上田:全国的にも珍しい取り組みなので、多くの人が注目してくれるようになりました。「横浜で観て、気になって来たんですよ」と遠方からココルームを訪ねてくれる方が今でもあります。「あの詩を書いた人にあいたくて」、「あの絵を描いた人にあいたくて」と、写メに撮ったものをココルームに持って来てくれた方も。

昨年からは、地元の高校に出張・釜ヶ崎芸術大学を始めました。講師とおじさんたち、参加したい釜芸在校生(釜ヶ崎以外の方)、スタッフたちが学校に出かけています。地元の高校生たちは親御さんから「釜ヶ崎にはあまり近づかないように」と言われているそうです。釜ヶ崎がどんなところなのかも知らないで成長するんですね。まずは地元にどんな人たちが暮らしているのかを知り、さらにお互いに学び合えたらと思っています。おじさんたちも若者に出会うと、背筋を伸ばした感じでシャキッとしているのがいいですよ。それに、若者たちを励まそうという気持ちが滲んでいて、あたたかい雰囲気です。若者たちも素直な気持ちで接してくれるのがわかります。

現在の日本は、全国的に少子高齢化が進み、貧富の差も広がっていきつつあります。そうした視点で見てみると、釜ヶ崎という街は、日本の未来を先取りしている街とも考えられる。釜ヶ崎で単身で暮らす人々がお互いに関わりあって生きていく仕掛けや仕組みを生み出すことは、今後の日本の都市が抱えるかもしれない問題へのささやかなモデルになるんじゃないかなって考えているんです。

今後は、保育園や小中学校に出かけたり、都市田舎問わずいろんな場に出かけ、であいを重ね、お互いの知恵になることを願い、さらにパワーアップした釜ヶ崎芸術大学にしていきたいと思っています。

わたしは釜ヶ崎で商品開発をして、おじさんたちと仕事をつくり、その収益を困難な状況にある子どもたちや若者たち、つまり次の世代に贈るような仕組みをつくりたいんです。まだ妄想段階ですが、話してみることで一歩が始まるかなと思って、話してみました。 


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この記事を書いた人

MotionGallery編集部

MotionGallery編集部です。

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