カフェ潮の路物語【その3】~さまざまなご縁に助けられて
vol. 7 2017-04-10 0
おかげさまで、「カフェ潮の路」の開店準備が進んでいます。
3月28日(火)には関係者による見学会をおこない、4月4日(火)には実際に注文を受けて料理を作ってみる「プレオープン」企画を行ないました。どちらも、「つくろいハウス」の元入居者の方を中心にたくさんの方が参加してくれました。
4月4日のプレオープンの様子
「カフェ潮の路」は4月18日(火)より毎週火曜日・木曜日の12~17時に営業することになりました。最初は週2日のみの営業ですが、そのうち徐々に日数を増やしていきたいと考えています。
また、同じ建物の1階では、駐車場スペースを改装したコーヒースタンドができました。こちらはすでに4月5日(水)からオープンしています。こちらは毎週火曜日~金曜日の12~15時に開いています。
1階にオープンしたコーヒースタンド
カフェの改装経費や準備費用のご協力をかってでてくださった方は、稲葉が大学生の頃に知り合い、その後20年以上に渡る彼の活動人生を見つめ、共に歩み、支えてくださった方でした。
また、カフェ担当となる私がカフェのオペレーションや料理のレシピを教わったのは、かつて福祉事務所のケースワーカーで、現在はカフェ「モモガルテン」のマスター嘉山さんとオツレアイの持田明美さん。この嘉山さんも稲葉の活動史の中で初期の頃から登場する人物です。
『そこに街があった』(遠藤大輔監督、1996年)という古い記録映画があります。その映画に新宿連絡会で活動をしていた青年稲葉が出てきます。冬の路上で頻繁に凍死者が出ていた時代の正月休み明け、路上生活者の一団を引率し、掛け声をかけながら福祉事務所にゾロゾロと向かう稲葉。そして、福祉事務所で「並んでくださーい!並んでくださーい!」とカウンターから身を乗り出して叫んでいるのが若き日の嘉山さん。カウンターで隔てられた立場の異なる二人の姿です。
その嘉山さんに私が初めてお会いしたのは、今から7年前のことでした。その頃、私はNPO法人ビッグイシュー基金でインターンをしていて、夜回りに参加した新宿の公園で、乳飲み子を抱いた家族に出会いました。聞けば地方から出てきてホテルを転々とした挙句に所持金が尽き、そのまま公園で夜明かしをするつもりだとおっしゃいます。すぐにツテを頼って宿泊できるビジネスホテルを確保し、そこに一泊してもらって、翌朝早くに福祉事務所に生活保護の申請同行を行いました。実はこれが私の人生はじめての申請同行でした。
福祉事務所が保護を求めてきた人たちをあの手この手で追い払う「水際作戦」は、それまでにも人の話や湯浅誠氏の本などで知っておりましたので、私はひどく緊張し、ナメられないように見栄えの良い服を着て挑んだのを今でも昨日のことのように思い出します。
かなり警戒して臨んだ福祉事務所ではありましたが、担当となった嘉山さんと女性相談員の対応は特に問題がなく、申請者に対するいたわりやさりげない心配りも温かく、生活保護申請はスムーズでした。しかし、福祉事務所に対する不信感を募らせていた私は、相談者家族が一時的に入所する施設にまで同行し、油断禁物とばかりに設備を見学したり、嘉山さんのケースワークぶりを観察していました。
一緒に戻る電車の中で、嘉山さんは、ビッグイシュー基金のスタッフとは言え、一介のインターンである私にいろんな話をしてくださいました。制度や運用の話が多く、当時の私には分からないことばかり。しかし、その時の嘉山さんの支援団体に対する苦言を、今でも時々思い出して一人笑ってしまうのです。
立場の違い、理想と現実のギャップ、支援団体と福祉事務所の関係の複雑さを考えさせられました。しかし、支援団体と名乗るだけで身を固くし臨戦態勢になる福祉事務所職員も少なからず存在する中、嘉山さんは立場の違いを超えて、忌憚ない意見を言い合える珍しいケースワーカーでした。
その嘉山さんが福祉事務所を定年退職され、オツレアイの持田明美さんと中野の堀越学園すぐそばに「カフェ・モモガルテン」を開いたのが4年前の4月26日。
カフェモモガルテン
廃材を上手に使ったカフェの建築や、ビオトープを擁した庭があまりにステキで、初めてコーヒーメンバーを伴ってお邪魔した時にはムズムズと落ち着かず、始終キョロキョロと物珍しげにインテリアや家具、建築などを眺めて感心しきりでした。
そのおしゃれさ、場の居心地の良さから、あっという間に人気になったモモガルテン。来る4月26日(水)、NHK Eテレで午後11時に放送される「ふるカフェ系 ハルさんの休日」にて紹介されます。番組を見れば、私が絶賛するのもお分かりいただけると思います。
■ふるカフェ系 ハルさんの休日「東京・中野 大都会の人情・二軒長屋」
嘉山さんはもともと福祉事務所のケースワーカーですし、明美さんは沖縄民族音楽の研究者で「シーサーズ」というバンドのミュージシャンでもある方。なのに、お二人とも(おそらく嘉山さんが師匠と呼ぶ明美さんが)料理の達人で、モモガルテンのメニューはどれも唸ってしまう美味しさなのです。
私は自分がカフェを運営するにあたり、是非ともお二人に弟子入りしたいとお願いしましたところ、あっさり受け入れてもらい、しかもお二人はご苦労されて確立されたに違いないレシピの数々を惜しむことなく伝授してくださったのです。なんという懐の深さ!
2人の師匠に囲まれて
どんなときも準備不足であたふたしている私を、頼もしい師匠二人が、時には手を引き、時には声援を送りながら、並走してくださっています。一体私は、いつになったらちゃんとした大人になれるのだろうと、五十間近になって情けなく思います。
パスタもモモガルテンのレシピを参考にしています
料理も素人ですが、カフェのインテリアも私が苦手とする分野です。
正直、ものにあまりこだわりがないのです。ああでもない、こうでもないと選ぶのも苦痛。そんな苦境を救ってくれたのは、センス抜群のご夫婦でした。元同僚である彼らは、あちこちの家具屋に足を運び、デッサンを描き、家具から照明や小物まで選んでセッティングしてくださいました。
センスが悪く、パソコン操作が苦手な私は、チラシや地図を作るのも憂鬱。そこは友人が二つ返事で引き受けてくれ、魔法のように温かい素敵なチラシを作成してくれました。
仕事の休みを返上して車を出してくれ、大量の買い出しを手伝ってくれた人、プレオープンに駆けつけてくれ、くるくると動き回ってくれた人、掃除を手伝ってくれたつくろい東京ファンドのシェルター卒業生たち…。カフェオープンの為に力を貸してくれた人たちの顔を、たくさん思い浮かべながら書いております。
関係性の貧困や、やりがいの貧困を解決する一助になればと開設を決めた「カフェ潮の路」は、その成り立ちこそが、多くの人々が紡いだ関係性によって支えられていたのでした。
「乳飲み子を抱いた家族をケースワークしていた頃、7年後に自分が趣味の良い古民家カフェのマスターになっていることを想像できましたか?」
そう聞くと、「できないよ、そんなん」と嘉山さん。
「私もです」と私。
人生はつくづく予測不能です。
脈絡がないように走ってきた道程が、のちにふりかえればジグザグながら一本の路になっているのでしょうか。
今はただ、クラウドファンディングで私達に走る力を与えてくれている人たち、一緒に走ってくれる人達に恥ずかしくないよう、誠実に悩みながら、逡巡しながら、必死に走っています。本当に多くの人の力に支えられ、一つのプロジェクトが始まろうとしています。どうぞ、今後ともお見守りください。(小林美穂子)