シェルター+こどもクッキングサロン×若者向けシェアハウスをクラウドファンディングで実現!

空き家活用!シェルター+こどもクッキングサロン×若者向けシェアハウスを作りたい!

新宿区と墨田区の2か所の空き家を活用し、生活困窮者のためのシェルターとこどもクッキングサロン×若者向けシェアハウスを開設します。

Funded successFUNDED

このプロジェクトは、目標金額1,000,000円を達成し、2015年10月30日23:59に終了しました。

コレクター
104
現在までに集まった金額
1,201,000
残り日数
0

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このプロジェクトは、目標金額1,000,000円を達成し、2015年10月30日23:59に終了しました。

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Presenter
一般社団法人つくろい東京ファンド 代表理事 稲葉 剛 プロフィールを表示

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1969年、広島県広島市生まれ。1994年より東京・新宿を中心に路上生活者支援活動に取り組む。20年間で3000人以上の路上生活者の生活保護申請を支援。 2001年、湯浅誠らと共に自立生活サポートセンター・もやいを設立し、共同代表に就任(2003年より2014年まで理事長)。2014年、一般社団法人つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者支援に乗り出す。 一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、生活保護問題対策全国会議幹事、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授。

あと369000円! こどもの貧困について栗林知絵子さんに聞きました!【前編】

vol. 7 2015-10-18 0

応援ありがとうございます! つくろい東京ファンドです! 

クラウドファンディングも残り13日。おかげさまで「あと369000円」というところまでやってまいりました。 

残りあとわずか! どうか引き続きご支援&応援よろしくお願いします!

さて、今回は「あさやけ子ども子ども食堂」や「プレーパーク」「無料塾」など、現場・地域レベルで子どもの貧困に対する支援する事業を次々と打ち出し、実践しているNPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク理事長・栗林知絵子さんにお話を伺いました。

わたしたちのプロジェクトの先達として、自身の子ども時代の原体験、支援の世界へ足を踏み入れた経緯から、現在の社会をめぐる状況、今後の事業展開まで幅広く聞かせて頂きました!

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栗林知絵子(くりばやしちえこ)さんプロフィール
東京都豊島区在住。6人家族で大学生、高校生の男児2人の母。2004年より池袋本町プレーパークの運営に携わる。自他共に認める「おせっかいおばさん」で、地域のおせっかいさんを繋げ、子どもの居場所を点在化することを目指している。「NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」理事長。民生児童委員。
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「おせっかい」のDNA

── インタビューさせていただいている方に、いつも最初に尋ねている質問なのですが「あなたは一体何者」なのでしょうか?

栗林:「おかあさん」ですね。子育てを十分楽しんだ、おっせかいなおかあさんです。

── 栗林さんご自身は、どのような子ども時代を過ごされたのですか?

栗林:私は叔父が営む鉄工所の2階に住んでいました。隣は祖母の自宅でその隣も工場で、そのまた隣は別の叔父が木工所を営んでいて、その隣が叔父の家です。そこで働くおじさん達と家族のように暮らしていました。誰もが「ちえちゃん」と声をかけてくれるし、親戚の家に勝手に上がり冷蔵庫を開けて食べたいものを貰えました。母は叔父が営む鉄工所で経理の仕事をして、父も隣の工場で仕事をしていましたので、親に会いたくなればいつでも会える環境に居ました。夏になると両親は、仕事が終わると私を含む地域の子どもを連れて片道40分かけて毎日のように海へ連れて行ってくれました。 

母は兄弟が多かったのですが、その中のひとりの公一おじさんは血が繋がっておらず、実の親から口減らしに捨てられてしまった子を、祖母のおっせかいで引き取った人だったんですね。私が小学校の時におじさんは亡くなり、今も仏壇に写真が飾ってありますが、おとなになって初めて公一おじさんの生育歴や家族になった経緯を聞きビックリしました。 


また、母のすぐ下の弟は精神障害がありました。祖母の家は、3世帯同居9人家族で、昼は父も一緒に仕事をしていました。なにしろ賑やかでした。
新潟県長岡市は自然豊かなところです。冬は雪道で、夏は土手や川で思いっきり遊んだ思い出が、今では私の宝物です。その思い出と、祖母から引き継いだ「おせっかい」のDNAが、現在の活動に繋がっていると感じています。

── どのようなお子さんだったのですか?

栗林:昔からちょっと変わった子だったと思います。学校では困った子でしたね。両親が細かいことは干渉しなかったので、勉強はしないし、関心のあること以外はやらない。先生から注意されても「はい?何が?」という感じで、全然応えない。マイペースな子でした。

工業高等専門学校(高校)1年でいきなり留年したのですが、「友達が2倍に増えるね」と思う程度で、凹むこともなく学校を楽しんでいました。学校の先生もクラスメートも先輩も、私を排除することなく、いつも支えてくれました。もしかして排除されたのかもしれませんが、空気読めないので感じなかったのかもしれませんね(笑)

就職を機に上京するのですが、試薬メーカーで学術営業の仕事に就きました。退社までの8年間、社外で常に人と関わる仕事でした。学校の恩師が「ちえこが務まる仕事は、この会社くらいだろう・・・」と選んでくれた会社です。ただそれだけの理由で面接に行き、入社したのですから、将来の展望なんてことは何も考えていなかったんですね。 会社では上司や同僚に「常識の幅が、ふつうよりちょっと広いだけだよね(笑)」と言われていましたが、包容力のある恵まれた環境でのびのびと仕事ができたことに、感謝しています。

子育てがひと段落してから今年の3月までは近所の会社に勤めていました。何か興味を引くものがあると、そっちへ走っていって帰ってこないし、仕事中に妄想にふけっていましたので「サザエさん」と呼ばれていました。 

「宝物のような思い出を子どもたちにも作ってあげたい」

── そんな「何も考えていなかった」栗林さんが、子ども支援に関心を持つきっかけは何だったのでしょうか?

栗林:次男が生まれたことがきかっけです。次男は生後一ヶ月で細菌性髄膜炎で生死をさ迷い、命を取りとめました。その後小麦と卵、乳製品の食物アレルギー(アナフィラキシー)があることがわかりました。「どうして生まれて間もない次男が苦しむんだろう?」と悩みました。自分の今までの生き方を振り返ったし、命の大切さや責任感も感じました。「この子が少しでも生きやすくなるために、何ができるだろう?」と考える中で、次男の身体をつくる「水」や「食」に関心を持ち始めました。

次男は小麦が食べられないので、うどんもパスタも食べられない。お米しか食べられないんですね。じゃあ「どうやったらこの子が毎日おいしくお米を食べてくれるだろうか?」と考えた時に「青空の下で、おなかペコペコだとごはんがおいしいかもね?」と考えたんです。 


それから毎日、2歳違いの息子ふたりを自転車の前後に乗せて、握ったおにぎりと水筒、子どもの着替え一式を持って、いろいろな公園や遠方のプレーパークまで出掛けていきました。同居の義父母の目を盗み、来る日も来る日もおにぎり持って公園で遊び呆けていましたよ(笑)そこで一緒にたくさん遊んで、おにぎりを外で食べることによって、なんとかお米を毎日おいしく食べることが出来たんです。

そんな日々の中から思ったのは「私には自然があり、冒険できる環境で育ち、夢中で遊んだ思い出があるのだけれど、この子たちに冒険できるような環境が少ない。宝物になる思い出をつくる環境を創りたい」ということでした。その思いの中から、豊島区内で「自然の中で子育てしたい」母親グループが出来て、さまざまな子育て情報や思いを共有しました。その一つに、「親であっても子であっても、人は対等であり、互いを尊重する関係だ」という考えに出会いました。

目上の人に逆らうたびに「年上に向かって、その口のきき方はなんだ!」と言われ、頑張って成果を出すと、欲しいものを買ってもらえる・・少なからず、そんな誘導的な育ちをしてきた私にとって「人は対等・尊厳を守る」手法は目からうろこでした。忘れていた「子どもの頃に感じた苛立ちの感情」を思い出して、私は子どもには同じことをしないぞ!と決めました。

いま、話しながら気づいたのですが、私自身あの時に「負の連鎖を断ち切ろう」としていたんですね(笑) それからは「子どもの尊厳」を守る子育てに、努めました。

いきなり代表に! 池袋本町プレーパークの勃興 

── 2004年に、豊島区内の冒険遊び場「池袋本町プレーパーク」の運営に関わり始めます。それはどういった経緯だったのですか? 

栗林:全国に広がるプレーパークのほとんどは、子どもが遊ぶ環境を守るため市民が繋がり、行政に要望し協働で創る市民運動です。しかし豊島区の場合「区政70周年事業」と称し、行政主導でプレーパークづくりのワークショップが開催されました。私はそのワークショップに参加したのですが、プレーパークの開催場所も、開催時期もあらかじめ決まっていたんです。そのため市民からの文句も多くて、コーディネーターが交替したり回を重ねるたびにメンバーが減って行きました。 

ワークショップ当初、現役子育メンバーは4組いましたが、最後まで残ったのは私だけでした。あとは町会推薦で指名された育成の方と、地域の男性、合計3名です。 なんとも心細い発足でしたが「ここでやらなかったら豊島区でプレーパークが実現することはないな」と思っていました。

いろいろ批判もあるけれど、とにかく始めないことには。そんな思いから、唯一残った現役子育て世代というだけの理由で、私がいきなり「池袋本町プレーパーク」の代表になってしまったんです。

── そうして2004年にスタートした「池袋本町プレーパーク」ですが、当時はどのような運営状況だったのですか? 

栗林:子ども達は多い日では80人。寒い日などは遊びに来る子も少なく、5人しか来ない日もありました。外遊びが好きな子は、毎回やって来て一日プレーパークで過ごしていました。なかには困難を抱えている子もいました。

プレーリーダーは有償のボランティアでシフトを組み、開設していましたが、リーダーが2人いないと開催出来ません。ボランティアは大学生を中心にお願いしていますので、平日は来られないこともしばしばで、リーダーが2人が揃わないと私が会社を休んで出ることもありました。土日曜日はリーダーがいてもいなくても私もプレーパークに行き、地域の子どもたちと継続的に関わるようにしていました。

── 運営していく中で、悩みはありましたか? 

栗林:プレーパークを開設した場所は、地域の方が「ひろばの会」を結成して長年管理していた防災ひろば(空地)です。そこを水曜、金曜、土日祝日をいきなりプレーパークが使用したわけですから、地域住民の理解を得ることは難しかったですね。 

「子ども達が野放しで、危なっかしいことをやっているじゃないか!」「好き勝手遊んでいる。なんで注意しないんだ!」という苦情が区役所に届きましたが、年々苦情が減り、「子どもの声、賑やかでいいわね」と声をかけていただけるようになりました。 

苦情が多かったころは「栗林さんが辞めるっていったら、いつでもやめるわよ」という感じで、私が「やめる」といえばこの取り組み自体がなくなってしまうな、と感じていました。だからしんどくても「絶対にやめられないぞ」「子どもの遊び場をなくすわけにはいかないぞ」と思っていましたね。

一方で、年に4回のイベントでは少ないボランティアと運営者では手が足りなくて苦労しました。しかし、そのたびに町会推薦で運営に関わってくださいました副代表が、地域の青年団や育成委員会のみなさんに協力を仰ぎ、毎回多大なるサポートをお願いすることが出来ました。ウォータースライダーやそうめん流し、ドラム缶風呂など多くの方のご協力で、子どものやってみたいことが実現できました。

10年がかりで学んだことは、地域の中で活動する場合、地域のみなさんの応援や見守りがなくては活動はできません。ですから活動を理解していただく努力が大切だということです。まずは、自分が地域で協力できることに参加して、初めて地域の方が私の声に耳を傾けてくれる。地域活動は地域と繋がらなければ上手くいかないと実感しました。
結局、共に活動を分かち合う仲間を作ることは難しかったですね。現場の運営の立場では孤立していました。ただ、ボランティアに来てくれていた学生とは、子どもひとりひとりについて共に考え、悩んだことが楽しかったです。

【後編へ続く】

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    • スタッフによる貧困問題レクチャー(2時間程度)
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