『刻』スタッフ紹介【スチールカメラマン 宮地晋之介】
vol. 37 2021-05-09 0
クラウドファンディング、本日含め残り2日となりましたが、本日は10年間『刻』をフィルムの写真として刻んでくれる長野市在住のスチールカメラマン、宮地晋之介さんを紹介します。今日は他には何も書きません。ぜひ読んでください。
スチールカメラマン:宮地晋之介
宮地晋之介 1992年 愛知県生まれ
宮地さんから『刻』へのメッセージです。
みえてるキズ。みえないキズ。みようとしてもみえないキズ。みえないのにみえるキズ。
それはキズだけどキズではない。
そのキザまれたそいつは歪で捻じれて不規則に真っすぐで言葉では追いつけないし姿はないがあらわれる。よくわからない。
夜。色々なヒトがアルコールを乗り物にして現在地を知りたがり、途方もない行き先を訪ねる。そこに明確な答えは無い。
それでもカウンターに居るその人は、全身全霊でその問いに、速度をもって反応し呼応し、また自分の内面の揺れをキャッチし続けながら途方もないやさしさと慎重さと狂気をもって受け止め思考する。
走りながら立っている。外と内に引かれた真ん中の線を何度も跨ぎあっちこっちと。それは終わりのない反復横跳びのようだった。
そして、その人の体内には映画が流れている。映画を血肉に。映画の持ちうる可能性を器に。その人にとって映画が生きることそのものだ。また映画を通してその日その日生きた証を探し続けている生きもの、塚田万理奈。
塚田万理奈に対して、私は言葉を持てるのだろうか。少なくともあの人無しに私は持てない。
持てたとしても心底足りないし零れ落ちる。5年前、あの人は公開前の映画パンフレットに新宿でたまたま出会い、手に取り、長野へ持ち帰った。その トキ は、「何か」が関係したし、「何か」が拾われ、「何か」が産まれ繋がれ、また「何か」が捨てられ「何か」が消えたトキでもある。
「生きる術を今も探すのに必死でまた今日も自動的に夜がくる。」
感じられることはいつもほとんど同じでいて、それでも少しずつ変わり、見え方受け止め方進み方に限りはない。
かたちが無かったり言い表せれないことは存在しないとされるのか。歴史や時間や思考は同じ方向に同じところにしか刻まれないのか。問う。地続きの今から発想し、抱え変えたいし、刻み返したい。
私もひたすらに、感じ、考え、彷徨い続け、探します。