【応援コメント17】FJ編集長・藤吉雅春さんからコメントをいただきました!
vol. 19 2024-07-18 0
Forbes JAPAN 編集長の藤吉雅春さんからコメントをいただきました。
藤吉さんとの最初の出会いは、これまたいただいたコメントに譲るとして、私がものすごく覚えているのは、3回目にふたりでお茶をしたときのこと。私が幼い頃の父の恋人に、大学生になってから「会いたい」と電話し、金沢・香林坊のジャズバーのカウンターで並んでお酒を飲んだ話を、いつの間にか話してしまっていたのです。藤吉さんはニコニコしながら、「堀さんは書く人ですねえ。その話、いつか書かないとダメですよ」と言い、お茶代を払ってくれました。
その時点で藤吉さんが名インタビュアーだということを私はよくわかっていませんでした。実は『週刊文春』のエース記者で、スクープを何本も取っていた人だったのです。なんなら「北朝鮮を綿密に調べまくったところ、危うく拉致られそうになった」という噂話まで耳にしたことも(さもありなん……)。
いや、仕事上のスタイルはともかく、誰もが皆、あの屈託のない笑顔と、続きを話したくなるうまい相槌と投げかけに、うっかりゲロゲロと吐いてしまう。怖い人です。刑事になったら、みな完オチでしょう。
それから数年後の2015年、『Forbes JAPAN』の副編集長になっていた藤吉さんから1本の電話があり、お仕事をご一緒させていただくことになりました。小山薫堂さんの連載が始まる際、担当に推薦してくださったのも藤吉さんです。感謝をこめて。藤吉さん、ご馳走しますから、はよ飲みにきてください!!!
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堀香織さんと初めてお会いしたのは、16年くらい前です。
当時、堀さんは講談社の先駆的なWebメディア「MouRa(モウラ)」という編集部で仕事をしており、その編集長と私は30年ほど前に同じ釜のメシを食っていた関係で、飲み会に誘ってもらいました。(ちなみに、MouRaとは当時から「どういう意味なんだろ」と思っているうちに2009年になくなってしまったのですが、今考えると「網羅する」という意味ではなかったのかなと思ったり。90万部の大ベストセラーとなり社会現象となった「生協の白石さん』もMouRaから誕生しました。)
それから時は過ぎ、2024年。私は京都の路地にある日本酒バーで堀さんと飲んでいました。正確に言うと、カウンターの向こうに堀さんがいて、私は客席。
実は『Forbes JAPAN』は、京都府と京都市との連携協定を締結。府知事と市長と調印をして以来、編集長の私は京都に通いつめ、2023年には日本で初のイベント「カルチャープレナーアワード」を開催したのです。これは京都をカルチャープレナー(文化起業家)の聖地にすべく、伝統をアップグレイドする起業家たちを集めたイベント授賞式で、カルチャープレナーという概念そのものが日本では新しく、また京都市との共催という試みも初めてであり、もう京都どっぷりとなりました。
そうして京都に通うようになると、いつの間にか日本酒バーのカウンターに堀さんがいました。私は人生のサードプレイスを持とうなどとは思ったこともなかったのに、まさかの京都です。人生の後半で、京都とのご縁を強固にしたのは、堀さんなのでした。
知らない土地のバス停にふらっと降りて、辺りを見渡すと、店の奥から堀さんが顔を出して「いらっしゃい」と声をかける。当たり前のように風景に馴染んでいる堀さん。そして、当たり前のようにカウンターに座る私。よく考えたら、なぜ堀さんが京都にいるのか、一度も聞いたことがありません。
でも、そんなロードムービーのような光景が似合う人だから、気にしなかったのでしょう。それ以上でもそれ以下でもなく、当たり前のように存在する。ご縁とはそういうものなんだなと気づかせてくれました。
これからもおりを見てふらっと寄ろうと思うので、そこでの出会いをまた人生の喜びにしたいと思います。
Forbes JAPAN 編集長
藤吉雅春
©︎小田駿一