タラール・デルキ監督STATEMENT
vol. 11 2015-05-16 0
映画『それでも僕は帰る』(仮)、タラール・デルキ監督のSTATEMENTをアップしました!
http://unitedpeople.jp/homs/directors-statement
この映画は、自由を求めてあらゆる困難や敵に立ち向かってきたシリア市民を描くもので、同時に、戦争と戦場における重圧感を物語るものです。
私はホムスに入って、初めてバセットに会った時、「彼こそが自分が探し求めていた人物だ」という強烈なインスピレーションを受けました。この19歳の勇敢な若者は、ユニークでカリスマ性に溢れ、誰とでもすぐに打ち解けることができました。誰もが彼を好きになり、そのエネルギーは人々の力の源となっていたのです。
バセットはいつも自分の感情をストレートに表現します。サッカーをしていた頃も、その豊かな感情表現で有名なゴールキーパーでしたし、革命においても同じでした。ホムスでの最初の抗議活動で、バセットが他のメンバーの肩の上に乗り、シャツを脱いで、歌い出したことがあります。「スナイパーさんよ、俺の首は、頭は、ここだ!」というような具合に。「俺はアブドゥル・バセット・アルサルート。顔も名前も隠すつもりはない。ここにいて、正々堂々とシリア政権に反対する」そんなメッセージでした。
平和的に始まったシリアの抗議活動は、まもなくホムス包囲に発展し、国全体に戦場や暴力が広がっていきました。スナイパーが市民を撃ち、政権が罪のない人々を殺す。バセットが武器を手にとったのはそんなときでした。
映画のなかで、オサマのキャラクターは視聴者の視点を取るものです。オサマのカメラを通じて、視聴者は自分たちがホムスに存在するかのように感じるのです。私はオサマの映像作家としての役割を強調したいと考えていました。私たちが焦点を当てたのは、バセットとオサマのキャラクターです。
映画制作は途切れなく行われました。バセットや仲間たちが身動きが取れない状況にあったときも、ズームレンズを使って撮影が続けられました。このとき彼らは、15日間をかけてトンネルを掘り、なんとかハリディヤまで戻りましたが、このシーンはかなりショッキングなものです。銃撃によって、数秒前まで生きていた戦士が亡くなるのですから。
この危機は、私たち一人ひとりに変化をもたらしました。多くの困難、なかでも「死」は、私たちを最も大きく変え、誰もに傷跡を残しました。エスカレートする暴力、身近な人々の死、不当な仕打ちや仲たがいなどで、私たちは変わっていきました。しかし、バセットは常にパワフルで強い意志を持ち、かつても今も忍耐強くあり続けています。
ー タラール・デルキ