<製作ノート⑪>個人的停止・1【2019年7月】
vol. 26 2021-11-07 0
『ブラックホールに願いを!』監督の渡邉です。
『ブラックホールに願いを!』製作の経緯を執筆するシリーズですが、まだまだ『ブラックホールに願いを!』という企画には辿りつきません。
2018年10月、ついに(『ブラックホールに願いを!』ではない)企画の製作を決意し、2019年7月に初稿を書き上げました。そんな折、重大事件が発生しました。
当時の企画を担当していたプロデューサーから、企画を抜本的に変更するよう要請がありました。
あまりに突然のことで、しかも初稿を書き上げた翌日のことで、僕は大変混乱しました。変更を要請する理由の説明も受け、それは相応に納得のいくものではありました。しかし打ち合わせを重ねていくうちに、そのプロデューサーは会うたびに真反対の要請をする方なのだとの所感が強まっていきました。つまりどれだけこちらがその要請に合わせて企画を再検討しても無駄だと理解せざるをえませんでした。残念ながらそのプロデューサーとはその後ともに製作を続けることを断念しました。
なんかもう猛烈に落ち込んだので、USJに行きました。
2019年7月、USJにて。ちょうど『ゴジラ対エヴァンゲリオン』をやってました。
半年間持てる全てを注ぎ込んだ企画が中止となり落ち込みました。折角USJに来たのに頭がぼーっとしてあまり楽しめませんでした(しかし指はしっかりゴジラを再現している)。
当時進めていた企画は、当時のプロデューサーが提示した製作費からの逆算で考案した内容でした。つまり、そのプロデューサーと袂を別つことは作品自体を一旦断念せざるを得ないことを意味しました。「五カ年計画」は完全に振り出しに戻りました。
「五カ年計画」が何を目指すのか自体を、もう一度根本から再考する必要がありました。しかし残念ながら、当時僕は心の底から打ちひしがれてしまい、すぐにはその作業に取り掛かることができませんでした。
とどめに、相棒の角洋介くんが突然心臓の病気で入院してしまいました。無事一命を取り留めたものの、僕も生きた心地がしませんでした。(詳細は<製作ノート②>撮影監督・角洋介について参照)
かくして自分の才覚のなさに心の底から絶望し始め、映像を作ること自体をやめようと考え始めました。長い長い「五カ年計画」の、真の迷走の始まりでした。
しかし、どうしても僕は映像を作ることを諦めきれませんでした。
次回はそんな混乱の中で自分の再起をかけて作った短編『リバイバル』を紹介させていただきます。