『戦争の記録』をつうじて、終戦記念日に思うこと
vol. 3 2019-08-14 0
昭和54年(1979)、岐阜県美濃加茂市。子どもをもつその村の女性たちは、私設の図書室を作ります。それが、文庫サークル「伊深親子文庫」の始まりです。親子文庫は、読書会や図書室解放活動とともに、地域に現存する「戦争の記録」を次代に残すための自主出版活動を始めました。『戦没農民兵士の手紙』(岩手県農村文化懇談会・編、岩波書店、1961)に触発されてのことでした。
はじめに取り組んだのが、フィリピンのルソン島で戦死した同町出身の渡辺譲さんの遺品のひとつ『慰問文集』を復刻・再発行することでした。昭和14年にその町の子どもたちによって綴られた〈平和への願い〉を、3ヶ月をかけて一文字ずつ鉄筆でなぞり、町内に配りました。
そこにはどんな言葉が綴られたのでしょうか。例えば、『田植』と題された慰問文にはこんな文章があります。
今年はお天気都合がよく麦の取り入れもすっかりすみました。苗代にはどこも誘蛾燈があります。夕方になるときれいに火がつけられます。私も火をつけに行きます。
(福田淸子さん、伊深尋常小学校4年生[当時])
戦地に赴いた“兵隊さん”の多くは、故郷に田畑をもった農家の若い働き手でした。また、慰問文を書いた子どもたちの父や兄でもありました。残念ながら、子どもたちの言葉を読んだ兵士のうち、渡辺さんのように生きて還れなかった人たちも、村にはたくさんいました。
その再発行がきっかけとなり、親子文庫のもとには、元兵士の手紙や日記が村の内外から集まってきました。それ以来、文庫の皆さんは、寄せられた手紙や日記をみずからの手で複写した冊子『戦争の記録』を、毎年8月15日に途切れることなく発行していきます。
親子文庫の皆さんは、兵士たちの言葉とどのように向き合っていたのでしょうか。『戦争の記録 第5集 特集:僕の父ちゃん兵隊さん』のまえがきには、こうあります。
私供は『戦争の記録』を、ただ単に、戦争そのものの記録だけでなく、戦争がおこったことによって、この伊深村のくらしがどう変化したかをたどってみたいと考えています。
約40冊ある『戦争の記録』の中には、実にさまざまで複雑な背景を背負った言葉の数々が残されています。「私は今あなたが見えたらと思います」といった、遠く離れた夫に対する妻の切実な言葉。戦死した兵士が生前に書いた、母親を心配させまいとする気丈な言葉。戦艦大和の乗組員だった元兵士の、戦争の記憶の風化を憂う言葉。ニューギニアで遭遇した敵機の襲来でバラバラとなった戦友を弔う、言葉にならない言葉。帰郷中に広島で被爆した際の、生死の境をさまよった言葉。
そんな言葉たちを約40年にわたってなぞり続けてきた『戦争の記録』の出版活動も、平成29年(2017)8月15日の第39集の発行をもって休刊しました。また同時に、伊深親子文庫の活動も一区切りを迎えました。
長きにわたり続けてこられた伊深親子文庫の取り組み、また、『戦争の記録』という自主出版活動を、どのように引き継いでいけばよいのか? それが、『慰問文集』再々発行プロジェクトが直面する大きな問いです。それはまた、戦争の経験のない世代が、その記憶をいかに継承していくのかという、令和に生きる私たちの問いでもあるのです。
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