レオナルド・ダ・ヴィンチについて Part.2
vol. 11 2019-01-16 0
レオナルド・ダ・ヴィンチについて
Part.2 ミラノ時代~就職活動
1482年、30歳になるレオナルドは、ミラノ公国に居を移します。
当時のミラノは傭兵隊長からミラノ公となったスフォルツァ家が支配する公国でした。
北イタリアはフランスや神聖ローマ帝国など覇権争いの絶えない地でした。ダ・ヴィンチも建設にかかわったスフォルツァ城の要塞然とした堅固な建物が、当時の情勢を物語ってくれます。
スフォルツァ城。15世紀に建てられ、16~17世紀にかけ改装、増築された。
さて、レオナルド・ダ・ヴィンチは、君主ルドヴィコ・スフォルツァに宛てた自薦状を携えてミラノにやってきます。
自薦状にはこのミラノの情勢を見越してか、軍事技術の売り込みが書かれています。
例えば
・軽くて強固な橋を作る方法を知っている。
・私の大砲は容易に運べ、煙によって敵に甚大な被害と混乱を与えられる。
・望んだ地点に到達する地下トンネルや、秘密の通路を、音を立てずに掘る方法を知っている。などなど。
そして
・平和時には、公私問わず建物の設計ができ、彫刻も絵画も作れます。お父上の立派な騎馬像も作れるでしょう。
という一文も添えられていたようです。
自薦状の下書き
この自薦状をルドヴィコが読んだかどうかはわかりませんが、宮廷での謁見の際にレオナルドはもう一つの特技を披露します。
それは、「リラ」による即興演奏でした。
同時代人の証言によると、「レオナルドは自ら作ったリラを携えていた。大部分が銀製で、馬の頭蓋骨を形どった風変わりな新趣向の楽器で(中略)、レオナルドは宮廷にいたどの音楽家より優れた演奏を披露した。加えてレオナルドは、当代随一の即興詩人であった。」そうです。
リラというと現在では竪琴をイメージしますが、当時リラというと「リラ・ダ・ブラッチョ」というヴァイオリンに似た弦楽器のことでした。
2本のドローン弦と5本の旋律用の弦でできていて、ルネサンス時代のイタリアで即興演奏の際にかかせない楽器でした。
さて、レオナルドは無事就職できたのでしょうか?(笑)
結局のところ軍事技術者としてではなく、画家、設計家、建築家、そして音楽家&祝祭イベント企画などとして活躍することになります。
もう一人の同時代人の証言
「彼は並外れた天才で、礼儀正しく几帳面かつ寛容で、見た目も明るく上品。また舞台の為に巧妙な仕掛けや楽しい工夫を次々に生み出す驚くべき発明家であり熟達者でもあって、リラを弓で弾きながら、生涯を通じて見事に諸侯の心を慰め続けた。」
次回はリラ・ダ・ブラッチョを紹介します♪