番頭日誌 第十四話「少年晩夏」
vol. 14 2023-10-26 0
毎度お世話になっております。
京丹後TRAILERの番頭でございます。
クラファン開始から【39日目】。
現在、【166名】のコレクター様からいただいたご支援額【¥1,809,000】。
目標達成率【226%】。
皆さまからのあたたかいご支援、本当にありがとうございます。
クラファン期間も、残り2週間と少しとなってまいりました。
最後まで応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
さて、本日も番頭日誌、なるべく思い出補正しないよう、記憶の証言を聞きに行ってみたいと思います。
私は、尊敬する方々とのご縁により、とても刺激的な2年間を東京で過ごさせていただきました。
色々な事情が重なったこともあり、私は東京を去る決断をしました。
そして、再び大阪に帰ってまいりました。
映画館のある町に住みたく、大阪市西区、九条という町を選びました。
当時、近くにはUNCHAIN谷もいたり、その後には谷よりもうひとつ下の部活の後輩マサノリも来たり、よく3人でいっしょにいました。
大阪に帰ってきたとき、以前に働かせてもらっていた居酒屋に顔を出したら、戻ってこいと声をかけてもらってまた働かせてもらいました。
日雇いの肉体労働などもしておりましたが、居酒屋のバイトで知り合った友達が日中はコールセンターで働いていて、そこを紹介しますよと言ってくれてバイトさせてもらい始めました。
その頃は、バンドの友達と遊ぶのが楽しく、よくライブハウスに遊びに行ったり、裏方のお手伝いなどさせてもらっていました。
そして、2006年の夏、CONSTRUCTION NINEとsounds like waterの2バンドで「RETURN TO THE MOON TOUR」を企画しました。
8日間6ヶ所の関東でのライブを中心としたツアーでした。
5ヶ所目の横浜でのLIVEに、私の心の師であるKさんが観に来てくれました。
ツアーに出る前に、今こんなことをやっていますと、一応メールでご連絡させてもらっていたのでした。
翌日から仙台で映画の撮影が始まるとおっしゃられていましたが、お忙しいなか、わざわざ足を運んでくださいました。
ライブが終わって、ご挨拶をとKさんを探すと、もう帰られようとしているところでした。
地下1階から地上へ続く階段で、Kさんにお礼をお伝えしました。
「いいバンドたちだな。で、お前は何がやりたいんだよ?」と問われました。
そのとき、何とお答えしたかは、はっきり憶えておりません。
バンドの友達のお手伝いをしたいと思ってます、というようなことをお答えしたのだと思います。
すると、「◯月◯日頃、東京に戻る。その頃に、東京においで。」と言われました。
そして、数週間後、私はKさんに会いに東京に行きました。
映画製作を生業にされているプロデューサーさんです。
何かをつくる、ということを仕事にするということについて、とても丁寧に多角的にお話しいただきました。
それは、今でも事あるごとにそうで、私はKさんからのご指導をいただき続けています。
とても優しく経験談をお話してくださったり、問いかけをいただき続けています。
とても有り難いことです。
そして、その後、私は、Kさんやたくさんの方々にお世話になりながら、インディーズレーベルを運営させていただきました。
レーベルの名前は「LOSER RECORDS」にしました。
私のその頃の心境を、そのまま名前に反映しました。
そして、私は、CONSTRUCTION NINEのmini albumを2枚と、猿ダコンクリートのmini albumを2枚、計4枚の音源をリリースするお手伝いをさせていただきました。
しかし、私は、売り上げ的には成功と呼べる結果に至るようなサポートをしてあげることが出来ませんでした。
勢いだけはあったように振り返りはするものの、知性、考察力、想像力、人間力等々、殆どのものが圧倒的に足りておらず、あまりに未熟でした。(今も大して変わりませんが)
2010年4月の猿ダの2ndのツアーファイナルを以って、私はレーベルを閉業しました。
多くの方々にご迷惑をおかけし、期待を裏切り、またしても失敗に終わりました。
CONSTRUCTION NINEや猿ダにも、とても悪いことをしてしまったと思いました。
自分のこともとても嫌いになりました。
合わせる顔がないような気がして、あまりライブハウスに行かないようになりました。
そして、その後、CONSTRUCTION NINEは、2012年いっぱいでの活動休止を発表しました。
話を、少し現在あたりに戻します。
CONSTRUCTION NINE(以下:コンスト)との話には続きがありました。
コンストの活動休止は、メンバー各々の生活の変化等の理由が主だったと思います。
ソウタは小豆島、小島は大阪、ゲンは京丹後と、生活の拠点の距離も離れました。
年間で数本のライブには出演する、というような活動を緩やかに続けていました。
そして、2021年頃、ゲンから、またコンストとして新しい作品を創り始めようと思っているという話を聞きました。
しかも、今までにない曲数を詰め込んだ作品をつくることを目標としていると。
2022年3月のある週末に、大阪で1回目の録音をすることになったと聞きました。
場所はあの頃と同じスタジオ、同じエンジニアさん。
私も連れていってほしいとお願いしました。
その2日間で、コンストは2曲の新曲を録音しました。
2曲とも、とてもいい曲だな、と思いました。
作業を終えて、ゲンといっしょに京丹後に帰ってきました。
私は、その2日間、コンストが録音作業している様子を動画で撮影していました。
別に頼まれた訳ではありませんでしたが、すぐ編集に取りかかり、ミュージックビデオのようなものに仕上げました。
新鮮な感動と高揚に、あの頃の罪滅ぼしのような気持ちを加えて点火して、一気に燃焼してしまいたいような気持ちでした。
結局、帰宅から24時間経たずに、その原型は完成しました。
出来たものをコンストのみんなにすぐ共有しました。
それが今はもうYouTubeで公開されているあのミュージックビデオです。
ちなみに、あのとき録音した2曲は、7インチのアナログレコードにしてコンストが自主リリースしました。
アートワークは川口さんに監修してもらって、みんなで油絵を描いたり、とても楽しい制作でした。
そのとき、ゲンのインタビュー記事も川口さんの編集でTanTanPocketさんに特集してもらったりしました。
なかなか面白い記事ですので、もしよかったら探してみてください。
コンストの制作はまだ進行中です。
みんな忙しいなか、わずかな時間を繋いで曲作りをしたり、大阪に集まって録音したり。
私も、録音のときはいつも同行させてもらっています。
とても刺激的な時間をコンストに共有してもらっています。
コンストのために出来る限りのお手伝いをさせてもらいたいと思っています。
私はいま、やり直しの機会をコンストにもらっているからです。
私が好きなあるラッパーさんが、リリックで、人生のことを四季で表されることがあります。
人生 Four seasons、私はいまどのあたりの季節にいるのでしょうか。
ともあれ、季節ごとに収穫出来たものを再確認し、失敗を再確認し、現在に活かすしか出来ることはありません。
耕し続けて、汗かいて、手間かけて、少しづつ育てていくことでしか、豊作は目指せません。
私はそんなふうに考えています。
クラファン期間残り【16日】。
京丹後TRAILER
番頭