番頭日誌 第十一話「Why Can’t We Be Friends?」
vol. 11 2023-10-17 0
毎度お世話になっております。
京丹後TRAILERの番頭でございます。
クラファン開始から【31日目】。
現在、【153名】のコレクター様からいただいたご支援額【¥1,734,000】。
目標達成率【216%】。
皆さまからのあたたかいご支援、本当にありがとうございます。
最後まで応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
番頭回顧録、青年期、大阪青春編に突入でございます。
高校を卒業して、はじめは従兄弟のお兄ちゃんのところにお世話になって、アルバイト先を決めました。
その後、大阪市淀川区にアパートを借りてひとり暮らしをはじめました。
アルバイトを掛け持ちして、なんとか生活しておりました。
ライブに遊びに行くことと、映画館に行くことが好きでした。
丹後にいたときはできなかった遊び方ですね。
お金はぜんぜんなかったので、限られた条件のなかで厳選し、毎回が一本入魂の心意気で楽しんでおりました。
そして、番頭青年、二十歳の夏。
当時、アルバイトをさせてもらっていた飲食店の先輩と、その友達の方々に「FUJI ROCKに行こう」と誘っていただきました。
フジロック!!!!!!!!!!
1997年、伝説の1回目のことは、当時まだ高校生だった頃、誌面で読みました。
日本で初めての野外ロックフェスティバル。
台風の直撃、2日目中止。
写真から伝わってくる、混沌とした、ある意味「惨状」のような強烈なエネルギーにとても興奮したのを憶えています。
1998年、富士山のふもと天神山スキー場から、東京の豊洲に会場を変更して行われた2回目。
このときの映像は、誰かがダビングしてくれた映像がVHSがまわってきて、幸運にも観ることができました。
Thee Michelle Gun Elephantのライブ映像に震え上がったのを憶えています。
ごった返すオーディエンスの大熱狂、危険を回避するため、主催者側の判断により冒頭からいきなりライブが中断されます。
そんなオーディエンスに向けてチバさんが放たれた言葉。
「俺たちが日本のザ・ミッシェルガンエレファントだ」
あれにはシビれましたね。
その後も何度かライブが中断されました。
映像で見てもその危なさが伝わってきました。
圧死者が出たりしないよう、主催者側から、一歩ずつ下がるよう、脱出したい人は手を挙げるよう、繰り返しアナウンスされます。
そんなオーディエンスに向けてチバさんが放たれた言葉。
「気持ちはわかるよ、ロックンロール好きな気持ちはよくわかる」
これにも、マジでシビれましたね。
これがロックフェスティバルかあ、、
田舎者の高校生だった番頭少年は血が沸騰するような興奮を六畳間で抑えていたのでした。
1999年から、新潟県の苗場スキー場に会場を移し、現在まではずっと苗場で開催され続けているフジロック。(2020年はコロナで中止)
雑誌や、音楽番組の特集を観せてもらったりして、惹かれ続けていたフジロック。
頑張ってアルバイトに精を出してお金を貯めて、いっしょに連れて行ってもらいました。
あのときの経験は、今もぶっとく自分の根幹に根づいたままです。
大自然のなか、でっかい山を使ってブッ飛ぶ日本一ヤバイ音祭り。
色んなひとがいて、各々の楽しみ方で、音楽を楽しまれていました。
木陰で寝ている人もいたりする、それも楽しみ方のひとつなのでした。
フジロックで経験した感動を、言葉で説明するのはとてもむずかしいです。
ですが、3日間を苗場のFUJI ROCKで過ごしましたが、悪意のようなものを感じることが一度もありませんでした。
ゴミも落ちていませんでした。
皆さん、とてもいい顔をして過ごされていました。
普段の日常では味わえない、あの空気感にヤラれてしまいました。
社会の有り様も、ある意味でフジロックのようだったらいいのに、とさえ思ったりします。
日常に戻り、時間が経つと、大切なことも忘れてしまったりします。
私は、特に馬鹿なので、忘れがちです。
私をフジロックに誘ってくれた先輩とも、結局、喧嘩別れしてしまい、それっきりです。
フジロックで何を感じて帰ってきたと言うのでしょうか。
(ですが、その後の人生で、こんなとこで会う!?みたいな偶然で、その先輩とは3回ほどバッタリ会ったりもしました。縁とは不思議なものですね。)
お互いが、お互いを許せていたら、きっとあんな別れ方にはならなかったと思います。
あれからも、同じような失敗を繰り返してしまって、反省して、今ならそう思えます。情けない。
素直に、ごめんなさいが言えるひとはカッコいいです。
でも、許せないことのなかにも、きっと本当の私がいます。
その違いを、相手を傷つけることなく伝えられるひとが、本当にカッコいいです。
違ったまま、共有し、笑いに出来たら最高です。
ふとしたときに、後悔や自責のあの場面や、またあるときのあの場面が、脳内で自動再生が始まったりすることがよくあります。
そのたびに、あああああああああとなりながらも、省みざるを得ない時間をそれなりに過ごしてきました。
元をたどれば、深く潜っていけば、だいたいそこには「自分さえよければ」が伏し目がちに三角座りしていることが多かったように思います。
私がその一言を変えていれば、その一手を変えていれば、損わなかったあれやこれが無数にあります。
もうそれは嫌になるほどに、です。
私の場合、自分が嫌になるところまで辿り着くことがとても重要です。
中途半端な追い込みではいけません。
ここまで来たら、音楽のなかの詩人の方々の言葉にドップリ耳を傾けて、真理を探したりします。
今日は “TENDERLY” を聴こう。
初めてのフジロックのことを思い出すと、毎回ここにたどり着くのです。
もう馴染みのある奈落です。
クラファン期間残り【25日】。
京丹後TRAILER
番頭