番頭日誌 第十話「愛燦燦」
vol. 10 2023-10-14 0
毎度お世話になっております。
京丹後TRAILERの番頭でございます。
クラファン開始から【27日目】。
現在、【152名】のコレクター様からいただいたご支援額【¥1,729,000】。
目標達成率【216%】。
一昨日、発表させていただきました通り、ストレッチゴールを設定させていただくことにいたしました。
ストレッチゴールとは、目標金額を募集期間内に達成した場合に、追加目標として新たに設定するゴールのことです。
皆さまのおかげさまをもちまして、まさかのクラファン開始3日目での目標達成という大きな成果を頂戴いたしました。
そして、現在では当初の目標額の倍以上のご支援をいただいております。
ですが、募集期間として設定させていただきました残りの日数はまだ1ヶ月ほどございます。
この期間をどのように過ごすべきか、スタッフ一同で話し合いました。
ここは、やはり更なる高みを目指して挑戦するということが、京丹後TRAILERの今後に繋がるのではないかという結論に至りました。
皆さまからのあたたかいご支援を、当初の予定より質を上げた設備や施工などに使わせていただきまして、お返しできればと考えております。
ストレッチゴール【240万円】の目標を達成できました場合、すべてのご支援者さまのリターンに「京丹後TRAILER イベント入場無料券2枚分(使用期限なし)」を追加させていただきたいと思います。
最後まで応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
さて、もはや止まれなくなった勝手な遡りの独り言。
本日も少し思い出してみようと思います。
高校の卒業式が終わったあと、私たちはまた自主制作ライブをやりました。
場所は、何度か同じようにライブでお借りしていた大宮町の空きテナント「アビト」さん。
アルファベットで「abito」とという表記だったかもしれません。
今回は、友達がビデオカメラで撮影もしてくれていました。
(以前に登場した、体育のサッカーで骨折した日にチケットづくりを手伝ってくれたやつです)
鳴呼、懐かしのホームビデオ、miniDV。
それを見ながらですね、ライブが終わって数日後、みんなで打ち上げをしました。
で、たしかそのとき、その場でその事実を知ってみんなで驚愕したというふうに記憶してるんですが。
ある友達が、そのとき高校2年生でしたが、3年生に進級できないかもしれない、と言うのです。
彼は私のひとつ年下で、同じ部活の後輩でもありました。
そして、その大変な結果が、明日決まるというのです。
こんなことしてる場合ではないのではないか、と思いましたが、もう今さら焦ってもしょうがないことなのでした。
その卒業ライブのときも、PCを使える友達がポスター制作を手伝ってくれました。
ポスターに何かキャッチコピーのようなものもつけたほうがいいかなと思い、「そして、ここまで。そして、ここから。」と書きました。
このライブが終わると一区切り、私たちは人生の新しい局面を迎えるタイミングだったからです。
そこで、明日、その進級の結果が分かれば、全員にメールして欲しいと伝えました。
もし進級できたら「そして、ここから。」、進級できなかったら「そして、ここまで。」と送ってもらうことにしました。
何やかんや、大丈夫なんちゃうかな、と私個人的にはそんなふうに思っておりました。
翌日の夕方頃。
iモードがメールを受信しました。
「そして、ここまで。」
こんなフリの効いた重みのある渾身のボケは、なかなか出来るものではありません。
いいなあ、ずるいなあ、羨ましいなあと思いました。
あのとき、この町でこのメールを受信した何人かは、本気で泣きながら本気で笑っていたことでしょう。
そんな彼も、今では小粋にハットとサングラスをキメて、キャリア27年のバンドでベースを弾いてます。
京丹後出身のバンド、と言えば言わずもがなですね。
最後にバラすんかい、ですね。
でも、念のため、事前に谷に(名前も言うんかい)、あの頃の話を書いてもいいか?と確認をしました。
全然オッケー、おもしろく書いて、とのことでした。
私たちの関係は、そんなもんです。
もちろんこれが世の中の正解などとは全く思ってもいません。
私たちの場合は、そうでした。
私は、そして、あえて言うと私たちは、そもそもが品行方正や清廉潔白などとは程遠いところが出身です。
悲喜交交、笑っては不謹慎だと思われるようなことも、わずかばかりの運の悪さも、いつも笑いに変換してやってきました。
実際、ちょっと不運だったり、悲しさを含むことのほうが笑えたりするんですよね。
笑って共有して、解放するのです。
そして、そこから何週間か、谷はなぜかずっと私の実家の私の部屋におりました。
私も高校卒業時、進学も就職も、何の進路も決めておりませんでしたので別に問題はありませんでした。
振り返ってみれば、私の人生において、あの何週間かはとても不思議な時間だったように思います。
ずっと谷といました。
あ、でも、彼女に会いに行くときだけ谷は私の部屋から出て行きました。
なんか腹立つなあと思いました。
もう帰ってくるなよ、と言っても、帰ってきました。
何を話していたのかは憶えてませんが、当て所もない権兵衛ふたり、色んな音楽を聴いたり、どうでもいいような話ばかりしていたのでしょう。
あいつとは、それ以来の腐れ縁です。
散々な思い出ばっかりです。ううう。
それでも、ずっとそうしている訳にはいきません。
未来たちが待っているような気がして(微笑んでるようには思いませんでしたが)、私たちは部屋を出ました。
私は、丹後を出て、大阪に向かいました。
クラファン期間残り【28日】。
京丹後TRAILER
番頭