番頭日誌 第七話「矯正視力〇・六」
vol. 7 2023-10-02 0
毎度お世話になっております。
京丹後TRAILERの番頭でございます。
クラファン開始から【15日目】。
2週間が経ちました。
現在、【136名】のコレクター様からいただいたご支援額【¥1,594,000】。
目標達成率【199%】。
達成率200%まであと少し、感無量でございます。
現在、当初の目標額をはるかに上回るご支援を頂戴しておりますため、当初の予定より品質を上げた設備や修繕を実施させていただくべく、各種業者様などに問い合わせや、打ち合わせなどを進めておるところでございます。
皆さまにご報告できる内容ができましたら、また改めてお知らせをさせていただきたいと思っております。
本当に、皆さまの温かいご支援のおかげでございます。
いただきましたお気持ちを、京丹後TRAILERをより良い場所にするために注ぎ込ませていただきます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
さて、本日も、番頭は脳内で航時機に乗り込みますナリ。
少し時を進めて、高校生の頃。
どんなふうに音楽を聴いていたかなあと思い出します。
音楽も、その他のカルチャーも、どんどん新しい発想が生まれていた時代だったようにも思います。
当時は、インターネットも今のように普及しておりませんでしたので、都市部から離れた地方に住んでいた私は、情報が欲しくて欲しくてたまりませんでした。
雑誌を見たり、深夜番組などを録画したり、貪欲におもしろいものに出会いに行くのが楽しかった記憶があります。
先輩や友達から回ってくるバンドのライブ映像が入ったVHSなどは、大抵が何軒も友達宅を順に周り、擦り切れるほど観られる、というのが常だったのではないでしょうか。
漫画も同じだったですね。
そして、どうしても欲しいCDがあると、マイン(京丹後唯一のショッピングセンター)のCD屋さんに取り寄せしてもらえるかお尋ねしに行きました。
イガラシヤさん。上田さん。ほんとにお世話になっておりました。
急に思い出したこと。
あれはたしか高2の夏前頃。
近畿大会。
私は試合に敗けました。
戻ってきた瞬間、顧問の先生の右フックが顔面に入りました。
その場に居合わせた人たちが、サーーッと引いていく音が聞こえ(た気がし)ました。
唐突な暴力描写、申し訳ありません。
当時の私(の部活の仲間)たちは、こういうことがまあまあある環境で独自のスポーツマンシップに乗っ取られておりました。
間髪入れず、何発も拳を頂戴しました。
ヤバい目をしておられましたので、これはすぐには終わらんやつだなと諦め、魂の電源をスリープにしました。
殴られるたびに後退り、とうとうメインホールから外れた通路のほうまで来てしまいました。
せめて観衆の前で殴られないと損ではないか、と思いました。
冷静に考えると損も得もありませんが、せめてこんな不憫な奴もおるんかと笑ってもらわないと、何の救いもないでないですか。
あああ、やれやれ、なんだかなあと、悶々としながら帰宅。
マインのイガラシヤさんに予約しておいた新譜を自分で取りに行ったのか、親に取りに行ってもらっておいたのかは、はっきり憶えておりませんが、憶えているのは、まだ暗くなり切らない、湿度を多分に含んだ季節の自分の部屋。
楽しみにしていたCDを手に自分の部屋に籠ります。
eastern youthの「旅路二季節ガ燃エ落チル」。
eastern youthに関しては、それ以前に音を聴いたことはありませんでした。
たまたま雑誌で、この作品に関する記事を事前に見かけたのでした。
記事に載っていた言葉とお写真に、これは只事ではないような気がして、予約しておいたのでした。
そして、ヘッドホンをつけてミニコンポにCDを入れました。
1曲目「夏の日の午後」の、あのイントロ。
からの、曲のすべてが。
そして、アルバム「旅路二季節ガ燃エ落チル」のすべてが。
おおおあああああああああああああああああああ、となりましたね。
全細胞が逆立ちギュウギュウにひしめき合って咆哮し、体内で大きな渦になっているような感覚でした。
「おい!もっと回せ!急げ!もっと回せ!」と、腹の底で、飲み込んだ理不尽をスコップで必死こいてせっせと燃料に回して燃やしている細胞たちがいるような感じがしました。
そうなのかもしれません。
当時の私は、抑圧された環境のなか、自分で処理しきれない鬱憤を、音楽の世界にどっぷり浸かってひとり発散していたのかもしれません。
その方法が、いちばん自分に合っていたのかもしれません。
そういう音楽の聴き方から入り、どんどん音楽を好きになっていったのかもしれません。
別に、今さら、あの頃のことを良いとか悪いとか言うつもりも一切ありません。
もう済んだこと。旧社会の話です。
昨今は旧社会の名残が色んなところでどんどん明るみに出ていますが、「遅すぎるわ!」言いながら笑い飛ばして眺めています。
それでも、そんな環境から逃げ出さなかったのは、いっしょに過ごしていた先輩や後輩、仲間たちがおもしろかったからでしょう。
逃げ出してしまうと、辞めてしまうと、その関係性もなくなってしまうのかと思うと、私にはそのほうが余裕で惜しいことでした。
現代のモラルくんがいたら、目を背けてしまうようなエピソードの数々も、仲間たちで笑いに変換し合ってギリギリなんとかやってきました。
私はラッキーでした。
きっと、私たちはジジイになっても、あの頃の話で酒を呑むでしょう。
あの頃はよかった、という類の話ではありません。
あの頃はマジでひどかったな、と思い出し笑いをするのです。
なので、もしひとりで苦しんでいそうな人が周りにいたら、一声かけてあげたいなという気持ちになるようにはなれました。
もちろん度合いにもよりますが、できることなら笑いに変換してあげたいなと思います。
そのやり方が、その人に合いそうならば。
別にいい人アピールをしたいわけでもなく、あの頃の経験したことの質と量が強烈すぎて、解毒し、できれば浄化する方法で処理しないと、在庫が減りませんので。
本当にいい人は、こんな下品なやり方しないでしょう。ワハハ。
そんな、なんとなく1日行ってみたら3年間帰れなかったという私の高校時代の青春の記憶は、所々血の味がします。
しかし、自分の過去を思い返してみても、情けないような話ばかりで辟易しますね。
要所要所で、後悔や自責と再会し、自己嫌悪の処理時間しばらく原稿作業が止まります。
人様に胸を張って語れるような話は殆ど見当たりません。
ぐうう。
火をつけて一気に燃やしてしまいたい気持ちが溜まってきたら、eastern youthを聴きましょう。
"そうさ どう転んだって 俺は俺
握り締めた生存の実感は
誰かの手に委ねちゃいけねえんだ"
"どんな俺だって 俺は俺さ
だってそうだろう?
なあ そうだろう?"
堀川流の門下生でよかった。
音楽のなかの詩人たちの言葉を、燃料に変える術を教えていただきましたので。
過去はすべて私です。
やり直しさせていただけることは、そうさせていただきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
クラファン期間残り【40日】
京丹後TRAILER
番頭