番頭日誌 第五話「昨日のおかげ」
vol. 5 2023-09-25 0
毎度お世話になっております。
京丹後TRAILERの番頭でございます。
クラファン開始から【8日目】。
現在、【116名】のコレクター様からいただいたご支援額【¥1,406,000】、目標達成率【176%】。
開始から1週間が経ちました。
1週間前、リリースする前は、正直なところ不安でいっぱいでございました。
まさか、このような1週間後を迎えているとは思いもよりませんでした。
皆さま、本当にありがとうございます。
11月10日までのクラファン 期間中を、このあとどう継続していくかということについて、現在スタッフ一同で話し合いを重ねております。
近日中にご報告させていただきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願い致します。
さて、いい機会だと思い、私は自分の記憶を遡る旅を続けております。
ラジオをよく聴いていた少年時代だったように思います。
ラジオで新しい音楽に出会うこともたくさんありました。
ラジオ自体が今よりの生活に馴染んでいた時代ではなかったでしょうか。
今よりも町の色んなところで耳にする機会も多かったように思います。
京都府下の赤ちゃんの何割かは、キヨピーさんの声を聴いたら泣き止むんじゃないでしょうか。
FMを中心に色んな番組を聴いておりましたが、たまにはAMを聴いてみようと思い始めた時期がありました。
そんなある日、たまたま周波数を合わせたその先で、私は衝撃の番組と出会いました。
高校の物理教師兼、パンクロッカーである「マグロー先生」という人が、生放送でリスナーからの電話相談を受けるという番組でした。
何これ!!と思いました。
怪しすぎる!!危険な匂いしかしない!!と思いました。
聴いていると、電話相談の相手は、尾崎豊さんのファンの方のようでした。
どうやら、以前の放送でマグロー先生が、尾崎豊さんのことを少し悪く言われたようなんです。
後ろ向きなところがあるとか、なんとか。
それに怒った尾崎豊さんのファンの方からの、クレームの電話なのでした。
マグロー先生は、俺はブルーハーツみたいに前向きなのが好きだから、とそのクレームを真っ向から受けていました。
お互いがお互いを許容しない感じで、その日の放送は、ほぼそのふたりの口喧嘩で終了したように記憶しています。
いま私はとんでもないものを聴いている!!!!!!と、ド田舎の芋坊主中学生であった番頭少年は思いました。
これは毎週聴かねばならないと思い、土曜の23時半、AMニッポン放送に周波数を合わせました。
そしたら、そのあと少し経って、マグロー先生の降板が発表されました。
えー!!!!と思いました。
(あのときの口喧嘩が、さすがに問題になったのでは、、と思いました)
そして、番組は継続されることが発表され、後任に「叫ぶ詩人の会」というバンドの「ドリアン助川」さんという方が迎えられるということも発表されました。
何これ!!!!と思いました。
怪しすぎる!!!!危険な匂いしかしない!!!!と思いました。
そして、翌週からは「ドリアン助川の正義のラジオ ジャンベルジャン」が始まりました。
初回の放送では、マグロー先生のファンから電話がありました。
まだマグロー先生の降板という事実を受け入れられていなかったのか、ドリアンさんのことは認められない、と八つ当たりするような内容で波乱の幕開けだったことを憶えています。
番組は、若いリスナーたちが電話をかけてきて、いじめとか、学校生活のこととか、性の悩みなどをドリアンさんに相談し、ドリアンさんがそれに応えるというシンプルなものでした。
90分の番組の中で、毎回、数名の電話相談が行われました。
生放送というのもあり、どんな相談が出るか分からない緊張感もあり、毎週楽しみに聴いていました。
そんなある日、ある女の子から電話がありました。
かよちゃん。
かよちゃんの相談内容は病気に関するものでした。
かよちゃん自身は風邪だと思われていたそうです。
でも、どうも家族の反応に違和感を感じたりすると。
で、たしか、お姉さんが看護師をされていて、そのお姉さんの日記か何かを隠れて見てしまったときに、そこにかよちゃんが「白血病」である、ということが書かれていた。
最初は、そんな電話の内容だったと思います。
ドリアンさんは、かよちゃんに励ましの言葉をかけておられました。
その後も、かよちゃんから、何度か番組に電話がありました。
体調が悪化したこと。
結局、白血病になってしまったこと。
病気が原因で彼氏と別れてしまったこと。
闘病しながらも大学に合格したこと。
ドナーが見つかったけど、色々あって結局骨髄移植が受けられなかったこと。
かよちゃんは、そんなことをいつも明るく元気にドリアンさんに話すのでした。
入院中の病院から電話をかけていると言っていました。
毎週、番組を聴くたびに、今日はかよちゃんから電話があるかな、といつも思うようになっていました。
番組にも、私と同じような気持ちのリスナーから、手紙やメッセージがたくさん集まっているとのことでした。
そんな、ある日の放送。
番組の冒頭で、ドリアンさんがいつもと違う雰囲気で話し始められる日がありました。
あの日、それを聴いて、一気に体を硬らせたリスナーは私だけではなかったはずです。
ドリアンさんが語り出したのは、かよちゃんが亡くなった、ということでした。
そして、かよちゃんが、生前まだ力が残っているときに自分でラジカセに録音したメッセージが流されました。
いつも元気だったかよちゃんの声。
私は、私たちは、最後に初めてかよちゃんの悲しそうな声を聞きました。
最後に初めてかよちゃんの弱音を聞きました。
当時、若い世代の自殺などが社会問題になっていました。
そのことに対して、かよちゃんは、
「死にたいと言う人は、その命を私にください。」
と涙声で話しました。
そして最後に、
「これを皆さんが聴いてくれている頃、私はもうこの世にいないと思います。
最後に弱音を吐いてしまって、ごめんなさい。
本当にありがとうございました。」
と、かよちゃんは言いました。
「こんな平然と生きている今日が 誰かのどうしても見たかった明日だったら」
そういうこと。
ほんま、そういうことですよね。
インターネットもSNSもまだなかった。
私たちは、土曜の夜更けに電波の一角で待ち合わせをして、顔も知らないあの子のことをみんなで想っていたのでした。
今日も、まだやれることは全然あるんじゃないかと思えてきました。
もうひと仕事してきます。
京丹後TRAILER
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