番頭日誌 第二話「Starting Over」
vol. 2 2023-09-20 0
お世話になっております。
京丹後TRAILERの番頭でございます。
クラウドファンディングを開始させてもらってから、丸2日が経過しました。
現在、皆様からご支援いただきました合計額が、¥790,000。
目標として設定させていただいた¥800,000まであと少し、というところまできました。
皆様からのご支援の報せが届くたび、心躍るような嬉しさがこみあげてきます。
それと同時に、皆様からのご期待を、これからの覚悟にひとつずつ変換させてもらっています。
有り難いです。心より感謝を申し上げます。
今日は、私と山田さんが出会った頃の話でも、させてもらおうかと思います。
回想のドアを開けて、記憶の断片を引っ張り出しながら綴っていきます。
時間の経過とともに事実とズレてしまっていることもあるかもしれません。
また、現在の常識や倫理観とズレてしまっていることも出てくるかもしれません。
ですが、何も修正しません。ワハハ。
今の閃き、フリースタイル、出たとこ勝負。
「番頭日誌」はそんな構えで挑んでまいりたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
一筆書きだよ人生は、ですね。
1990年代の終わり頃、20世紀の終わり頃。
まだ、京丹後市ではなかったですね。
私は京都府中郡大宮町に住んでおりました。
理不尽な暴力的圧力に支配された、ある体育会系クラブに所属する高校生でした。
幸い、周りにはとても個性的で面白い友人たちがおり、諸々を笑いに出力して過ごしておりました。
音楽が好きな友達が多かったです。
楽器を持ち、コピーバンドを始めたりする友達も出てきた。
私も、友達に誘われ、マイクを持って賑やかしなどやらせてもらって遊んでいました。
バンドの練習スタジオなどはありません。
バンドの練習は、基本的にドラムを持っている奴の家でやってました。
いま思い返してみても笑えてきますが、家でバンド練習するんです。
ギターやベースをアンプにも繋ぎますので、大きな音が出ます。
ほんと、色んな方に許してもらっていたんだなあと思います。
そうなると、自然な流れで、ライブもやりたくなってきます。
ですが、ライブハウスなどはありません。
どこでやろうか、というところから計画を進めなければなりません。
音楽好きな先輩たちにライブできそうな場所を教えてもらったり。
時には社会人の先輩たちが主催するライブに呼んでもらったり。
そこで色んなことを教わりながら、遊ばせてもらっていました。
そうやって少しづつ遊びを重ねて経験を積んでくると、そろそろ自分たちでライブを企画してみたいね、という話になります。
どこでやろうかとなったときに、友達が、当時の大宮町にあった空きテナントのような場所を貸してもらえるらしいという話を持ってきてくれました。
そこで、友達が、音響をやってくれる人がいる、ということで呼んできてくれたのが山田さんとの初めての出会いだったような気がします。
いや、ひょっとしたら、それより前にライブに呼んでいただいて、Elephant Noseの山田さんとして出会ったほうが早かったのかもしれません。
記憶室の奥までグリグリと手を突っ込んで探していますが、見当たりません。
どうだったかな。
でも、まっさんがバドワイザーのTシャツをよく着ていたことだけは、明確に憶えています。
おお、もうこんな時間。
夕餉の支度がありますので、今日はこのへんで。
失礼いたします。
京丹後TRAILER
番頭