「虔十公園林」から「三十年後のものがたり」へ。つづいていくいのちの物語
vol. 38 2024-10-21 0
10月の三連休は全国的に秋晴れ。カラッと爽やかな天候に恵まれた初日、10月12日に「秋の午後、賢治の物語とともに 樹を想う」語りと音楽のつどいがくにたち市民芸術小ホールで開催されました。
宮沢賢治ひとり語り芸を林洋子さんから引き継いだ巖谷陽次郎さんが、私たちのプロジェクトのことを知って「まるで『虔十公園林』のようですね」と仰ったことから始まったこのイベント。9月末には定員70名が満員御礼となり、当日を迎えました。
お客様と共に集まってくださったのは、二小の樹木の「里親さん」。まず、プロジェクトのダイジェスト映像「この奇蹟(いのち)を根づかせたい」(今回は大日向小学校特別編!)を上映し、長野県野辺山から駆けつけてくださった太宰文緒さん(里親さんの一つ、大日向小中学校の音楽の先生でもあります)のピアノと歌を聴き、巖谷さんが語る「虔十公園林」に聴き入りました。
八ヶ岳東麓、野辺山の風景が忘れられず、都内から移住された太宰さん。「木々のうた」をはじめとする楽曲からは風のそよぎや心地よい水音、森のざわめきなど自然そのもののメロディーとリズムが息づいていました
賢治の作品の中でも「一番好きな物語」として挙げられることの多い「虔十公園林」。巖谷さんにとっても大切な作品を、今回ご自身の「語り芸」として創り上げ、初めて語ってくださいました
語りと音楽の後には、巖谷陽次郎さん、太宰文緒さんのトークライブ。大きな声、強い権力がつくっていくこの世界に抗い、もの言わぬ樹を想い、小さな声に寄り添い、つながることで力を持っていくことの大切さを思う場と時間になりました。
幼い頃から「よだかの星」が大好きだったという巖谷さん。一市民の小さな声を掬い上げ、対話の場をつくっていくシンクタンク「新外交イニシアティブ」の事務局長として度々沖縄にも足を運んでいらっしゃいます。一方、太宰さんは「戦災復興支援センター WDRAC」のメンバーとして活動中
大日向小学校と二小をつなぐ架け橋になってくださった山下洋子さんと愉堂くん(元々は国立にお住まいでした)はこの会のために長野県佐久穂町から駆けつけてくださいました
阿佐ヶ谷の駅近くで映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」「Morc阿佐ヶ谷」を営む才谷遼さん。新たなギャラリー&カフェの庭の真ん中に二小の桜を植えてくださいました
日光・幾何楽堂(建築事務所。併設のギャラリーに最近インド食堂「ハルマツ」をオープン)の小坂朋子さんも食堂を休んで遠路駆けつけてくださいました
里親さんから一言ずつメッセージをいただいた後は、プロジェクトの共同代表である森田、小岩から御礼を述べ、二小の子どもたちが樹への想いを語りました。校舎の改築工事に伴う樹木の伐採に異議を唱え、「樹を残してほしい」と大人への意見表明を続け、子どもたちの声を掬って教育委員会に届けてきた子どもたち。「この活動をする中で、大人の残酷さも知りました」という言葉が集まった大人の胸に突き刺さりました。
最後は、応援する会のメンバーがこのプロジェクトに寄せた小さいお話「三十年後のものがたり」を巖谷さん、太宰さんのセッションで。
写真はリハーサル時。初顔合わせでリハーサルを2回やっただけにもかかわらず、本番では見事な朗読とピアノのセッションを見せてくださいました
里親さんの元へ引っ越した桜の木が、地域で愛され、30年後にこの物語を子どもたちに語ってくれますように。「虔十公園林」のような未来が実現することを願い、あたたかな空気に満たされて会は終了しました。
応援する会さん主催のチャリティーイベントも今回で3回目。二小本移植費用としての目標額(400万円)を見事に達成してくださいました。そればかりか、大日向小学校につないでくださったり、陰に日向に力強く励まし続けてくださいました。
そして、照明や音響、舞台監督、撮影を引き受けてくださり、会全体を支えてくださった方々、集まってくださったお客様に、感謝しかありません。
沖縄米軍基地の問題も、ウクライナやガザでいま起きていることも、二小校庭の樹木のことと決して無縁ではありません。そして、現実を変えていくのは、どんな時もたったひとりの強い想い──。無言のいのちを想い、小さな声に耳を傾け、皆が深い流れの底でつながったような秋の午後でした。
10月13〜14日はいよいよ二小校庭への本移植。続いてご報告をいたしますのでお待ちください。
2024.10.21 プロジェクト・メンバー一同