里親さんへの引っ越し第4弾!〜館山、日光幾何楽堂編〜
vol. 34 2024-06-16 0
前回からひと月以上空いてしまいました。
季節は夏に、植物は新緑から万緑へ。この間、里親さんへの引っ越し作業、そして二小校庭への本移植に向けての協議を進めてきました。前回の続きから、お伝えしていきますね。まずは第4弾引っ越し作業のご報告です。
4月21日に千葉県の館山へ桜2本が、22日には栃木県の日光へ桜1本とトウネズミモチが引っ越しをしました。
仮移植帯の奥のほうから桜(ソメイヨシノ/90番)を持ち上げます。重機の力はもちろん必須ですが、人力でないとうまくいかない時もあります。綱引きのようにみんなで力を合わせます。
緑の枝葉が茂り、新しい根がしっかり伸びています。
慎重に、枝葉を傷つけないようユニックに載せます。
2本の桜を積み込みました。
二小校庭東側。仮移植帯の側の既存木はどの木も胴吹きし、元気になっています。
館山にやってきました。
個人宅(別荘)への植えつけです。そういう桜なら是非引き取りたい! と申し出てくださいました。
まずは1本。日が傾いて暗くなってきました。
2本目は部分的にしか芽を吹いていない桜。お庭にあった枇杷の木を移植し、一緒に植えてやることに。
作業はやはり深夜に及びます。
枇杷の木とともに、無事に2本目の桜が立ち上がりました。この後、里親さんに地物の海産物や豚汁、ごはんをいただき、3時間ほど寝袋で睡眠をとって、朝4時半出発で日光へ。
日光の里親さんは建築家の小坂憲正さん、朋子さんご夫妻で、「幾何楽堂」の隣に新しいギャラリー&サロンをこの春オープンされたばかりです。
「扉作家」でもある憲正さんの造られる扉は、どれも本当に素敵で異世界への入り口のよう。
樹齢400年を超えて立ち枯れる、なかなか手に入らない北欧の木、シルバーパインとの奇跡的な出逢いから小坂さんが20年前に建てられたご自宅権事務所。歳月を重ねるほどに増していく艶、味わいは「木」ならでは。昨年11月に取手の上映会で『杜人』をご覧になり、春にはこの場所で上映会をしてくださいました。
縁側から眺める風景は絶景ですが、果たしてここに桜とマテバシイを移植できるか。
実はかなりの急斜面。入り口が狭くクレーンも入ることができません。
ソリのような貨車をつくって、載せて運ぶ準備もしてくださっていましたが、そもそも道がないため、厳しそう。
矢野さん、被災地の経験に基づいて、道をつくるところから始めました。これまでにない、大がかりで危険を伴う作業になります。
道なき道を道をつくりながら進むユンボ。なんとかトウネズミモチを移動させました。
急斜面に立ち上がったトウネズミモチ。次はいよいよもっと重く大きい桜を移動させます。
ユンボがつくった道幅ギリギリにじわりじわりと引っ張って移動させます。一歩間違えれば斜面の底へ転落する危険な作業。
桜の向きは人力で綱を引っ張って調整します。気が抜けない結作業。
慎重な作業の末、ようやく植える場所へ。急斜面に杭、支柱を打ち込んでいきます。
国立から日光へトラックに乗せられ、最後はできたばかりの林の道を大蛇のように運ばれてきた桜。よく頑張ったね。
夜10時。ようやく桜が立ち上がりました! 真剣な作業を続けていた職人さんもスタッフも、胸を撫で下ろします。人も桜もお疲れ様でした。
この日のことは、「東京の桜、日光で命つなぐ 伐採危機、小坂さんが引き取り自宅へ移植 「環境考えるきっかけに」」という見出しで地元の「下野新聞」にも掲載されました。
記事の最後はこう結ばれていました。
憲正さんは「環境のため、自分の足元でできることがあると多くの人に知ってほしい」。朋子さんも「山が荒れると海も荒れる。山がある日光でこうした活動を行うことに意味があるのでは」と話していた。
作業には地元の方がたくさん参加され、小坂さんご夫妻はもちろん、ボランティアの方々が美味しい食事やお茶の用意をしてくださいました。
それから数日後、小坂さんから写真と共にメッセージが届きました。
「この桜が来て以来、新しい道を歩いて桜に逢いにくる人が途絶えないんです。確実に風が変わり、場の空気が変わりました。人はそこに集まってくるようです」。
一本の桜とトウネズミモチがつなぐ国立と日光、そして人と人の縁。これからも美しいタペストリーのように織り重なっていきますように。
2024.6.16 プロジェクト・メンバー一同