ジャッキー・ロビンソンミュージアムへ
vol. 11 2025-05-03 0
4月19日、マンハッタンのダウンタウンを地下鉄で下って、ジャッキー・ロビンソンミュージアムを訪ねました。おりしも先日4月15日(米国野球殿堂博物館を訪ねる前日)には「ジャッキー・ロビンソンデー」としてMLB所属の全選手が彼の偉大な功績を讃えてその背番号42を身に付けてプレーしたばかりのタイミング。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250416/k1001478...
子どもの頃からアスリートとしての万能の才能を発揮しUCLAではアメフト、バスケ、陸上競技のプレイヤーとしても活躍したジャッキー。戦後ニグロリーグのカンサスシティ・モナークスでプレー、そして当時はニューヨークのブルックリンをホームとしていたドジャースと契約、差別の苦難も味わいながら黒人選手として新しい時代を切り開く、エポックメイキングな存在となります。
博物館はジャッキーがプレーした懐かしのブルックリン・ドジャースの歴史も合わせて展示、1956年に読売ジャイアンツの正力松太郎の命を受けた戦前・戦後の日米野球のパイプ役、鈴木惣太郎が働きかけて実現したドジャースの来日と広島での親善試合開催についての貴重な資料展示もされています。説明書きにはそれを記念する銘版がマツダスタジアムの入り口に設置されていることも記されていました。
1956年は今里純が日米野球に関わり始める数年前にあたり、ロサンゼルスのドジャースタジアム(1958年創設で今も現役)の玄関口にある鈴木がウォルター・オマリー球団社長に贈った灯籠といい、今里純に日米野球の繋ぎ役を託してゆく前の、鈴木惣太郎渾身の事業なのかと思えます。
最後の最後に辿り着いたNYで、今里純〜鈴木惣太郎〜ブルックリン(ロサンゼルス)ドジャース〜オマリー会長を繋ぐ隠れた物語が浮かび上がった想いがしました。
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