リカバリー(回復)は「まず住まい」から~べてるの家とHF(向谷地宣明さん)
vol. 3 2016-09-03 0
ハウジングファーストを東京で実現するためには、医療関係者、社会福祉関係者、不動産業者など様々な立場の人たちの連携が欠かせません。
一般社団法人つくろい東京ファンドが参加する「ハウジングファースト東京プロジェクト」は、都内でハウジングファーストを実現するために、6つの団体で構成しているコンソーシアムです。このプロジェクトのキーパーソンに、ハウジングファーストの理念やプロジェクトを進めていく上で大切にしていることをうかがいます。
キーパーソンの3人目は、「べてるの家」の向谷地宣明さん。北海道の「べてるの家」と池袋のホームレス支援とのつながりとは何でしょうか?
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リカバリー(回復)は「まず住まい」からはじまる
向谷地 宣明
1983年北海道浦河町生まれ。父は浦河赤十字病院のソーシャルワーカー、母は看護師で、1978年からはじまった浦河べてるの家の活動に両親が関わっていたことで、精神障害を経験した当事者たちと共に子供時代を過ごした。2002年に上京。大学卒業後は、株式会社MC Medianを設立、医療法人宙麦会ひだクリニック(千葉・流山)勤務、ハウジングファースト東京プロジェクトへの参加など通じて、浦河ではじまった当事者研究などの実践や各地の当事者会、家族会などの応援活動を行っている。
私たち「べてるの家」( http://bethel-net.jp )は、東京・池袋を中心に行われている「ハウジングファースト東京プロジェクト」に2010年から参加し、その活動を応援しています。
路上から住まいを得るまで多くの段階を経ていかなければならない従来の方式に対して、90年代にアメリカではじまったハウジングファーストの考え方は、私たちが北海道・浦河で30年以上にわたって行ってきた精神障害をもった当事者たちの地域生活を支えていく活動と多くの部分で共通しています。
かつては、統合失調症などをかかえた人たちはその生活基盤を精神科病棟に置くことを余儀なくされていました。退院するには症状の寛解、服薬管理、生活技能、日中活動先の確保などいくつものステップとハードルがあり、それら全体を考慮して関係者から「よくなったね」と信じられない限り、地域で生活することは夢のまた夢でした。
しかし、この30年の間に私たちが浦河で目の当たりにしてきたのは「よくなったら退院」ではなく、「退院するとよくなる」という事実です。病棟のなかで何年も生活訓練を続け、地域に出たら関係を築けるかと思い悩むよりも、地域での生活という「生の苦労」の実践を通してこそ回復があるという実感が私たちにはあります。
そしてその方式は着実に成果を生んでいます。浦河には最大130床の精神科病床がありましたが、現在は実質ゼロ床となりました。最長40年近く入院していたこともある人をはじめとして、百数十名の当事者が町の中心街に暮らしています。その日常を支えるために、精神科クリニック、訪問看護、ピアサポーターなど90名近くの人たちが連携をとり協力しています。
そのなかでも「住まいの確保」はやはり優先的課題です。病室ではなく自分の住まいが町にあるということは、当たり前ですが、リカバリーにおいても人生においてもとても大事な条件なのです。その意味でも、ハウジングファーストの考え方は、決して特異なものではなく、多くの人が妥当であると考えられる普遍性があると思っています。
また、精神科医の森川さんたちが明らかにしたように、池袋の路上生活者の半数以上が精神保健のニーズを抱えていることがわかっています。このプロジェクトは、単に住まいにつなげるだけが大事なのではなく、それらの多様な背景に配慮していく試みが求められています。池袋では路上生活を経験した当事者を中心に「べてる」と「池袋」をかけた「べてぶくろ」という活動がうまれ、浦河の日高昆布の販売やべてるからはじまった当事者研究という活動などにも取り組んでいます。私たちは、今後も持てる経験と資源をこのプロジェクトのために提供し、協力していきたいと思っています。