ラダックに生きるブッダの教え
vol. 6 2014-07-08 0
ラダックに住む多くの人々が仏教徒だということは知っていた。岩山とその合間に点在する緑地や川の中で、信仰と共に生きている人々。
けれど、具体的にどういう教えを信じているのかは全くわからなかった。
7月7日と、8日のダライラマ14世からの法話を聞き、分かったことがある。
ラダック中から人々が集まってきているだけあって、入場の列は毎朝凄いことになっている。
長蛇の列。
法話が行われるステージ正面の僧侶スペース。
気さくに、声にこたえてくださるダライラマ14世。
こうやって写真に撮れるのも、僕が外国人で、外国人専用スペースに居場所をとれるから。
(と言っても、カメラの光学×デジタルズームでなんとかようやく)
一部の有力者(?)の人々や家族は外国人スペースの反対側が割り当てられているが、一般の殆どのラダックの人々は、後方のスペースが割り振られていて、直接姿を見ることは叶わないだろう。会場に大型モニターが設置してあり、それで見る。
一般スペース。左端の緑の屋根が、僧侶や外国人スペースがある部分。奥の階段部分にも人。
遊牧民のお父さんの日課は、毎朝読経することから始まる。もしくは、多くの仏教徒の家庭には高僧の写真が飾られている。僕はてっきり、お経を唱え、来世でのよき再生を仏さまに願う、という光景なのかと思っていた。
ダライラマ14世は、法話の序盤にこう話した。
「ブッダたちは、こうおっしゃっています。さとりや、それをひらく心の資質はブッダたちから直接渡してもらうことはできない。それらは修行を重ねることで自分の力で育て、身につけるものです。また、ブッダたちの守護の力によって罪を洗い流すこともできません。苦しみの原因と条件を取り除く、幸せになる道を教えてくださっているのです」
苦しく、無常なこの世界において、人間は自分自身の力でさとり、解脱に至る道筋を作り出すことができる、ということをダライラマ14世は繰り返し伝えていた。
この話を聞いた瞬間、読経するお父さんの光景が持つ意味が、僕の勝手な思い違いは引っくり返った。
「すべてのものごとに原因と結果があります。常に慈悲と愛をもつこと。たとえそりが合わない人でも、自分と同じように幸せを求めているのだ、と考え、争いを起こしたりしないこと。利己心が欲望や怒りを増幅させます」
「物質的な向上、モノに満たされることによって目、耳、鼻などの感覚器官を通じ生まれる幸せは、不安定です。そこばかりを追い求めるとやがて苦しみが生まれます。例えば日本は物質的にはとても向上した国ですが、自殺する人たちの数が増えていると聞きます。自殺するという心は、苦しみに耐えきれずに起こります。」
「仏法に基づき、さとりをひらき、苦しみの原因を取り除くことができたのなら、その体験を他の人にも伝えることができます。そうすることで、沢山の人を救うことができます」
「無我」、「空」の見解、縁起の法、仏道の世俗での目的(来世での幸せ)と究極の目的(さとりから解脱に至る事)など、ダライラマ14世が、1日3時間半、とつとつと話して下さった内容はとてもでないが書ききれない。(幸運にもとても分かりやすい日本語訳がFMラジオであった。感謝)
繰り返し伝えていたことは、自分で考え始め、考察し、理解し、分析する事。これが基本的な態度だということだった。ブッダたちからの教えを聞いて、「ありがたやー」でおしまいにするのではなく、自分のものにし、常に実践することが大切で、紙に書いて貼って置けばいいというものではない、と。
世界最高クラスの仏教の探究者からの教え。その場には1万人の僧侶、数万人のラダックの人々がいた(そして僕も含めた数千人の外国人にも)。思考と実践に基づき、世界の成り立ちを解き明かし、良い生を目指す姿勢は、高度に洗練された哲学を思わせる。こうやって積み重ねられてきた教えが、ラダックの仏教徒たちの精神形成に関わっているのだろう。
法話が終わり、会場をぐるっと後方まで歩き、一般のラダックの人たちのエリアに行った。もしかしたら、前回のアップデートで登場した、プーガの学校で学ぶ遊牧民の彼に会えるかも、と思ったのだ。彼はこの話をどう聞いただろうか。車に溢れるチョグラムサルの町をどう見ているのだろうか。発展し、沢山のモノがやってきつつあるレーの町はどう映っているのだろう。今日の法話はどう響いたのだろう。物質的な満足が幸せにつながらないこと。目の前のことでなく、長い目で物事を見ること。そして、自分の頭で考えること。彼と話をしたくなった。
しばらくウロウロしてみたが、結局、彼には会えなかった。
プーガの学校で会った時にとっておこう。
帰り道の川。
okazu
おまけ
進む砂曼荼羅。うまく撮れなかったのだが、これを横から見た図も流れていて、その立体感がすごい。14日~16日まで一般公開があるそう。プロジェクトの皆が来た時に見にいくつもりだ。
バスでみなさんおかえりの図。脇を通り過ぎる時、屋根の上から水をかけられて、さわやかに手を振られた。負けないくらいさわやかに手を振り返した。