アフリカの夜
vol. 15 2017-07-05 0
みなさま、こんばんは。
いつも応援ありがとうございます。
今夜は、なぜこのプロジェクトに「アフリカ星空映画館」という名前をつけたのかについて書きたいと思います。一緒にアフリカの夜に思いを馳せてもらえたらうれしいです。
初めてウガンダ北部の町グルに着いた夜のことを、今でもはっきりと覚えています。2001年のことでした。
首都のカンパラからバスに揺られて6時間。
内戦中だということをきいていて、道中には戦車が転がっていたり「ここで虐殺があったんだ」という友人の説明があったりして、だいぶ身構えて到着しました。
グルのバス・ステーションに到着し、暗闇の喧騒の中、緊張してバスを降りました。
日本の明るい夜に慣れている私には、暗すぎるアフリカの夜。「闇」という言葉がぴったりでした。
そのまま友人たちと食堂に行き、聴きなれないアチョリ語の会話をききながら、ろうそくの明かりで食事をしました。
不思議と、知らないはずのアチョリ語が心地よく、初めてのアチョリフードはなつかしい味がして、緊張と旅の疲れがするすると溶けました。
食事を終えて外に出ると、頭上には満天の星空。
思わず「わーー!」と声をあげる私に、友人たちはびっくりしていました。
「なぜそんなに喜んでるの?」
「だって、こんなにたくさんの星を見たことがないから!」
みんなで手をつないで帰りました。たくさんの星が夜を明るく照らしてくれて、明るく感じました。
この時の友人のひとりはこのあとエイズを発症し、今から数年前に失明してしまいました。もう星空を見ることができません。
でも、今でも会うたびに「あのとき、アベー(私のアチョリネーム)は、星空を見て大声をあげたよね」と笑います。そして「私も星空をもう一度見たいな」といつも言います。
また、子どもたちと避難シェルターですごしていた時期は、毎晩、子どもたちと星の数を数えていました。
時々ホタルが飛んできて、星とまちがって数える子がいてみんなで笑ったり。
「アチェル、アリヨ、アデック(1、2、3)…」とアチョリ語の数の数え方を私が覚えたのも、この頃でした。
子どもたちが寝たあと、私はいつも眠れなくて、門番をしている友人と熱い紅茶を飲みながら話をしました。
本当は、私もこわかったのです。内戦も夜の闇も。
でも、彼といろんな話をすることで、恐怖を忘れることができました。
彼は学校に通ったことがないまま大人になったので、英語が話せません。だから彼は、私のアチョリ語の先生でした。
「コツ・ティエカ・ビノ…(雨が来るね)」
「ヤム・ティ・マテック(風が強いね)」
など、目に見えるものをぜんぶアチョリ語にして教えてもらいました。
私の大切な友人だった彼は、今は、この世にいません。
彼もエイズで亡くなりました。
去年、映画を上映しながら、子どもが大好きだった彼がここにいたらすごく喜んだだろうな、と思いました。
ここには書ききれないほど、アフリカの夜には、たくさんの思い出があります。
楽しい思い出もあるけれど、やっぱり内戦中は、夜の闇はこわいものでした。
だから、平和になったから今だからこそ、星空の下で楽しいことをたくさんしたい!と思いました。
暗闇で、みんなでひとつの光を見つめること。
生きているからこそ見られる光を、みんなで共有したい。
「星空映画館」にはそんな思いが込められています。
桜木奈央子