素直にー⑤
vol. 18 2019-11-19 0
クルジュセラミクスビエンナーレ、展示の様子。
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さて。今回まずは最初に、展示の様子、写真をずらりと並べて見ようと思います。
わたしの作品、後ろはスペインの作家さんの陶板作品、支持体は鉄。
これはAward of Excellence。大きな賞が3つの作品に与えられます、そのうちのひとつ。
わたしこの作品わりとすきだった。賞はとっていないけれど。
この袋のような作品、香港の女性作家Monica Chanさんの作品で、袋からでている小さな手に何かのせて、代わりに手の上にあるものの中からなにかを受けとることができるというコンセプト。世界中を巡って、いろんなものがエクスチェンジされてきているそう。作品もコンセプトも面白くてバランス感覚のよい作品でしたが、賞は彼女の作品へはいかなかった。
この作品かっこよかったです、Honorable Mention。
↑このくまさんも、受賞作品、大きな賞は三つの作品へ与えられるのですが、そのひとつ。Award of Excellence。
手前の作品、Honorable Mention。
具象表現(動物とか、人物)が多い。
この作品なぜかとてもすき。すごくいいなあと感じた。賞はとっていなかったけれど、、、
手前、アメリカの作家さんの。なんとなく納得。アメリカン。ダイナミック、賞は奥の人形へ
前回受賞者の作品
Velimir Vukicevic の作品。これはたしかにAward of Excellenceをとるクオリティーと遊び心。この方の作品とてもすき。この作家さん自身、とてもすてき。
この作品も、よかったなあ。賞ではない。
右の青い作品、かっこよかった。Honorable賞をとっていたのは、左側。
この作品は、Honorable 賞。
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このあたりで一度、きりにしましょう。
ちなみに、受賞作品はこちらから見れます。
https://clujceramicsbiennale.com/en/2019-biennale/2019-winners.html
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わたしは、授賞式前に会場を内覧していて、「これがいいな、わたしはこれに賞を渡したい」と思う作品もその時にみつけていました。
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逆に、これはないなあ。と思うものもありました。
興味もてないなあ。というものも、正直ありました。相当数。
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全体を見渡して思ったのは、インターナショナル、といっても。
これなら日本の陶芸展のほうが確実に質が高いなあ、、、ということ。
ここに選ばれたこと自体、だから、作品の質という点においては、そこまで、、、
正直、喜べませんでした。
「うううううん、、、わたしなんで選ばれたんだろう、ここに作品があるのはいいことなの。。。?いいことだとして、一体何を評価され期待されたのだろうか。」
授賞式前、(これはカンファレンスの前日のこと。)わたしは戸惑いを隠せずにいました。
これまで、コンペに選ばれたらそれだけでそれなりに喜べていたし、
その会場に自分の作品が飾られていたら誇らしく感じていたのに。
こんな気持ちになっていたら良くないのではないか、どうにか感じなおせないだろうか。
わたしは戸惑っていました。
「嬉しくならない。どうしよう。」
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わたしはこれまで、国内外、特に国内は、それなりの回数、公募展に出品してきました。
日本の公募展は、質がとても高いです。
選ばれて出てくる作品そのものの、質が高い。
その背景には、「まず実物審査」というプロセス、大きいのではと思います。
作品実物をみて、判断をして、展示する。
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最近、画像審査、コンセプト審査がトレンドになりつつあるのは、海外仕様になって来ているせいだと思います。
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海外は大抵、一次審査がまず
☆画像審査
☆ステートメント
-作家の制作の根幹の説明や、作品の説明
・バイオグラフィー
ー作家がどんな背景をもって現在に至っており、これまでどんな活動や、活躍をしてきているか
・作家歴(展示、受賞、書籍掲載などの成果一覧)
で審査が行われます。
そこでは、もちろん作品画像、コンセプトがかなり重要視されます。
そのあと、実物審査か、もしくはそのまま展示となります。今回のクルジュは後者。
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つまり。
究極。
画像がいい+コンセプトが素晴らしい → 審査に通る。
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となると、コンセプトと、撮影に力をいれるのは当然です。
とくに、画像。
カンファレンスのあと、カタログをみたら、
「写真のほうがいい。」と思わず感じてしまう作品、
とてもたくさんありました。
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普通は、写真より、実物がいいはず。作品は、写真を上回るべきと私は思うのです。
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ここで、カンファレンスの内容のことも、併せて思い出してほしいのです。
・コンセプトが重要というお話、
・陶芸が3Dプリンターに負けないためにも、陶芸だからできる技術の発展に力をいれなければならないというお話、
・アジアにおける陶芸のポジションのお話。(The queen)
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Award of Excellence、3つの受賞作品は、台湾と韓国でした。
受賞作品の中でもくまさんの作品は、環境問題にうったえかけている点で、今のニーズにあっていると。そんなお話もされていました。
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授賞式前の、会場に並んだ作品を目の前にしての違和感と戸惑い。
受賞した作品に対する疑問。
そしてカンファレンスの内容への疑問。
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わたしがいいなと思った作品、この作品が賞を取ってもらいたいと思った作品がひとつも賞をとっていないという事実。
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わたしは自分の眼には、それなりの自信をもっています。
いい作品をかぎ分ける嗅覚も。
日本で育って、いい作品を眼にしてきている、はず。
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わたしの頭もこころもカオスでした。
わたしには納得のいかないことが多すぎました。
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でも、このビエンナーレの中にわたしの作品は在るし、わたしは此処にいる…。
それも同時に、事実です。
受け入れがたいものの中に私は居るということが。
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頭では、これは世界各国の陶芸作家が交流するために設定されている場でもあるのだし、
必要以上にそんなところに疑問を挟む必要はない。
とわかっていても。腑に落ちそうにありませんでした。
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この「素直に」の記事の連載の冒頭を、カンファレンスのことから始めてしまったので、
時間軸が錯綜してしまっていますが。
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ビエンナーレ展覧会場を授賞式前に内覧し、授賞式を終え、
カンファレンスの議題に触れ、
わたしは、混乱状態に陥っていたわけです。
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そのあと、作家同士の自由なディスカッションがはじまってから、
前回、「素直にー④」でお話した、ブラジルの女性作家の話をききました。
もう一度、彼女のお話について、前回の記事を一部抜き出してみたいと思います。
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「展示は自分の家ですることが多いといっていました。
ギャラリーで展示をすることもあるし、企画されることもあるけれど。
輸送費も移動費もかかる、作品にマージンも上乗せされるし、
アートにこなれた人、陶芸がすきなひとはきても、そうでないひとたちは来ない。
自分の住んでいる場所がすきだし、自分の家をギャラリーにして作品をみせるのがすき。
作品を伝えたいひとたちは、作品のために上品に設えられた場所に来ないことも多い。
だから、自分の居場所にみんなを招き入れて、地道に発表をしつつ、
ときどき大きな展示にも参加するのが、わたしらしい「サイズ」
といっていました。」
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「陶芸は彼女の表現手段で、生き方だし、コミュニケーションツールで。
彼女が陶芸をすることで、彼女は彼女らしさを保つことが出来て、
そのうえで、社会、世界とのつながりも保てている。
世界の平和ってこういう波及のしかたで実現するのじゃないかなと感じました。」
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彼女の考え方、
自分らしいバランスのとりかた、自分の選択を大切にしていくこと。
自分らしいサイズを、常に捉え直していくことで、自分の人生を自由に生きることが出来る。
わたしは彼女の言葉に心から救われました。
誰かのサイズに当てはまろうとする必要なんて、なにもない。
もし、自分がなんの縁か繋がっ(てしまっ)た場所の基準に当てはまらないと感じたなら、
わたしはいつでも自由に抜け出せる身。
頭ではわかっていても、こころからそれでいいと思って、行動に移す勇気は、
これまでのわたしにはたぶんなくて。
(そうやって自分自身に言い聞かせようとしていた気がします。)
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うっすらとそう気づいたのが、カンファレンスの終盤でした。
そして、
カンファレンス後に、展示会場にある自分の作品のもとへ。
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其処で、それまで混乱状態だったわたしの気持ちが落ち着いて、
「これで「いい」と思うことを選択する。」
と決めたのです。
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作品のすぐ隣の窓から差し込む日の光線が、
徐々にクリアに鋭くわたしの作品に差し始めるのを眺めながら、
私は思いました。
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わたしは、わたしがいいと思う作品、作家を集めたい。
わたしは、わたしの眼と感性を大切にしたい。
わたしは日本へ戻って、わたしが伝えたいことをもっと身近なひとたちに伝えたい。
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誰かの評価に甘えていては、自分が心から望むことを実現できなさそう。
私の場合。
自分から動かなければいけない。
これまでの選択とは違う選択を、多分していかないと、
軌道はかえられないだろうなあ。
でも自分を信じたいと思いました。
自分の判断が、感覚が、間違いなの?と自分を疑っては自分の足を停めさせている自分。
間違いなのかも、と思って居る暇があったら、
「これでいいんだ!」と自信もてる結果にどうしたら導けるか動いたほうがいい。ずっと。
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私自身をもっと信じたいという気持ちの発露。
これは、大きな収穫です。
信じることが出来るかどうかではくて。
わたしはもっと自分自身に信じられたい。
それをさておいて、
これまで他人の声ばかりきにしていた。
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そういう自分だったんだこれまでずっと、
ということにわたしはビエンナーレの会場まで行ってようやく受け入れる覚悟をきめられました。
他人の評価に振り回されるのは、十分経験できた。
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(文字数制限の関係で、今回連続で⑥の投稿させていただきます。)