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安井ちさとの作品を国際舞台へ!Vol.2をクラウドファンディングで実現!
今回ルーマニアで開催される、Cluj Ceramic Biennnale2019に私の作品が選出されました!現地へ無事に作品を送り届け、多くの人に私の作品を見てもらいたいと思っています!よろしくお願い致します!
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陶磁を表現媒体として作品を制作しています。 日本のこころを自身の作品を通して伝えていきたいです。 誰にもどこにも迎合することなく、わたしの信じている日本のものづくりの姿勢をありのまま世界に発信していきたいです。
今回ルーマニアで開催される、Cluj Ceramic Biennnale2019に私の作品が選出されました!現地へ無事に作品を送り届け、多くの人に私の作品を見てもらいたいと思っています!よろしくお願い致します!
私の名前は「安井ちさと」です。陶で作品を作っています。今回、ルーマニアのクルージュナポカという場所で開催される陶芸のビエンナーレ、Cluj Ceramics Biennale 2019 に選出されました。
初めてのルーマニアでの展示、そして2009年Australian Ceramics Triennale以来の、陶磁の国際展への出展です。
このプロジェクトは、まず一つには、私自身の作品をルーマニアで展示できる機会を実現させることが目的です。それを実現することで、これまで以上に多くの人々に、私の作品に「触れて観る」という体験をしてもらいたいと考えています。その体験を通して、鑑賞者の感覚を主体とした作品の鑑賞を経験してもらい、鑑賞者が自分自身を発見することの大切さを訴えていきたいと考えています。
同時に、アートのカテゴライズを見直し、社会における自分の立ち位置について自分自身の見解を提示できるようになりたい。=既存の枠組みに収まらなくても存在価値があることの証明。
という目的も含まれています。
とくに私は「陶磁」で表現していることによって、自分の作品がアートの中のどの領域に属すのかという問題に度々ぶつかります。「工芸」「彫刻」「美術」「コンテンポラリアート」など。今あるこれらの言葉が、日本で生まれたものではなく、海外の概念によってつくられたものという事、またその領域の分け方も、作り手のために生まれたものではないという事
をご存知の方も多いと思います。
私は、「陶磁」で制作をしていますが、そもそもカテゴライズをすること自体に、なにか違和感を覚え、既存のカテゴライズに当てはまれないのなら無理に当てはまろうとしなくていいのではないか、と私は感じています。
ただ、西洋のアートの系譜と照合した時、その違和感についてなにをどのように伝えていけばいいのか、ここ日本にいても、わたしにはなかなか答えが見えてこないのです。
だからこそ、実際に海外で展示をして、西洋と日本の違い/共通点を私自身が肌で感じて確かめたいと考えています。その実感を元にして、私なりの見解を、作品と共に提示していけるようになりたいと考えています。
私の作品ひとつで、私一人で、世界が変えられるわけではないかもしれませんが、小さな風穴をあけたり、小さな波紋を生むことはできると思っています。
作品を制作することそれ自体はまず私自身のためですが、それを世の中に出すことによって、社会で生きる人々が「これまでより楽しく生きられそうだ」「おもしろくなりそうだ」「楽になりそうだ」と思えるようなきっかけとなりたいと私は考えています。
そんな気持ちをもって、このクルージュセラミックビエンナーレに参加します。
本プロジェクトは、そのための作品輸送費・そしてわたしが現地へいくための交通費を募るためのものです。
Motion Gallery との縁 -前回の結果を受けて。
私は前回、Motion Galleryのプラットホームを活かし、たくさんの人と繋がり、自分では予想もしていなかったクラウドファンディング100%を達成させていただきました。
おかげさまで、作品は無事にイギリスの展示会場に到着し、展示も成功しました。
プロジェクトを立ち上げた当初は、美術輸送を利用する予定でしたが、シッピングにはFedExを利用することに変更してシッピングコストを抑え、その分飛行機代に充てて、私自身現地へ行くことにしました。たくさんのギャラリーを訪問して営業したり、展示会場でのアテンディングもできました。
クラウドファンディングで得られた資金があったので、通訳さんを雇うこともでき、ギャラリーとのやりとりはもちろん、会場でのお客様たちとの会話も有意義なものとなりました。また、目の前で海外の人が作品と「触れ合う」様子を観察できたことは、私にとってとても貴重な経験となりました。展示された作品は、会期後ロンドンのノッティングヒルにあるVessel Galleryが引き取ってくれることになり、そのギャラリーとの取引も決まりました。Vessel Galleryとは、渡航前からメールでやりとりをしており、現地でも直接ギャラリーへ出向き、作品の取り扱いについて話をしていました。だからこそ、つかむことの出来た縁でした。
それも一重に、クラウドファンディングでみなさんが応援してくださって、多くの資金が集まったおかげです。またそれ以上に、支援者の皆さんが、精神的に私をずっと励まし続けてくださっていました。温かい言葉や気持ちに支えられていることで、異国の地でも私は自分の気持ちを保ち続けることができたのです。Motion Galleryのクラウドファンディングを通して、私はそれまでとは比べ物にならないほど多くの方々と繋がることが出来、自分のアーティストとしての活動をこれまでより大きく広げることが出来たのです。
支援を下さった、応援し続けてくださった皆さんへの感謝の気持ちは、未だに尽きることはありません。また、その機会が叶う場を守り続けてくれているMotion Galleryの存在は、文字通り、本当に「有り難い」ものです。
今回もまた、Motion Galleryのこのプラットホームを通じて、前回同様、縁を育めたらと思っています。どんな結果になるかということは未知ですが、私自身が目指す方向に向かって今回もひたむきに邁進し、努力し続けていこうと思っています!
以下の写真にあるのが、今回選ばれた作品です。
タイトル :Be - 存在
この作品は陶芸作品ですが、わたしが油絵を描いていた時の、色彩との関係を懐かしむ気持ちと、その当時の自分とは違う自分になっていることを自分自身で確かめたい気持ちもあって生まれました。自分のイメージに縛られず、誰からの評価にも縛られず、自分のそのままを存在させたい。けれどそれがとても難しくもがいていた時期の作品です。
その状態をすべてをありのまま、粘土で積み上げられていくかたちや、色彩に込めました。
そんなわけで、タイトルは「Be-存在」となっています。
最初に、この作品が生まれたきっかけでもある、
油絵から陶磁へ制作方法を変えた理由、
私が今もなお陶磁で制作をし続けている事の理由
をお話しします。
そして、
自身の陶磁作品を展示して見せることの意味、
わたしにとって海外で展示をすることの理由、
についてお話したいと思います。
そしてそのあと、
このプロジェクトにかけている思いや、
このプロジェクトが実行されることで実現できること
についてお話します。
長くなりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
「yaie yukar (やいえ ゆーから)」叙事詩を謡う、という意味。大学院の時の修了制作。陶磁を言葉のように紡いで、私が感じているこの世界の文脈を描き出したいと思って作った作品です。陶磁だけでなく、硝子でもかたちを表現しています。
私は現在茨城県結城市で制作をしています。主となる表現媒体は陶芸です。
高校から大学一年生までは油絵を主として表現をしてきましたが、大学二年生で陶芸に出会い、そこから15年間陶芸を続けてきました。なぜ油絵を描くことをやめてしまったか
それは、
・自分らしさを求める気持ちが暴走していた。
・絵の具にもキャンバスにも自分の理想を押し付けて思い通りにねじ伏せようとしている自分に気づいてしまった。(そんなのもう表現じゃないと思った。)
・自分自身と対話をしたくてキャンバスに向かっても、自分が感じられなくなっていた。
・描けば描くほど自分を見失っていった。
・作品をつくるほど、自分が小さく狭くなって、心が閉じていく感覚を覚えていた。
という理由からでした。
そのような状態で、当時19歳のわたしには油絵をそれ以上続けることは精神的に難しく、早々に諦めてしまいました。作品と、もっと対等な関係でいることを私自身が望んだのに、わたしから主体的にそれが出来なかったのです。
私は、
・私が私でいられる方法
・対等に対話ができる素材とそのための表現方法
・感覚、心、表現が同時に広がる方法。
を探しました。
そうして出会ったのが、陶芸だったのです。
私が陶芸を自分の表現の相方に選んだきっかけとなった人がいます。
それが、陶芸作家であり、筑波大学の芸術で教授を務めておられる齋藤敏寿先生です。
せっかく専攻を変えたのにも関わらず、油絵を描いていた時と大して変わらない状態で粘土を触っていた大学二年生の私に、先生は次のように声をかけてくださいました。
「素材に自分のイメージを再現しようとしたり押し付けてはいけない。」
「かといって素材に任せすぎてはいけない。」
「Stream」この作品が生まれた背景にも齋藤先生が深く関わっています。磁土の制作で、手びねりだと手跡を消そうとしてもどうしても消せない、鋳込みしかないのかと悩んでいた時、「じゃあ手跡を活かせばいいんじゃない?」と齋藤先生が仰ってくださいました。もともと手びねりが得意だった私は、手の痕跡を活かす、というところから「手の痕跡を誇張する」という方向で作品を作り始めました。そうして生まれたのが、この「Stream」のシリーズです。手跡の元にあるのは、わたしの感情。その時々の思いを形状記憶の強い磁土に込めて制作しています。
先生の言葉は衝撃でした。
一瞬矛盾しているように思えましたが、同時に、この二つの間をどう繋げばいい作品が生まれるのだろうと興奮したことを今も覚えています。
この言葉に私が求めているもの全てが集約されていると直感して、私は陶芸で制作を続けていこうとその時決めました。それ以来、この言葉に対しての自分なりの答えを出す旅を続けています。
その私がこの言葉と関わり続けてきて実感していることは、
頭でわかろうとしないほうが表現に広がりや深みが生まれる。
=素材とバランスのよい関係性を優先するほうに感覚を集中させるだけで、感覚も心も表現も伸びやかな状態でいられる。かつ、素材と自分が常に対等でいられる。
素直に素材と対峙していれば、自ずと自分らしさが引き出される。
=ことさら「自分が自分が」とならなくても、土に「応対」していることで、自ずと自分の感覚は反映されて、いつの間にか「自分らしさ」が出てくる。
ということです。
「Stream」手跡にはわたしの手の動きの癖、そのときの身体の状態による土をひねるときの強さなどずべてが現れます。かたちを積み上げていく中で起こる歪み、撓みも全て、バランスとしてかたちに活かしていくというスタンスでこのシリーズは制作しています。手跡を「誇張」するために、敢えて削ったり、やすりをかけたりして、「癖」を「美しく」見立てて表現することは常に心掛けています。
写真ー重松善樹
左「Roll」
右「Port」
この二つは、最初の写真にあった「Be」と同時期に作られています。色彩は、物理的には私が外側から塗ったものですが、釉薬を施しているとき、私の感覚としては、ひもづくりでかたちが出てきたのと同じ流れの中で自然に内側から湧いて出てきたようなイメージでした。
「Cosmos」
工房の様子
ここまでの文章で書いたように、私にとっての陶芸というのは、単に表現のための材料や手段、道具というものではありません。陶芸の制作現場において、土も、釉薬も、窯も、もっというと、温度、湿度、時間、そういった要素すべてが、わたしの「対話相手」です。
どんな対話相手かというと、私の本心を暴いてくれる、正直にならざるを得ない対話相手です。
陶芸の制作のときには、たとえ手びねりとはいえ刻一刻と変化する素材の状態や、制作環境に感覚を研ぎ澄ましていく必要があるので。恰好をつけている暇はありません。よって、必然的に、常に素の状態でいなければならないのです。
でも、
言葉を話さない相手と「対話」??
と、不思議に思われる方もいるかも知れません。
ここで「対話」というのは、具体的な言葉が寧ろ邪魔になってしまうような、とても感覚的なものです。
素材との対話に、言葉は必要とされていません。必要なのは、私自身の感覚。
それさえあれば、誰でも土と対話できます。
常に、自分の状態(身体的・精神的)と素材(土、水分、温度、熱)の状態を照らし合わせながら、制作をしていきます。かたちの状態(=土の状態、窯の状態)のいいバランスが続くように、制作の場に関わる全ての要素を調整し続けていくこと、それ自体が「対話」なのです。
とはいっても、そんなに難しく考えたりはしていません。その時、その場で起こる自分の感覚のまま、感じるままに、土と関わります。なかでも
・土に直に触れていられる成形の段階
・成形で出来たかたちが自立できるように焼成する段階
この二つは、わたしにとってとても大切な部分です。
それぞれについて少し説明をさせていただきます。
【土と私の関係】
成形中。
●土
素の自分でいられる。自分の存在を確認する場所。自分一人では気づけなかった自分を映し出してくれる、鏡のような存在。
●土と共にかたちを作ること
身体の内側に在るけども、言葉で筋道立てて説明のしようのないものを、袋をベロンと返すように外在化させること。自分でも気づいていなかったことを視覚的に確認できる。
土と関係している時間、私は私自身の「本心」を言葉ではなくかたちにして、文字通り「さらけだす」ことができます。
【窯と私、窯と作品の関係】
炭化焼成を終えた窯から作品を窯出ししているところ。
窯と私
・私を含めた誰の眼にも映っていなかった私の存在を具現化して見せてくれる。
・わたしが「したこと=事実」だけを露わにしてくれる。
・窯に作品を預けることで、私が私の感情から自由になる。(窯と作品の関係に私は口出しできないから。)
窯と作品
・作品が物理的に自立できるようにする。
・作品が私から自立して存在できるようにする。
=私の思いとは関係なく、作品自身が記憶できていることがかたちになる。
窯に作品を入れることは、
・私が私自身をイメージ化して見る事をやめて、そのままの自分を受け入れる
・作品が、一人格をもった人間のように、それ自身の存在意義をもって自立する
ためにとても大切なプロセスです。
そしてこれらの関係性が、私自身にとってだけでなく、見る人と作品の関係性に置き換えられるのではないかと私は考えているのです。
つまり、このスタンスを展示するときにもわたしから提示することで、
・鑑賞者は自分の本心を作品を通して感じられる。
・鑑賞者が作品を通して自分自身が感じたことをありのまま受け入れることができる。
=自分に殊更意味をつけなくても自分の存在意義を感じられる。
という、私と陶芸の間で起こるのと同様の効果が期待できると考えています。
そうしたところから、私は展示の際に次のようなコミュニケーションの方法をとっています。
「cradle」/「住まう、暮らす、触れる。」/アグレデザインオフィス代官山/写真ー重松善樹
2014年はじめての個展「カワヲ辿ル」/Silver Shell/写真に写っているのは長女、あおい。作品は、「Whale」
わたしは、初めての個展のときから五年間、一貫して、
鑑賞者が作品に「触れる」ことで、彼らが自身の身体感覚で直接感じ取れること
を大切にしてきました。
それは、言葉に表せないことや、言葉では理解ができないことも、私たちの身体を感受体にすれば、直感的にわかるという理解の仕方とその感覚を伝えたかったからでした。
難しく考えなくても、きれいに文章にならなくても、「感じられる」ということそれ自体が、存在しているという事だから。
「感じる」ことは主体がなければ起こらないもので、「感じている」本人がいなければ、わからないものです。
「ざらり、にゅるり、ぽたり」2017/art gallery closet/写真ー重松善樹
「なぜ」「どうして」と説明を求められることや、説明だらけの世界の中に生きていると、私は時々とても「疲れた」と感じます。
「ただただ感じていたいなあ。空を眺めているときみたいに。」
そう思うのです。
理由を求められない、無意味でいていい場所があればと私自身が思うのです。そういう場所・時間が、在ってほしいからこそ、私は制作し、作品を作り続けています。
「住まう、クラス、触れる」個展/アグレデザインオフィス代官山/写真ー重松善樹
作品「感覚の標本」
正直なところ、私の場合は、鑑賞者に対して私の作品を「わかる(=頭で理解できる)」ことを求めていません。
寧ろ私の作品を通して、鑑賞者自身の感覚が(それも奥の奥の方にしまいこまれているような自分一人では気づき得ないようなものが)より鮮明になったり、
「あ、今感じているこの感覚は何か新しい」「なんだろう?」「わからないけれど面白い」「わからないけれどすき」あるいは「わからないけれど受け入れられない」という鑑賞者自身の感覚の発見に繋がれば、それ以上にうれしいことはないと思っています。それというのはいわゆる、「腑に落ちた」状態だと私は思います。
「腑に落ちる」
この感覚がとても大切だと思うのです。
身体で感じた「経験」は、誰の目にも見えなくても、わたしのものです。あなたのものです。身体(五感)の記憶力は、頭の記憶容量よりもずっと多いと私は感じています。
私は科学者ではありませんから、それを実証はできません。でも、言葉で説明できない状態でも、身体にはしっかりと記憶されると、私は感じています。
その身体感覚と視覚情報とが一緒になれば、なおの事、記憶に強く印象づけられることでしょう。
それがあとになって、別の何かの経験と紐づけられて思い出されるとき、本当の意味で作品の機能がうまく働くのではないかと私は考えているのです。
作品の存在意義というのは、そのようなものだと私は捉えています。
鑑賞者が自分の感覚に気が付く、腑に落ちる=私の作品の存在意義
私と同じように感じている人は、世界にはきっと多少なりともいると思うのです。
「理由がはっきりしなくても、説明できなくても、まず自分の身体で感じとることができたならば、それで十分だと私は思う。」
と伝えていきたい。私のように、説明的な世の中に疲弊してしまっている人がいるならば、きっと私のような存在を知ったら楽になれる、楽しくなれる、そう信じているからこそ、私は展示を続けています。
写真ー重松善樹
ベースとなる活動場所は日本ですが、1年半ほど前から海外での展示へも目を向け始め、イタリア、イギリス、スペインなどヨーロッパを中心に展示をしてきました。
こちらの画像は、わたしが海外で展示するきっかけとなった、Artrooms fairでの展示の様子です。
Artrooms Fair Roma 2018,わたしの部屋の展示の一部。
ART ROOMS FAIR ROME 2018の展示風景。壁面に「stream」を展示しました。両脇に見えているのはライト。真っ白な壁面にかかった作品を、「人体」「人の抜け殻」と例えるひとがとても多かったです。
ART ROOMS ROME2018、展示している部屋の様子。中央が私です。
ART ROOMS LONDON 2019の展示。この時は「Single work section」で、一作品のみ展示をしました。
先の章で触れたとおり、海外での展示においても、私は作品に触れてもらうことを大切にしてきました。
また、繰り返しになりますが、わたしは、作品をきっかけとして、鑑賞者の想像力や感性、感覚といったものが引き出されることを何より大切にしたいと思っています。
写真ー重松善樹 / 「cradle」部分
ここまでの海外での展示で強く実感してきたことが次のようなことです。
・最初に「触れるという出会い」を鑑賞者と作品の間にしかけた。
→鑑賞者がより主体的に作品と関係を築こうをしてくれる。
・触れることで鑑賞者の意識の照準がその人自身の感覚に合う
→作品(自分の外に在る環境)のことも捉えやすくなっている
・作品と対話を始める導入の段階で言葉に依存しない。
→相手に「話せなくても大丈夫」という安心感を与えることができ、別の言語、別の文化、別の精神をもった人たちとより通じやすくなる。
・鑑賞者と作品の関係を尊重する。
→鑑賞者と作り手である私の関係も築きやすくなる。
・言語が不自由であるほど、作品の機能がどれだけ有効かというのがわかりやすい。
・他言語、異文化とのかかわりの中で、感じ方の差異/感じ方の共通点 が見えやすい。
写真のキャプション鑑賞者と作品。お兄ちゃんと妹が作品を対話して遊んでいるところ。
まず、「優しく触れて、作品を感じてみてください」と声をかけます。海外だと英語も通じない人が多く、そうした時には自分が作品に触れて見せることで、鑑賞者が作品に触れられるように促してきました。
その「触れる」瞬間を見ることが、私の一番の喜びといえる気がしています。
理由は、その「ジェスチャー」に、その人らしさが現れるから。手を伸ばす速さや手の動き方から、それぞれの「優しさ」ひいては「個性」が感じられる瞬間です。
そして私はその瞬間から築かれていく、鑑賞者と作品の、1対1の関係を大切にしたいと思っています。
作品が先に鑑賞者と対話をしてくれていることで、仮に、言葉が通じなくてもコミュニケーションがとりやすくなりました。作品越しに交わされるジェスチャーだったり、片言の単語で、なにかしら「通じ合えた」感覚を鑑賞者とわたしが互いに得ているとわかる。それがとても面白くうれしい経験でした。
海外でなければここまではっきりとは感じられなかったかもしれません。
言葉が不自由だからこそ、作品が介在してコミュニケーションが活発化するということも実感しやすかったのだと私は思っています。
「stream」/ 写真ー重松善樹
イギリスでの展示の際には、通訳の方についていてもらったのですが、私は通訳の方がいても、まず初めに「触れてみてください」と言うことを一貫してきました。私から話し始めるということはせず、鑑賞者と作品の関係が築かれることをまず一番重要視して見届けるようにしました。鑑賞者が作品と十分に対峙したあとに、わたしへ向けた言葉が出る、ジェスチャーが起こるなど、鑑賞者から私へコミュニケーションの意思が現れることを待つように心がけていました。
言葉が通じる環境であったとしても、作品と鑑賞者の関係性をなにより尊重することで、そのあとのコミュニケーションしやすくなっていたと私は感じています。
一方で通訳の方がいてくださることで、鑑賞者のほうから作品についての分析や、作品から得たインスピレーションについてたくさん語ってくれるということも多かったです。その中で「触れられるって面白い経験」「触れると感じられることが広がった気がする」という言葉をくれる人もたくさんいました。作品を通して感じられたことをもとに、それぞれが想像したストーリーを話してくれた方もいました。また、感情や感覚といったところに対しても、具体的な言葉で表現する方が多かったというのも、印象的でした。
鑑賞者の感想から、見るという行為や言葉で理解をするということ以上に触れるという行為が重要視されていることで、よりじっくりと鑑賞者が「鑑賞者自身の感覚」を味わうことが出来ると私は感じています。
写真ー重松善樹 / 「cradle」部分。
「触れる」という鑑賞方法を通じて、私はわたしなりの、作品の大切な機能を伝えてきたつもりでいます。
まるでセリフを繰り返すだけのようなコンセプトを聴いたり、それを理解することがアートにおいて最重要というわけではなく、その場その場で起こる作品と鑑賞者のコミュニケーションと、それを通じて鑑賞者が鑑賞者自身の存在価値を高めていけることが大切だと。
Artrooms Fair Rome 2018 私の部屋の展示風景
大切なのは、作品と鑑賞者の関係が、私と粘土の関係、或いは私と窯の関係のようになること。そのように作品が機能することです。
私が陶芸を通して得られている感覚を、作品を通じてたくさんの人に届けていきたいという思いをもって、これからも広く、世界へ私の価値観を届けていきたいと思っています。
今年10月に開催されるCluj Ceramics Biennale 2019 は、今回で4回目となるこの国際陶芸ビエンナーレです。ルーマニアの都市、クージュナポカという土地で開催される、2年に一度行われる陶芸のお祭りのようなものです。このビエンナーレでは、展示だけでなく、たくさんの国からくる陶芸家たちとのカンファレンス、そしてワークショップも開かれます。また、選出された作品は展示会場でさらに厳正な審査をうけ、その中から賞が4名4作品に渡されることになっています。賞を取った作家には、ルーマニアのギャラリーでの企画展も用意されています。私の憧れの陶芸家もここで賞をとった一人で、現在世界の陶芸の様々な舞台で活躍しています。
世界から多くの陶芸家たちや、その愛好家たちが集まる場所へ私の作品を無事に送り届けることが、まず一つ目に必要な事。
次に大切なのは、会場を訪れる多くの人たちに、私の作品に「触れて」「感じて」もらい、その感覚を通じて「対話」をしてもらうという事が、二つ目ではありますが、最も重要な事。
そして願わくば賞をとり、ルーマニアのギャラリーでの作品展示を実現したいと考えています。
これらがこの展示にあたって、私が望んでいることです。
尚、作品はこの展示のあと、Ceramart Foundationへ寄付することになっています。
私の作品に初めて出会う多くの人々は、作品に触れて味わう経験を通じて、これまでにない視覚・触覚体験を持ち帰り、それぞれの日常の中でその経験を反駁することになるでしょう。作品が、鑑賞者それぞれの感覚の中に、それぞれのかたちでずっと記憶されていくこと、そしていつか彼らの人生において、私の作品に出会った瞬間とはまた別のよいかたちで機能してくれることを、わたしは願っています。
現地へ行くことが叶えば、私はこれまで以上に多くの海外の作家たちとの繋がりを作り、そこからまた別の展示の機会を得られると考えています。私自身が世界中から集まった多くの陶芸作品との出会いを通して、未だ見つけることの出来ていない自分を引き出すためのヒントを見つけたいと思っています。(おそらくほかの作家たちの作品には触れられないのだろうと思います。)
カンファレンスやワークショップでは、日本に留まっていては得ることの出来なかった知識、技術を獲得することもできるでしょう。
そうした関わり合いの中で、自分の立ち位置を俯瞰して捉えやすくなるだろうと考えています。
そのような私自身の経験を日本へ持ち帰り、たくさんの日本の友人にシェアする事ができます。新しい視点、新しい感覚を得られたならば、それは惜しみなくどんな人にも伝えていきたいと考えています。
またこうして活動している私自身の姿が、多くの友人の励みや、勇気になることを、私は願っています。
イギリスへ作品を送った時の様子。この時はWA-PORTERの飯村さんにシッピングの手続きをお願いしました。
今回のクラウドファンディングの支援で集まった資金は、まずルーマニアまでの作品の輸送費にあてられます。
輸送費については、フェデックスで見積もりをとってみたところ、約14万円でした。
それ以外に、箱制作代約3万円、そして関税が2~3万円かかります。
その全体で概算20万と見積もっています。
それに合わせて、プロジェクトの目標金額が23万円に設定されています。
これがまず達成できれば、私の作品は無事にフェデックスによって現地まで送り届けられ、ビエンナーレで無事に展示されます。
展示が実現すれば、多くの人の目に、手に、私の作品が触れ、たくさんの有意義な対話が交わされることになると私は考えています。
そしてこの展示を通して、わたしの作品を越え、海外から日本の陶芸・アートに更に注目が集まり、国内のアーティスト、或いはその作品たちが海外へ向かう/海外から見に来る機会を増やすきっかけとなれると私は考えています。
Cluj Ceramics Biennale 2017 の様子。Cluj Ceramics BiennaleのWebsiteから引用。
また、もし目標額の23万円のファンディングを達成し、自分自身の仕事からの収入なども併せてさらに資金を集めることができれば、それをルーマニアまでの往復航空券代にあて、自分自身も渡航し、現地の様子を肌で感じたいと考えています。
飛行機代は、現時点で調べたところ、約16万円でした。
私が現地へ行くことが出来れば、
・現地の人々と作品がどんな対話を繰り広げているかの観察をし、その状況をレポートします。
・140個弱ある世界各国から選出された陶芸作品を見て、写真にとり、現在の陶芸の状況をリサーチし、日本の友人にむけ自分の声で報告します。
・カンファレンスに参加し、現在の世界の陶芸の事情についてや、発表する作家の制作についてさまざまな知識を得られるでしょう、それをこのプラットフォームで発信します。
Cluj Ceramics Biennale2017のカンファレンスの様子。Websiteから引用。
・ビエンナーレ中に開催されるワークショップを見学し、自分にはない技術を発見したり、自分がもっている技術であっても違う可能性をみつけることができます。
そのことを、自身の制作に反映し、自分の発想力、表現力の向上と作品の質をより高めようと考えています。
・日本の友人へも得られた情報を余すところなくシェアしていくつもりです。
・私は、自分だけでなくもっと多くの日本人のアーティストが世界へ作品を発信していけたらと考えているので、現地で出会った人々に、日本の陶芸・アートの質の高さやすばらしさを伝えていこうと考えています。それに対するリアクションも、日本の友人たちにシェアします。
・私のためだけでなく、世界に出ようとしている日本人アーティストたちに有益な、展示や公募、レジデンスの情報を得ることができれば、その全てをシェアします。
Cluj Ceramics Biennale2017 、Websiteから引用。
今回もまた、クラウドファンディングでの活動をしてみようと思った理由として、
・作品出展のための資金を募る。
ということだけではなく、
・SNSの繋がり以外の場で情報を発信して、自分自身の活動を認知してもらう、つながりを広げる。
というのも大きな理由のひとつです。前回のクラウドファンディングの活動を通じて、私自身の存在を、それまで以上に広く伝えることが出来た実感があったからこそ、またこの場で発信してみたいと思いました。
加えて、海外を目指している他のアーティストたちに向けて、
・こうしたプラットホームを通じて、たくさんのひとと出会い、繋がり、共感を得て、そして自分の夢をかなえる方法もあるのだと伝えたい。
・こういう方法がアーティストたち自身にもっと「自然」に受け入れられるようになったらいいな。
という思いもあります。
私は、日本人アーティストの感性も、表現力も、作品の質も、世界のなかで高いレベルにあると感じています。日本人のアーティストたちが、自分の素晴らしい作品をもっと世界へ向けて発信しやすい状況になってほしいと感じているのです。
勿論私自身、このMotion Galleryのプロジェクト以外にも、つながりのある仕事先に仕事を頂いたり、つながりのある会社様に協賛をお願いしたりというかたちでの活動もしています。
最初の理由にもありますが、こうした活動を通じて、自分を世間に知ってもらうことが出来るという事はとても有意義なことだと私は感じています。
今回の返礼品は「これから自分がやってみようと思っているもの」にしました。
すでにあるものは、「過去作」のみで、ほとんどが、これから作るものです。
質感や色味など、参考になる画像を載せます。返礼品について質問がある方は気軽にお問い合わせください。
どの返礼品にも、お礼のメール、経過・展示後の報告を送らせていただきます。
150,000円以上の返礼品にはすべて、一口につき手書きのポストカードが3枚つきます。
・3000円 純粋支援(お礼のお手紙を送らせていただきます)
・3000円 ポストカード3枚
・5000円 純粋支援(お礼のお手紙を送らせていただきます)
・5000円 炭化焼成の5cm立方内の小さな石ころみたいなオブジェ一つ。
・5000円 最大辺8cmの陶板(裏に紐通しつき、コースター、小皿にもなる)
5,000~10,000の、炭化・石ころの参考作品。こんなかたちの、小さいバージョン。
・10000円 炭化焼成の8cm立方内の石ころみたいなオブジェ。
・10000円 型成形の箱型オブジェ (8cm四方くらいの)※後日掲載
・10000円 最大辺10cmの陶板(裏に紐通しつき、コースター、小皿にもなる)
5,000~10,000円の、炭化・石ころの参考作品、グレーっぽくなることもある。
・15000円 絵画のようなカップ一つ
・15000円 15cm四方の陶板(裏に紐通しつき、コースター、皿、壁掛けもできる)
陶のカップの例、色はこちらで選択させていただきます。
・20000円 型成形の立方体変形オブジェ(10~13cm立方内)
・20000円 型成形の楕円形オブジェ(10~13cm立方内)
立方体変形オブジェクトの例。炭化焼成の予定なので、もっと黒くなる可能性もあり。
・30000円 10cm立方以内のオーダーワーク
・30000円 最大辺20cmの陶板(裏に紐通しつき、コースター、小皿にもなる)
・30000円 絵画みたいなカップ&プレート(10cm×15cm)
カップとプレートの例
・40000円 ペインティング(22.5×15.5cmのパネル)一点。ペインティング
・40000円 型成形の立方体変形オブジェ(15cm立方内)
・40000円 型成形の楕円形オブジェ(15cm立方内)
・40000円 10cm立方内のオーダーワーク
楕円形オブジェクトの例。
・50000円 最大辺25cmの陶板(裏に紐通しつき、皿に見立てることもできる)
・50000円 型成形の立方体変形オブジェ(20cm立方内)
・50000円 型成形の楕円形オブジェ(20cm立方内)
・50000円 15cm立方内のオーダーワーク
陶板の例、丸、四角どちらか選べる。色は黒系か青系どちらか。青系は上に在るプレートを参照してください。
・60000円 最大辺30cmの陶板(裏に紐通し付、皿に見立てることもできる)
・60000円 18cm立方内のオーダーワーク
・60000円 過去作から一点
「cosmos」
・70000円 過去作から一点「Floating」
写真提供ーart galley closet
・70000円 20cm立方内のオーダーワーク
・80000円 過去作から一点80,000円過去作
・80000円 22cm立方内のオーダーワーク
・90000円 過去作から一点
「Flowing」
・90000円 25cm立方内のオーダーワーク
・90000円 最大辺40cmの陶板(裏に紐通しつき、皿に見立てることもできる)
・100000円 過去作から一点「undulated」 /写真ー中村温子
・100000円 30cm立方内のオーダーワーク
・120000円 過去作から一点「undulated」
写真ー重松善樹
・120000円 40cm立方内のオーダーワーク
・150000円 過去作から一点各150,000円の過去作 「Flickering」
150,000円の過去作 「stream」
・150000円 45cm以内のオーダーワーク
・200000円 過去作から一点
「stream」上の一点
・200000円 50cm以内のオーダーワーク
・300000円 過去作から一点上下ともに、「stream」30万円リターン過去作品 /写真ー中村温子
「cradle」 30万円リターン過去作品 / 写真ー重松善樹
・300000円 60cm以内のオーダーワーク
今回のチャレンジで想定されるリスクは、
・発送できても届かない。(ロストの可能性は0ではない。)
・通関でとめられて返される。(これまでも毎回一度は止められて確認作業が入っていますがそのあと通関できています。)
・壊れる。(一度もありません。)
作品が届かない、返される、壊れる可能性は、私の作品だからということではなく、どんな荷物でも国際便にはついてまわるリスクです。
ですが、FedExはインターナショナルクーリエのなかでも信用度が高く、いろいろな国際コンペティションでも推奨されているクーリエのひとつです。(DHL、日通、ヤマト運輸なども推奨されています。)
これまでのFedExを通じて取引においては、現地スタッフ、日本側のスタッフが連携して、多少遅れは出たとしても確実に無事に作品を送り届けてくれています。
(ちなみに、イタリアの郵政局のクーリエを使った時には、段ボールは濡れて穴が空き、4個口で送ったものの、2週間かけて3つがバラバラの日時に届き、最後の荷物は出国できないままで、結局アートフェアのスタッフが引き取ってくれました。)
これらの点に関して、私は今までの梱包技術を存分に発揮して安全な梱包をするということ以外では直接問題を解決する術は持ち合わせていません。
だからこそ、私にできる事として、梱包費用と手間をきちんとかけて、安全な運送に備えていくつもりです。
このプロジェクトが成功すれば、
=シッピングにストレスがかからないので、制作に集中できる。次の展開に向けた準備に早く臨むことができる。
=このプロジェクト以外で募って集まった資金、働いて稼いだお金を自分の渡航費用や、次の海外出展に向けて活用できる。
=わたしの作品が、というだけでなく、日本の陶芸、日本のアートが海外へ発信される機会が増えていく。
=ほかのアーティストたちにとって海外進出がより現実的なものとして受け入れられるようになる。
ということになります。
しかし、仮にこのプロジェクトだけで資金が集まらなくても、
作品を現地へ発送するミッションは遂行します!
(恐らく9月発送時点までに間に合うように、このプラットホーム以外でも資金を募るために動いていきます。)
改めて、ここまでの私の言葉に耳を傾けていただき、ありがとうございます。心から感謝しています。
そして現時点で支援を検討してくださっている方、本当にありがとうございます。
みなさんの応援が、わたしの夢の実現への道となって、ひいては夢を実現させようと努力をひたむきに続けている他のアーティストたちのことも導く道になっていきます!
プロジェクト成功に向けて精いっぱいがんばります、 どうかどうか応援よろしくお願い致します!
残り12枚
1000 円
残り20枚
2000 円
残り13枚
3000 円
残り7枚
5000 円
残り3枚
5000 円
残り8枚
10000 円
残り10枚
10000 円
残り10枚
10000 円
残り5枚
10000 円
残り10枚
15000 円
残り10枚
20000 円
残り9枚
20000 円
残り2枚
25000 円
残り4枚
30000 円
残り5枚
30000 円
残り5枚
40000 円
残り5枚
40000 円
残り3枚
50000 円
残り4枚
50000 円
残り5枚
50000 円
残り1枚
50000 円
残り1枚
60000 円
残り1枚
60000 円
残り4枚
60000 円
残り1枚
70000 円
残り1枚
80000 円
残り1枚
80000 円
残り2枚
90000 円
残り1枚
90000 円
残り1枚
90000 円
残り1枚
100000 円
残り1枚
100000 円
残り1枚
120000 円
残り1枚
120000 円
残り1枚
150000 円
残り3枚
150000 円
残り2枚
200000 円
残り1枚
200000 円
残り3枚
300000 円
残り1枚
300000 円