素直に。-②
vol. 15 2019-11-12 0
アート、工芸・クラフト
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さて。昨日のつづき。
(書き溜めていたものを編集しつつ、年末までかけて小出しにしていきます。)
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わたしが、いま「しばらくアートとは距離をおきたい」と、そういう心境でいること。
これは、今突然現れたようで、でもこれまできっとわたしのなかで燻っていたのだと思います。
正直「不安」です。
だってこれまでその中でぬくぬくとしていたわけだから。
しんどいなりに、守ってもらえていたので。
その鎧というか、城壁というか。そのそとにでたら、どうなるのかわかりません。
でも、
距離を置くことで、
わたしは私自身が本当はどうしたいかということに、向き合いやすくなります。
それが、今は必要だと思っています。
ルーマニアへ行って見聞きし経験したことは、そのきっかけになってくれて、
わたしを後押ししてくれています。
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カンファレンスでのこと。
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まず、
わたしは英語が完璧にわかるわけではないです。
でも、自分にとって興味ある内容のときは、不思議とそれなりに理解が出来る。
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やはりコンセプトは大切、これからはもっとコンセプトを。
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話は、ヨーロッパでの陶芸の立ち位置についてのあたりから。
イギリスでも友人に、
「イギリスだと、工芸っていうのはアートの舞台の端っこのほうで、舞台から落ちるか落ちないかの瀬戸際にいる存在っていわれてるの、中央は絵画や、彫刻、そしていわゆる現代アート。
もしくは、アートのヒエラルキーでいうなら、絵画彫刻みたいな「美術」ってよばれるものが上、その下にデザイン、で、クラフトはアートではない、つまりヒエラルキーの枠の外っていう見方もいまだにあるし。」
以前そういうことを聞きました。
カンファレンスでも、同じようなことを言っていました。
ヨーロッパにおいて、
陶芸は、あるいは、クラフトは、絵画彫刻といったものに劣るとされていると、
それは作品を見る前提においても、それから市場においても。
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一方で、日本、中国を中心としたアジアでは陶芸は、「The queen」だと。
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日本ではたぶん、工芸は芸術の中にはいっているか、もしくは並列。
少なくともわたしのまわりで、
「陶芸なんだ、へ~興味ない。」といわれているひとはいないし、
わたしも勿論そういう経験はありません。
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「これも陶芸なの?」「へ~これって工芸っていっていいんだ!」
と、驚かれたことは、あります。
(今は、自分の作品を敢えて「工芸」ということはわたしはなくなってしまったけれど)
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絵画や彫刻のほうが上、という意識のほうがきっと、古いのではないのかな。
今の日本では。
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この時点で、わたしはわりと、ぽかーんとしてしまっていました。
あまりにも深い溝があるような気がして。
上下関係がアートの中にあって、自分たちのほうが劣勢だと意識してしまっているこの状況(わたしのまわりはみんな大きく頷いていたから・・・)、
それが、わたしにはどうしようもなく、違和感でした。
なぜそんなことを気にしなければいけない状況がうまれているのか、
絵画か彫刻か、陶芸か、工芸か、そんなのは、気にしなくていいことと、
いつもわたしはそう思ってしまっているから。
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もっというと、わたしは
「陶芸は、芸術のなかに敢えて含まれなくても存在できる、
なにかもっと違う位置づけのようなものの気がする。」
とおもっています。
これはとても個人的、本能的にそう感じていることだから、
現時点、説明しようがなくて、残念だけれども。
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だけどやっぱり、art, craft, design, painting, sculpture, ceramic, ・・・
カテゴライズはアートの発祥の地、ヨーロッパではとても大切なことなのだと、
痛感させられた場面でもありました。
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わたしはそれは違うとおもいながらも、言葉が見つからなくて、
よくわからないけれど涙がでそうでこらえていました。
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そこから、コンセプトのお話しへと移ります。
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先に話したように、今アートの世界では、陶芸は劣勢だということなのです。
生存するために。
なにをこれから意識していく必要があるか。
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今の「アート界」で大切にされていることは
「コンセプト」だと。
作品に説得力をもたせられる言葉、その言葉でどれだけの人を納得させられるか、
それが大切。
そして、
世界時事、つまり、環境問題(温暖化、原子力、、、)とか、ジェンダー(男女の平等や、LGBT、クィアとか、、、)、紛争、貧困、宗教、、、
そういったことを作品が語れるということが、これからは大切なのだと。
人々に求められているのはそういうものだ、と。
例えばこのクマの作品。
温暖化の問題をテーマにしています。
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今回の受賞作品がこちらのリンクから見ることができます。
https://clujceramicsbiennale.com/en/2019-biennale/2019-winners.html
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コンセプトがはっきりとしているもの、
それが今のアートの「トレンド」だそうです。
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わたしのなかで、なにかがほろほろと、崩れました。
どうしたらいいだろうと。気持ちがどんどん底なし沼に沈んでいくようでした。
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作品をみて、まず観た人がそこから主体的に「なにか」感じることが、
わたしは大切だと思っていて、一貫してそれはかわりません。
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それは例えば、
子供が知識のない状態で、彼らにとっての未知のものに触れて、まじまじと観察するような、
そういう感覚です。
「なんだろう。」
と、のぞき込む。
周りのものが急にふわっと消えてしまって、
世界にはまるでその対象と自分しか存在しないような心地になって、
意識する間もなく、その対象や、場にに没入していくような。
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わたしが引き起こしたいのは、そういう関係で。
作品の目の前にそういう状態になれるような、
そんな作品をつくりたいとわたしは思って、ここまで生きてきました。
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大人になると、
対象をまるでデジタル情報のように既知の知識で処理してしまっていることが、
よくあるのではと思います。
そうでないと日常をまともに過ごせない世の中だということもあって…(殊この日本では)
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世の中に、考えることは膨大に溢れていて、
問題は見つけようと思えばどれもこれも問題になる…。
大切な問題をピックアップして人々の関心をひきつけるのも大切なことだと思います。
でも
そのなかにあって、わたしは、
もっと本能的で、野性的な「直感」「直観」を大切にしたい。
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よくわからないものに対して、
筋の通った納得のいく説明をされると、
「なるほど」と説明を理解する。
作品の価値が「わかった」と思う。
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今、「トロールの森国際野外展」に参加しています。
http://www.trollsinthepark.com/about/
その場にいると、近所のかたがたとお話しする機会が多いです。
そして、そこでこんな話を聴くことも多かったのです。
「アートだからというところで、そこに自分から近づこうとする。
それで、作品そのもののよさがよくわからないときは、
キャプションを見てみる。
筋の通った意味がそこにあるのであれば、
もういちど、作品の何がいいのか理解しようと努める。
説明がわかると、よくわからなかった作品の面白さがわかるときもあるし、
逆にわからないといけないのかなと思うこともある。」
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どこかでは「ふむふむ」とおもうけれど、
どこかでは、違和感があって。
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ビエンナーレには、インターナショナルセラミクスアカデミーの役員、会員の方が大勢いました。「陶芸ワールド」の面々が揃っていた。
そこですら、「トレンド」は無視できない。
でも、わたしが悔しいな、悲しいな、もやもやとたものが残る、、、
と思ったのはこれだけではなくて。
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今回はここまでで、次回にまた、つづきます。
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次回、「陶芸にとっての3Dプリンターの脅威?」からはじめます。