素直に。
vol. 14 2019-11-11 0
普通に話したい。
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普通に話したい。というのはなにか、変かもしれません。
なんというか、話すように、いつもわたしが自分の家族に話すときみたいに、
話してみたいと思っていました。
「何か伝えよう」としたときの文章って、
筋が通らなくなる。
矛盾がおこりやすいのです。
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正直に話せるようになるまでに時間が必要でした。
わたしは、正直に、今のわたしのことを話してみようと思います。
ルーマニアのことは、そのなかで、必要に応じて登場します。
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いまのわたしは・・・。
もしかしたら、がっかりさせてしまうかもしれません。
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でも、まずはここから話させてください。
わたしは、いまなんだかとても、言いようのないきもちでいるのだと、
最近になって、ようやく自覚することができました。
というよりも、ようやくその状態の自分を許容できたといったほうが正確かもしれません。
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何にかわからないけれど、裏切られたような、
いまとなっては、何をかすらわからないけれど、大きななにかを失ったような、
喪失感のような。
失恋とすこしちかい。
でも悲しいのともちがう、もっと空っぽな感じです。
すこしだけ自分の視点をかえたら、これはすごく、解放/開放された気持ちになるきがしているのですが、これまでの自分がなかなかそうはさせてはくれず。
いまだにまだ、虚無感は残っています。
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わたしは、ちいさいときから描くこと、つくること、そればかりしていました。
好きというより、それをしていると落ち着くから。
無我夢中になれることでした。
物心ついてからずっと、そうでした。
今35歳なので、30年以上、わたしはそうだった。
そこは、何も変わっていない。変えようがなかったんだということ、
当たり前かもしれませんが、ただそういうことなのだということが、
なにより大切なのだということに気が付くことが出来た、
それは自分にとっていいことだと思います。
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小学校一年生のときに、わたしは母の友人の描いた絵手紙のうさぎと人参に感動しました。
とても上手だったから。
わたしは絵をかくようになってからず~っと、
「思い通りに自由に描けるようになりたい」と望んでいましたから、
どうしたらそんな風に描けるようになるの?と、たしかそんな質問をしました。
その人は、「びじゅつか」というところにいって勉強したことを教えてくれました。
絵を描いたり、ものをつくることを学ぶ学校、
それが、「びじゅつかこうこう(美術科高校)」。
そのときはじめて「びじゅつ」というものをしりました。
「こうこう」という場所のこともしりました。
小学1年生のわたしは、それから、自分がすきなことは「びじゅつ」で、わたしは「びじゅつ」の学校に行くのだと盲信して、猪突猛進に走り続けました。
小学校1年生で、自分がいく高校を決めているって、ちょっとおかしいかもしれません。
でも、自分はそこへ行けると信じていて、
わたしが進むべき道は「美術」だと、徐々に学年があがるにつれ明確にそう考えるようになっていきました。
そのときの自分の精神状態はまだ、なんとなく今の私の中にも残っています。
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疑うこともなく、わたしは「美術」がすきなのだと信じ込んでいた。
嘘ではないと思うし、今でも、それが間違いとまではいいません。
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でもわたしがすきなのは、というより心底求めているのは、
つくること。表現。
純粋に、ただそれだけでした。
そして今もそれはかわらず。それだけなんです。
わたしは自分の手でなにかを表現することをせずにはいられない。
それは「美術」とか「芸術」とかいうものと呼べるらしいけれども、
でもその限りでもない。
寧ろ、今現在でいう「アート」「美術」「芸術」のカテゴライズからわたしはちょっと距離を置きたい。
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小学1年生の時に「びじゅつ」を知ったわたしは、そこから、「美術」と呼ばれるものに触れていくことになります。
学年が上がるにつれ、当然、美術についての見るもの、知ることは増えていきます。
その過程で、わたしは「芸術」という言葉もしりました。
そして、「これが美術」と思っていたものが、徐々に徐々に、広がっていきました。
「デザイン」「工芸」という言葉も知ります。
あれもこれも、「美術」。「芸術」。「アート」。
それで、そのなかにはものすごくいろんな〇〇アートが細分化されてある。
・・・らしいけれど、わたしには別に、そこまで重要ではないけれど、
でも「芸術」志す以上はカテゴライズは大切らしい・・・。
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「わたしは美術がすき」
「自分が追いかけているのは、芸術」
「わたしは芸術家になる」
わたしは、そう信じることをやめませんでした。
正直、大学にすすんで、「現代美術」にふれるころにはもう、「アート」ってなにがなんだかよくわからないという状態だったと思います。
新潟の芸術トリエンナーレにいったときは、
工事現場にあるブルドーザーやクレーン
川におちてるビニール袋も
作品かもとちかくまでたしかめにいってしまったくらい、、、。
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なにをどう位置づけるかは、自由。でも、どこまでいいの、なぜこれはちがうの、
というのがわけがわからない、
そのなかで私の作品て、なんなんだろう、、、わからない。
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でも、わたしは7歳の時に決めた自分の目標を、退ける勇気はなかったし、
「アート」を理解して、自分も「アート」らしく振舞うよりほかないと覚悟を決めていたのだと思います。わからないなんて認めたくなかったはず、その時の自分は。
「アート」が「芸術」が、わからないとそう思うことすら私には悪だったと思います。
だからその思考に至る前に身をひるがえして自分を鼓舞していたはず。
自分はその領域にいる【べき】なんだから、くらいのことを、思っていた気がします。
もし、そう振舞えないなら、その自分が何か、足りていなくて、自分がだめなんだと、
努力が足りないとか、勉強不足で理解が出来ていないからと、
そう自分を責めたことが何回も、ありました。
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本当は、「わたしはアートといってもなにだかいまいちよくわからない」ということ、
きちんと気づいていたと思います。
なにより「美術の歴史」「美術の文脈」にほとんどといっていいほど興味をもっていませんでした。
それを素直に認めればよかったのだと今ならそう思えるし、
その当時の自分に声をかけらえるならかけたでしょうが、
もちろんそんなことはできません。
しんどいとおもうことすら、「自分がいけない」と思っていました。
でも本当に、しんどかった。
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わたしは、「アート」にすがっていたのだなと、思います。
自分がしていること、したいこと=「アート」「美術」「芸術」
だから「いい」みたいな意識が、どの程度かはわかりませんが、でも確かにあったこと、
今も少なからず残っていることは確かです。
だから、わたしは此処にいて大丈夫、つくっていることは「アート」だからいいこと、
という意識がなかったといったら嘘になる。
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ここまできて、そう痛感するほどに、なにがあったのだろうと思われる方も、
すでに話を聴きたくなくなっている方もいるかもしれません。
がっかりさせてしまっていたら、本当にごめんなさい。
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この続きは、次回に。
次回、ビエンナーレでのことにも、触れることになります。