6月20日「世界難民の日」に思うこと
vol. 14 2021-06-20 0
マレーシアにいるミャンマー人のエリスイちゃんと
埼玉県にいるクルド人のアサフくん
(ともに仮名)
毎年6月20日は、国連が定めた「世界難民の日」です。
コロナ休校中に学校から借りたタブレットで勉強するチン族の女の子 (*エリスイちゃんではありません)
絵本『ぼくはひとりで』と「難民」は直接は関係ありませんが、学校に通えることが当たり前ではない子どもたち、という点で共通するものがあります。
私は現在、マレーシアにいるミャンマー出身の少数民族・チン族の人たちと、埼玉県にいるトルコ出身のクルド人の人たちという2つの ”難民コミュニティ” とつながりを持っています。
彼らの多くは、いま住んでいる国で正式に難民として認定されていないため、正確には「庇護希望者」や「難民認定申請中」という不安定な立場に置かれています*。どちらの民族も母国で迫害や弾圧を受け、故郷から逃れてたどり着くことができたのがマレーシアだったり日本だったりしています。
*マレーシアは難民の受け入れを公式には認めていません。
*クルド人は欧米では多くの人が難民認定されますが、日本ではこれまでに1人も認定されていません。
母国から出なければならなかった理由、故郷に帰れない事情は一人一人違います。
そのため、一括りにして考えることはできません。ここでは「世界難民の日」にちなんで、私が直接知っている子・お母さんを知っている子について書きたいと思います。
学校に通えなくなったエリスイちゃん(仮名・7歳)
エリスイちゃんはクアラルンプールにあるチン族の難民の学校の生徒です。
そこは難民の若者たちが自主運営している民間学校で、食堂や車の修理屋さんなどが入る雑居ビルの中にあります。
私はエリスイちゃんが5歳の頃に、その学校で簡単な英語や工作を教えるボランティアをしていました。当時ミャンマーから来たばかりとのことでしたが、英語もぐんぐん覚えて何でも吸収するのが速い利発な子でした。
ところがエリスイちゃんと3つ年上のお姉ちゃんは、昨年から学校に通えなくなっています。
新型コロナの影響で休校になったことをきっかけに、親からもう学校に行かなくていいと決められてしまったそうです。
以前、お父さんが病気になり、お母さんが家計を支えることになったときも、学校に支払う月1300円ほど(日本円換算)の学費を浮かせるためと、家でお父さんの身の回りの世話をするために姉妹は一時期学校に来られなくなっていました。
今回は完全にドロップアウトしてしまったようです。
昨年、いったん学校が再開したとき、私は先生にエリスイちゃん姉妹が戻ってきたかどうか尋ねました。
答えはNOでした。
「私たちチン族難民の多くは母国ミャンマーでも十分な学校教育を受けられませんでした。小学校も卒業できないまま大人になると、子どもを学校に行かせることを大事に思わない親が多いです。反対に、子どもにはきちんとした教育を受けさせたいと考える親もいます。エリスイ姉妹のように勉強が好きでよくできる子たちでも、家庭の事情で学校をやめてしまう子が多いことは非常に残念です」とのこと。
私が毎週会っていた子たちのなかにも、コロナをきっかけに親から学校をやめさせられてしまった子が何人かいます。先生も親の説得を試みますが、家庭の事情でドロップアウトする子の数は多すぎるのでどうにもできない、とのことでした。
コロナ禍で一時再開したチン族の難民の学校(マレーシア)
日本の公立小学校に通うアサフくん(仮名・7歳)
クルド人のアサフくんはトルコ生まれで、生後すぐに両親に連れられて日本に来ました。
幼稚園や保育園には通えなかったので、小学校で初めて日本の子どもたちと一緒に学校生活を送ることになりました。
日本語、授業、給食、そうじ。わからないことだらけです。
クラスにはもう1人クルド人の子がいるので、1年生の間はその子とばかり遊んでいました。
この春2年生になり、少しずつ日本人の友達たちとも話せるようになってきたようです。
アサフくんには幼稚園に通う妹と、まだ2歳の弟がいます。
妹も少しずつ日本語が話せるようになっていますが、家で兄妹で日本語を話すことはないようです。
お母さんは日本語の日常会話はある程度できますが、読み書きはできません。
そのため、学校からのお便りが読めず、忘れものをしたり、登校日なのに間違えて学校を休ませてしまったこともあるそうです。
そんなアサフくんの家庭には、現在お父さんがいません。
まだ若いお母さんが、親戚などを頼りに1人で3人の子育てをしています。
アサフくんはトルコ生まれですが、下の2人は日本生まれです。
日本で生まれた2人には期限付きの在留許可証があるのに対し、お母さんとアサフくんにはありません。
そのため、非正規滞在者とみなされてしまいますが、帰るべき国がないクルド人として難民申請中であり、3ヶ月ごとに決められた日時に出入国在留管理局に出向いて書類に認印をもらえば、特別に在留できるようになっています。
もしも「強制送還」などの命令が下れば、お母さんとアサフくんは身の危険があるトルコへ帰らなければならず、下の子2人は保護者がいないまま日本に残ることになってしまいます。
こうした不安を抱えながら暮らしている難民(申請中)の人たちが、私たちのごく身近なところにいるのです。
私はマレーシアでそうした人たちと接してきて、帰国後に日本にも同じような状況があることを知って正直びっくりしました。
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ここに登場したミャンマー出身の先生とエリスイちゃん、クルド人のお母さんと子どもたちは、みんな誠実で優しく、聡明な人たちです。出身国のパスポート、いまいる国の在留資格、難民認定証などの紙やカードを持っているかどうかは、個人同士のつきあいには関係がないことを実感しています。
この大切な友人たちがもっと安心して暮らせるようになり、自分の進みたい道を自由に進めるようになることを願います。
「絵本を読んでアジアの子どもたちを応援しよう!プロジェクト」から応援金を託すNPO法人アジア教育友好協会(AEFA)では、ここに紹介したマレーシアにあるチン族難民の学校の運営維持支援もしています。