【応援メッセージ】詩人・宮尾節子さん
vol. 42 2019-02-21 0
2014年
集団的自衛権の行使容認の是非が渦巻き、それに反対する人が新宿で焼身自殺を図り、国会の前に連日シュプレヒコールが響き渡る中、一編の詩がネット上で拡散された。
「明日戦争が始まる」と題された詩の作者は宮尾節子さん。
震災後の閉塞した空気の中、様々なヘイトが横行し、何かキナ臭い世の中の到来を肌で感じていた人たちの間で彼女の詩は瞬く間に広がった。
彼女との出会いは、浪江町出身の歌人・三原由起子さんとのイベントに参加した時だった。福島浜通りを歌った詩と短歌の協奏に私は心を震わされた。
写真家は写真で勝負。余計な言葉で予定調和のイメージを与えるより、絵のみでフレームの外を想起させるのが是であると思っていたが、崩れ落ちる福島原発の姿を見て脳幹から言葉が溢れ出して、震災後数年はしきりに言葉を探っていた。
そんな時の「言葉の人」との出会いは三原さんとの短歌の合作とも言える「ストリートビュー」と題した一連のパノラマ作品を始め、宮尾さんの地元埼玉県飯能市での写真展へと繋がっていく。
そしてその流れは「もやい展」で結実する。
詩歌も言葉や文字のアートである! との主催者の独断?で短歌・詩と肉声を組み合わせた朗読映像作品を公開する。チラシの表紙に「14+人」と書かれているのはそのためだ。映像作成に関わった人はゆうに20人は超える。
震災後、原発事故を巡って噛み合わない論理と数字の理屈との応酬に対し、人々は辟易してきたことは否めない。そして、人間と言葉を結ぶもっともプリミティブな形態である詩歌という、カタストロフィーを目の当たりにした人間の嗚咽にも似たシンプルな言葉の集合体は、応酬に疲れた人々の心の奥底にある隙間を埋めてきたような気がする。
曖昧模糊とした、でもなめらかで美しい日本語がこれほどまでに、出鱈目で蔑まれた使い方をされている昨今、もう一度言葉の持つ力を見つめ直してみたい。
宮尾さんとは昨年浜通りの撮影をご一緒した。大好きな詩人に見せたい限りなく神々しい太平洋からの燦々たるご来光をお見せするために。大地の神は詩人の来訪を喜んだのか、日輪は物の見事に水平線から姿を現した。
宮尾節子さん応援メッセージありがとうございます。
(中筋 純)
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“まことのことば”を持つ男
宮尾節子
中筋純は詩人だとおもう。
詩人にはふた通りあって、想像のことばをもつものと、真実(まこと)のことばをもつものと。
前者は触れずに、土を語れるもので。後者は触れた土から、詩を語れるもの。
詩人として、どちらが本物かといえば、じつは、どちらも本物だ。
中筋純ことスージーは後者
“まことのことば”をもつ詩人だ。
万物から直接、ことばを聞き取れる詩人だ。
わたしは、それを知った
彼の写した萎びた泥付き大根の写真で。
わたしは、それを知った
彼の写した後光のような蜘蛛の巣掛かるスーパーマーケットの写真で。
わたしは、それを知った
いちえふの彼方の空を真っ赤に染めながら神々しく昇ってくる日輪の写真で。
わたしは、それを知った
仏浜に黒々とうず高く積み上げられた螺髪のようなフレコンバッグの写真で。
わたしは、それを知った
錆びたレールを疾走する真っ白なセンニンソウの供花のような花蔓の写真で。
ハイキブツ、という残酷なことばに、仏をさがし。
フレコンバッグの山に、仏頭の螺髪(ラホツ)を幻視し。
空家の塀を路地を這い回りどこまでも延びてゆく草木の蔓を、千手(せんじゅ)と呼び。
「地球の修復を試みる無数の触手が伸びているようにも思える。残酷なようで何故か優しい」彼はその訳をこう続ける――
「千手のツルには相手を傷つけようという感覚がないからだ」と。
植物ハ、誰モ傷ツケヨウトハシテイナイ
人ハ――?
わたしは、彼の写真を見て何度も泣いた。帰還困難区域にはびこる植物の姿に
千手観音の救済の手を見てとる、彼の眼差しの慈悲と慈愛の深さに――
そしてシャッターを切る度に、彼の両掌から生まれる祈りの温かさに――
深く胸を衝たれて、怒りや悲しみの底から地熱のような、熱いものがこみあげてくる。
彼は
無人のまちとなった地を忌地(いやち)と呼び、まち全体を覆い尽くす「緑」の営みを「地球上の傷を癒す」ために現れた存在「かさぶた」と名付けた
そのことばに、救われるおもいがした。そのことばには、未来がみえた。
ああ、そのとおりだ、とおもった。
いま、この地は「かさぶた」におおわれていると――
想像のことばではない。この地に立てばわかる。この地に触れてうまれる。
それは、まことのことばだ。これが、まことの詩だ、とおもった。
ラホツの浜
中筋純
大仏様の螺髪(らほつ)は
やんごとなきものなれど
不可解なるラホツは
耐用3年黒きビニールにて
その数既に数万個
富丘・仏浜の風景となる。
忘れがたき日の黒き津波のごとく、
しかし「中間貯蔵」という名のもと
去ることなく
朝日に輝き、夜空に沈む。
人これを
ハイキブツというなかれ。
ラホツの中には暮らしあり記憶あり
悲喜こもごもあり。
人これを
「オセンド(土)」というなかれ
これ先人1000年の豊饒なる耕土なり。
すべてが光を失い
暗黒のラホツの中で
ただひたすら10万年を待つ。
これぞブラックサティアンなり。
*中筋純・写真集『かさぶた 福島The Silent Views』より
「福島原発事故の象徴的な風景とも言える黒いフレキシブルコンテナバッグの集積地は、原発事故の「黒き真理」(ブラックサティアン)と見えた」とある。
詩人とは幻視者のことでもある。さまざまな場所で幻視者、すなわち詩人・中筋純が見出せる。見出す景色がことばを生み出している。無人の地で、土壌シードバンクとして、土中で眠っていた休眠種子が一気に芽吹きはじめるように、彼も詩を芽吹かせている。なぜならば、日常を断ち切られた場所で生まれるのが、休眠種子のように眠っていた非日常のことば、詩のことばだから――
原発の爆発という、起きるはずのない事故が起きて、放射能が飛散したと同時に、ひとつのことばも爆発し全国に飛散した。「想定外」ということばだ。
事故後は、誰も彼もに「印籠」のように持ち出され、掲げられる御言葉――「想定外」を彼は
「数字の破綻」であると技術者につきつけ、
「科学の破綻」であると科学者につきつけ、
さらにぜい弱な
「想像力の破綻」ではないかと表現者につきつける――
しかしながら、全方位に向かって
かれの発信するメッセージは
「汝、想像せよ」
「想像力を鍛えよ」であるとわたしは、おもう。
今回の「もやい展」はその思いの結集であり結晶であると
感じます。
まことのことばを持つ、まことの男であり、熱い男であり、ロマンチストでもある。それに、彼の磁力はすごい。どこにいっても人が寄って来る、なにをしても彼の周りには、にこにこしながら人が集まる。老若男女の誰にも、こんなにも彼が人に好かれるのは、そのまま。彼がこんなにも人を好きだからという、照り返しなのだろう。いつもうらやましく、まぶしくおもう。
誰かに似てそうで、誰にも似ていない。どこかに居そうで、どこにも居ない。
まことのことばを持つ、まことの男、中筋純は信用できる。だから、
中筋純の全仕事を全力で応援したいです。「もやい展」の成功を祈ります。
スージー頑張れ!
*わたしも詩と朗読で少し協力させていただきました。ご一緒させてもらって光栄です。
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「もやい」それは、荒縄の強固な結び。3.11から8年、福島原発事故と向き合ってきたアーチスト達の個々の表現が金沢21世紀美術館で結ばれます。絵画、彫刻、写真、生花、造形、詩歌……福島の現実と命の輝きがあなたを包みます。
一人でも多くの方にこのプロジェクトを知っていただくために、引き続きのご支援・そして周りの方への拡散を、何卒よろしくお願いいたします。
https://motion-gallery.net/projects/2019moyai_kanazawa
★もやい展スケジュール★
場所:金沢21世紀美術館 ギャラリーA(石川県金沢市広坂)https://www.kanazawa21.jp/
日時:2019年3月5日(火)〜10日(日)
5−7日/10時~18時 8−9日/10時〜20時 10日/10時〜17時
入場料:100円(各種免除規定あり)