【アーティストメッセージ】小林 憲明(絵画)
vol. 29 2019-02-11 0
1974年 新潟県出身、15歳の時、レンブラントの絵画に憧れ画家の道に。2000年名古屋芸術大学 美術学部絵画科 研究生修了。
2006年 結婚から家族をモデルに家族をテーマに描き始める。
2012年 東日本大震災を機にダキシメルオモイ プロジェクトを始動。東西本願寺を始め日本各所で展示を精力的に行っている。
現在 愛知県渥美半島に在住 二児の父親
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もやい展(2019年3月 金沢21世紀美術館)クラウドファンディング目標額、達成いたしました。
ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。
2011年3月11日
東日本大震災が起きてすぐ、3歳の長男と妊娠9ヶ月のかみさんを連れ豊橋から車で1時間かけ、カーナビで津波の映像を見ながら渥美半島の先にあるかみさんの実家に避難しました
翌日、2週間原因不明の高熱を出していた長男は渥美病院に入院、病室で原発事故を知りました。
爆発した建屋から黒煙が立ち昇るのをテレビで見て、子育てが難しい世界になってしまったなと思いました
※(添付写真はそのときの病室のベッドで弱り切った長男を抱きしめるかみさんの横顔に
「この先何があってもこの子は守り通す」
というオモイを込めた作品)
次男が産まれ、風呂入れや長男の寝かしつけをしながら、独自に原子力発電について調べ勉強したら、高校時代に聞いていた忌野清志郎の「サマータイムブルース」歌詞で36基だったのが、20年経って全国に原子力発電所が54基に増えていて愕然としました
ふるさと新潟に世界最大級の柏崎刈羽原発があるのに今まで原子力発電について無関心でいた自分
今回の原発事故は自分を含めた日本に暮らす全ての大人たちの責任が大なり小なりある、福島だけの問題では無い、そう思いました
ひとたび事故が起これば、今まで先人たちが大切に守ってきた山、河、大地、海、空、そこに暮らす人間はもちろん、全ての生き物たちが長い間、汚されてしまう、そうした発電方法をこれからも続けて行くのか、どうするのか、
今回の事故で福島やその周りに暮らしていた家族のオモイ、何を守ろうとしたのか、たくさんの家族を訪ね歩いて描いていくことで、数字ではわからない、オモイの輪郭が見えてくるのではないか、
そうしたオモイを知ってもらうことで、無関心ではなく、たとえすぐに答えが出なくとも、考え続けるキッカケになってもらえたらと願い、2012年から活動を続けてきました
今回のもやい展、立場やジャンルの違うたくさんのアーティストの8年間、福島や命と向き合い続け表現し続けてきた作品がもやいます
それぞれの円が重なった部分、ひとりでは現しきれない濃いメッセージを会場で観て感じてもらえたら有り難いなと思います、とにかくたくさんの方々に観て触れて感じて欲しい、僕個人としては、この先「もやい展」が日本を巡回して展示されたらいいなぁと思っています、とくに原発立地している県で、原子力発電に従事して働いている人、推進派も反対派も無関心な人たちにも、
みんなでこれからどうしていくのか、対立や分断ではなく、考えるひとつのキッカケに、この「もやい展」がなってくれたらいいなと願います
目標額を達成しましたが、まだまだクラウドファンディング継続します、賛同いただけましたら、少しでも協力いただけたら有り難いと思います。
これからもよろしくお願いいたします
もやい展、クラウドファンディングページ
https://motion-gallery.net/projects/2019moyai_kanazawa
ダキシメルオモイ プロジェクト
小林憲明
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