【アーティストメッセージ】安藤 榮作 (彫刻・ドローイング)
vol. 25 2019-02-09 0
1961 東京下町生まれ。
1986 東京芸術大学彫刻科卒業。
1990 本来の空気と水を求めて福島県いわき市の山間部に移住。
地域に溶け込み子育てをしながら彫刻とサーフィンに没頭する。
2006 同市の海沿い久之浜町に引っ越す。
2011 東日本大震災の津波で被災、原発事故を機に奈良県に避難移住。
手斧1本で木を叩き刻み、具象抽象にとらわれず、
ダイナミックな生命エネルギーを生み出し続けている。
2017 第28回平櫛田中賞受賞。
個展、グループ展、パフォーマンス等多数。
*******************************************3月5日~10日まで、金沢21世紀美術館にて「もやい展・14+人がとらえた3・11/そして福島のいま 命の輝き」が自主企画で開催される。
「もやい」とは嵐の時などに船と船、船と港を繋ぐ縄の結びの事で、自由さを持ちながらも一度結ぶとどんなに引っ張っても決して解けないのだという。
今回「もやい展」でご一緒する作家さん達は東日本大震災・福島原発事故後、自らの自由意思で何度も何度も被災地に入りそれぞれの活動を継続してこられた方々だ。
彼等の粘り強い実践は、通り一遍の復興や瞬発的な自己満足のレベルでなく、それは震災のずっと以前から彼等の魂が持つ愛から発動されてるものなのだろう。
彼等は、3・11の津波と原発事故の影響で関西に避難移住した僕より何十倍何百倍も被災地に通い放射能被災地の悲しみや怒り、理不尽さを拾い集め、震災後分断された、人と人、人と自然、人と文化の「もやい」を懸命に修復しようとしている。
津波で被災し30km先の原発事故を受けて関西に避難移住した僕は、震災後、希望や光や未来の可能性にフォーカスし懸命に表現し発信してきた。
そうでなければリセットされ全くの新たな地での出直しのエネルギーが湧かなかった。
でも今回の展覧会では、この8年間、自分では自覚せずに自分の内に抑え込んできた思いや感情を吐き出そうと思っている。
原発事故も解決してない中、被災者や避難者を無きモノのごとく全世界に嘘を言い放ち誘致したオリンピックの浮かれた暴力性。
線量が高く帰還できるはずもない状況に無慈悲に帰還させる安倍政権の心無い残酷さ、
震災から8年、僕はここであの日の事を忘れかけているこの日本に叩きつけてやろうと思っている。
2011年3月12日午後3時36分のあの狂気に満ちた瞬間、お互い放射能の中で死ぬかもしれないという諦めの中、「必ず生きてまた会おう!」と約束しそれぞれの避難へ向かった切なさと切迫感。
正直に言うと、あれから8年経った今も僕の中では「もやい」は引きちぎられそこいらじゅうに散らばり放置されたままだ。
浮かれ切ったこの政府と社会と時代に、あの時の恐怖と悲しみと憤りを再現して叩きつけようと思っている。
きっと一緒に出品してくださる作家達が沢山のもやいを結び会場を愛と光で満たすことと思う。
今回だけは僕は彼らの愛と光に甘え、あの日の捻じれて引きちぎられた現場のリアルを放出しようと思っている。
「もやい展」、企画代表・中筋純さんの想いを読んでいただき、もし賛同していただけるならクラウドファングでの応援をよろしくお願いいたします。
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