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『山形国際ドキュメンタリー映画祭2019』世界の監督たちを地域や学校派遣!をクラウドファンディングで実現!
山形国際ドキュメンタリー映画祭2019に参加する海外の映画監督たちを山形県内の各地に派遣し、地元の方々と上映会やワークッショプを行い、各地域の文化や自然や人情に触れ、映画祭だけでは味わえない生の国際交流を目指します。
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山形市在住。フォーラム運営委員会、山形県映画センターで映画の配給・上映の活動を約20年。1989年に市民として立上げに係った山形国際ドキュメンタリー映画祭に2005年から専従として参加、2007年より事務局長、2018年より理事/プロジェクトマネージャー。映画「蕨野行」の製作と上映を支援する会事務局長、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」、「無音の叫び声 農民詩人木村迪夫の牧野村物語」「世界一と言われた映画館」にプロデューサーとして関わる。現在「紅花の守人」を製作中。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2019に参加する海外の映画監督たちを山形県内の各地に派遣し、地元の方々と上映会やワークッショプを行い、各地域の文化や自然や人情に触れ、映画祭だけでは味わえない生の国際交流を目指します。
山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)は、1989年に山形市市政施行100周年の記念事業としてスタートしました。それは、アジアで初めての国際ドキュメンタリー映画祭でもあり、世界から注目を集めました。
*山形国際ドキュメンタリー映画祭の誕生に深く関わり、その成長を見守ってくれた世界的ドキュメンタリー映画作家 小川紳介監督。
この年、中国では天安門事件、ヨーロッパではベルリンの壁の崩壊など冷戦構造の変化と共に、その後の世界のあり方に大きな影響を与える事件が起こりまし た。そんな時代の節目に、期せずして山形市は市政施行100周年を迎え、この映画祭はその記念として誕生しました。そして映画祭運営に関しては、行政、映画史に通じ国際的な人脈を持つプロフェッショナル、そして映画を愛する市民や県民の積極的な関わり、この三位一体となった取り組みがこの映画祭の最大の特徴となり、現在に至っています。
*第1回の映画祭支える市民グループ結成式(1989年 7月25日 蔵王温泉にて)、小川紳介監や小川プロの面々、山形市の映画祭担当者、創人舎矢野和之氏をはじめとする映画のプロ、そして山形県内各地から駆けつけた映画 活動家たち。写真には写っていないが、このネットワークには約100名が名前を連ねていた。
アジアの片隅で始まったこの映画祭には、以来、世界の今を伝える生々しくも誠実な映像の数々が届くようになり、今年2019年16回目の開催(隔年)で満30年を迎えることになりました。今 回は、インターナショナルとアジア千波万波の2つのコンペティション部門に世界中から2,300本(前回、約1,800)を超える作品の応募がありました。 特集プログラムも含めて山形国際ドキュメンタリー映画祭2019の全プログラムはすでにウェブ上に公開されています。ご覧ください。
誕生して30周年を迎える山形国際ドキュメンタリー映画祭2019。開催期間は2019年10月10日(木)〜17日(木)の8日間。山形市内の9つの会場で、世界中から集められた貴重で多様な作品を上映します。来場者はのべ25,000人が予想され、会期中は、東北の地方都市が賑やかな国際都市に変貌し、そこに熱気の篭った映画の祝祭空間が出現いたします。ご期待ください。
*混沌の喜び@山形国際ドキュメンタリー映画祭2017さよならパーティ。再会を期して!
山形国際ドキュメンタリー映画祭には、海外からも多くの映画監督たちが参加し映画への思いと世界の今を伝えてくれます。そんな監督たちが、映画祭が終わったら直ぐに帰ってしまうのはもったいない。県内の他の地域や学校に監督やプロデューサー等を何人か通訳者と共に派遣し、現地の人や文化や自然に触れてもらったら、その土地毎の独自な交流が生まれるのに……。しかし、監督たちを延泊させて各地に派遣するには、予算もマンパワー的にも全く余裕がない。どうしたらそんなことができるのか。そんな時、最初のきっかけを作ってくれたのは、山形県の北西部の「庄内ドキュメンタリー映画友の会」の皆さんでした。
遠く庄内から監督や通訳者をわざわざ迎えに来てくれて、地元の映画館 に人を集め、ゲスト監督の作品上映を行い、参加者との活発な質疑応答や交流の機会を手作りで、主催してくださったのでした。
*『メイド・イン・フィリピン』 フィリピンのディツィ・カロリノ監督とサダナ・ブクサニ監督、コーディネーター兼通訳 藤岡朝子さん @鶴岡まちなかキネマにて(1999年 初めての監督派遣)
山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加した監督たちの何人かを色んな地域に派遣できれば、遠方のために映画祭に参加できなかった人たちも、地元の映画館や施設なら参加できます。そして上映後にはゆっくりと監督の思いに耳を傾け、コンパクトな会場で目線と視線が届く距離での対話も成り立つ。夜は、ゲスト監督や通訳者を囲んでの親睦会が開かれ、地場産の食べ物や美味しい酒を楽しみながらの親密な交流が深夜まで。監督たちは土地の旅館に泊まり、翌日は地域文化が色濃く残るスポットや自然を地元の方々と共に巡る。
また地域の学校を訪問することで製作者と若い世代がドキュメンタリー映画を仲立ちとして話し合う機会も生まれる。映画祭を飛び出した監督たちは、既成の映画祭会場では知り得なかった地方の町や農村の普通の時間を味わい、その土地の人々の暮らしに思いを深めることができる。そして何より、海外の監督やゲストを受け入れた方々自身が地域の方々と一緒になって自前の細やかな手作り国際映画祭を楽しむことができるのです。
1999 年に、庄内ドキュメンタリー映画友の会の皆さんが実現してくださった交流は、自らの資金とフットワークで実現してくださったものでした。海外の監督と地域の 皆さんとの交流は、意外性に溢れ互いに忘れられないものになることは間違いありません。そんな有意義な試みは、各地元に負担を掛けずに何とか映画祭側が資金を調達して、できれば複数の地域で実現できないか考えました。しかし、当NPO法人の予算は映画祭の準備や開催運営に充てるだけで精一杯。余裕は全くありません。むしろ足りないために全国規模の助成金制度を活用して映画祭自体の内容の充実を図っているのが現状です。
そこで、私たち山形国際ドキュメンタリー映画祭は、地域への監督派遣プロジェクト について、当映画祭がNPO法人として民間主導で運営を担うこととなった2007年からは、山形県内の公的・民間を問わず凡ゆる助成制度を次々と活用しながら、毎回ゼロベースで運営資金をかき集め、この有意義な事業を絶やさないように取り組んできました。
*石巻市湊小学校 避難所にて、地元自治会の方の要望で「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(48作目)を上映しました。阪神淡路大震災の被災地に立つ寅さんの「皆様、本当にご苦労様でした」という言葉は、俳優・渥美清の最期の台詞となった。
2011年3月11日、未曾有の災害が東日本を襲いました。10月の映画祭開催を控えて応募作品の視聴や予備選考を進めている真っ最中でした。今後の復興の道筋も見えず、原発事故の影響は予断を許さない状況下、ちゃんと映画祭を開催できるのだろうか、しかし、震災や原発事故があったから中止や規模を縮小するのではなく、こんな時期だからこそ、凡ゆる工夫と努力をしながら変わらずに映画祭を開催しよう。そしてむしろこの時期に東北・山形を訪れてくれる監督たちを、より積極的にいろいろな地域に送り出したいと考えました。
映画祭を味わうだけではなく東北・山形の自然や文化、そして震災の影響下であれそこに暮らす人々の思いにより深く触れていって欲しい。異文化から来た映画監督は、きっと別な視点でその土地の魅力を発見し、地域の人たちに気づかせてくれる……。そんな思いを乗せて、この年は新たに7つの地域に交流が広がりました。
その後、私たち自身が「シネマエール東北」の活動を通じて、約7年間、東北の様々な被災地を訪れて、それぞれの地元の人たちに映画を届ける活動を続けることになりました。「映画で何ができるのか」を問いながらのこの旅は、映画祭を続けて行く上でもとても大きな学びになったと感じています。
*三陸海岸の真ん中にある岩手県山田町では「フレーフレー山田」を上映。
交流① YIDFF2011,アジア千波万波部門 小川紳介賞を受賞した『 雨果(ユィグォ)の休暇』の顧桃(グー・タオ)監督(中国)は、受賞の翌日、山形県北東部の最上町赤倉地区を訪れ、温泉街の子供達に映画とは何かを伝えるワークショップを行った。晴れがましい表彰式、そして地域の人々や子供達との交流、そのギャップも含めてとても嬉しい光景。こんなシーンにも地方で国際映画祭を続ける意味が写っているのではないのか。
交流② 2015年YIDFF インターナショナル・コンペティション審査員 ニコラス・エチェバリア監督(メキシコ)、大自然の中で今も山岳信仰が育まれる山形県北西部庄内地域を訪れた。
●庄内地域コーディネーター佐藤あゆ子さんからの報告(一部を抜粋)・・・
庄内地方に赴いたメキシコのニコラス・エチェバリア監督が見た庄内の景色は、稲刈りこそ終わっていたものの、天候と紅葉のタイミングに恵まれました。監督は待ち合わせ場所の湯殿山で初めて出会ったその瞬間から、初対面とは思えない親しみやすさで我々と打ち解けて下さいました。湯殿山の色とりどりの紅葉に囲まれ、「なんて素晴らしい景色なんだ。なんとも気持ちが良いよ。四季があるって素敵だね!」と。そして「映画祭期間中は劇場に籠りきりだったからね」と苦笑い。
滞在中は出羽三山信仰文化の話に耳を傾け、また道中見るもの全てが新鮮だった様子で、湧いて出る好奇心に身を任せるように注意深く見まわりながらじっくりと写真を撮ったりしていました。農家民宿や宿坊での庄内の精進料理や郷土料理、地酒にも大変感動しておられました。食材、盛り付けや什器、建物や料理人とのふれあいまで、総合的に食を楽しむ姿に、喜んでいただけたことを実感しました。今回の庄内滞在、40年以上ウィチョル族を撮り続けている監督にとって、山伏であり実際にウィチョルの地を訪れた成瀬さんとの山形での交流は、映画祭と並ぶ価値があったのではないか、と二人の背中を見て感じました。成瀬さんは若き山文化の後継者・実践者として暮らしそれを外へも発信し、エチェバリア監督は古くから続くウィチョル文化と現代の流れの関係性を表現した映像をツールに世界にメッセージを発信しています。また松聖である星野さんとも対面でき、御歳が近いからでしょうか、これまた名コンビだった気がします!
交流③ YIDFF2015 インドネシア ジャカルタに拠点を置くアーティスト集団のメンバーでフィルムメイカー・アーティストのお二人 、エドウィンさん、リツキさんが、山形県村山地区東根市大森小学校を訪問。映画は写真(コマ)の連続という原理を教え、透明な16ミリフィルムに1コマ1コマに、5年生92名がそれぞれ思い思いの絵や文字を描き、それを繋げて一つのアート作品とし上映。フィルムを触るのが初めての子供達、自分の描いたシーンが登場する「映画」に大興奮。その後、みんなで学校給食を食べながら、国と年代を超えた交流は楽しく続きました。
交流④ YIDFF2017 インターナショナル・コンペティション審査委員長 イグナシオ・アグエロ監督が山形県北村山地域の尾花沢市立玉野小学校を訪問。ドキュメンタリー映画の世界的巨匠が、里山の学校の子供達と出会う!
報告:尾花沢市立玉野小学校 斎藤寿子先生(2013年当時在職)からの報告(成果と課題)
【成果】
・「山形国際ドキュメンタリー映画祭」を認識してもらうことができた。しかも、次は行ってみたいという感想があったことにもわかるように、機会さえあれば、子どもでも、参加したいという気持ちをもっていることが分かった。
・子どもたちは、「チャップリン」という映画監督がいることや「色も音もない映画」があるということを初めて知ることができた。そして、色や音がなくてもみんなで面白さを共有し、内容を理解することができることに気づくことができた。これまで見てきた映画と違うものに出会ったことで、児童の世界を大きく広げることになった。
・映画を作る人や、チャップリンの人となりや作品を熱く語る大人に出会ったことは、児童の世界を広げ、現在や将来の生き方を考えるきっかけを与えてくれた。
・言語、文化、生活習慣の違う海外の方との交流を楽しむことができた。
【課題】
・「山形国際ドキュメンタリー映画祭」についての理解を深めることが、地元や映画、映画作りに目を向けるきっかけとなり、とても意義のあることだと思った。そのために、いかに小さいうちから映画や映画祭に出会わせるかは大きな課題である。今後、様々なアイディアで、小中学校での活動を仕組んでいただきたい。
・児童の感想にもあったが、やはり、実際に映画祭に出かけて行きたい。実際にあの雰囲気を味わわせたいと思う。山形市外からだと、時間的・経済的に問題がたくさんある。今回のような監督派遣のみならず、児童生徒に映画祭で作品に出会わせる機会を作るための厚い支援を期待したい。
交流⑤ YIDFF2017インターナショナル・コンペティション部門 ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)受賞作『 オラとニコデムの家』のアンナ・ザメツカ監督(ポーランド)が招かれたのは、曹洞宗人権研修東北大会。
【上映会リポート】
曹洞宗山形県第一宗務所さんより、「山形が誇る国際映画祭の作品を上映して、監督とお話の機会をいただけたら、僧侶の知見をより広げることができる」との申し入れをいただき、今回の上映企画を行う運びとなりました。「障がいを持った方々から学ぶ」ことをテーマとした研修会と同時開催ということで、自閉症の弟の面倒を見ながら家族の再生を誓う少女の献身的な姿を描いたポーランド作品『オラとニコデムの家』の上映とアンナ・ザメツカ監督によるトークを行うことに決定。11日の映画祭授賞式にて当作品が大賞を受賞したことがメディアで報道されると、僧侶のみなさんの期待も尚のこと高まり、当日を心待ちにされていたようでした。一方のアンナ・ザメツカ監督もまた、日本の僧侶のみなさんと交流ができると聞いて大変に色めき立っていました。受賞記者会見でも語っていましたが、監督は日本の精神文化に大変強い興味をお持ちであり、そうしたことに触れることもまた今回の来日の目的であったそうです。大賞受賞の望外の喜びに加えて、さらにそうした夢の一つが叶うとあって、その期待感は並々ならぬものでした。
映画は14歳の少女オラを中心に、自閉症の弟ニコデムがキリスト教の儀式である聖体拝領式を迎える過程を描きつつ、酒飲みで無職の度し難い父親と、別居中の母親との関係性も盛り込みながら、家族の再生を願う少女の献身的な眼差しに密着していました。まるで劇映画のような展開とカメラが寄り添う家族との近しい距離感が、少女オラが直面している境遇の苦しさを身に迫る感覚で描き出した素晴らしい作品でした。
上映後のトークでは、アンナ監督からこの映画を撮影するに至った経緯とカメラに映っていない少女オラの人柄など、こぼれ話を含めてお話いただきました。質疑応答では、待ってましたとばかりに次から次へと質問が飛び交います。いったいどうやって撮ったのかと誰もが疑問に思う、カメラの存在を感じさせない家族との近しい距離感やそれにまつわる撮影手法について、ポーランドでのキリスト教的世界観の捉え方について、などなど宗教者らしい質問なども発せられ、アンナ監督はひとつひとつ噛みしめるように非常に丁寧にそれらに答えていました。なかでも、注目となったのが、映画で描かれた後の少女オラについてでした。映画を観た方々は、彼女がこの先いったいどうなっていくのかがとても気になるようです。後日談として明かされたアンナ監督の話に、会場の空気がホッと緩むのが感じられました。
今回はMotion galleryを通じて、この企画の趣旨を広くお伝えしながら、新たな広がりの中で、実現のための資金を集めさせていただければと思います。
地域や学校への監督派遣・交流事業には次のような経費が最低限必要になって来ます。派遣する各監督や通訳者への謝礼、各地域への移動費、宿泊費、上映会場費(映写料含む)、記録費、地元で受け入れてくださる方の行動費等です。
で きれば、今回の映画祭期間や直後に、山形県内でも文化も方言も微妙に違う庄内地域、最上地域、村山地域、置賜地域の4つの地域に1〜2名の映画監督や製作 者を送り込みたいと考えています。映画祭の向こう側に広がっている日本の地方都市の生の姿や人々と、遠い国から作品と共にやって来たドキュメンタリー映画 の作り手たちを出会わせたい。それぞれの地域に合わせて違う作品とゲストを送り出し、互いにとって意外性に溢れた出会いと交流を提供できたらと願っていま す。
映画作家? イラストレーター? ミュージシャン? パフォーマー?いやいやどれも違う。第1回の山形国際ドキュメンタリー映画祭から参加している、ヤマガタではお馴染みのフィリピンのアーティスト、ロックスリー。そんな彼が訪れたのは、新潟県との県境 大自然の懐に抱かれた小国町、マタギの里として知られる小玉川地区。そこで、子供達とロックスリーが、弾けた。
平成元年から始まった当映画祭は、今回の 山形国際ドキュメンタリー映画祭2019(2019年10月10日[木]〜17日[木])で満30年を迎えることになります。この30年(16回)継続開 催を祝して、幾つかの記念グッズを製作いたします。例えば、ステッカー、缶バッジ、トートバッグ等です。今回、ご 支援をいただいた方々には、上記の記念グッズ、公式カタログ、公式レセプション参加権、YIDFF制作映画「世界一と言われた映画館」自主上映券等を組み合わせてご返礼品とさせていただく予定です。
10月に迫った山形国際ドキュ メンタリー映画祭2019の顔となる、インターナショナル・コンペティション部門15作品、アジア千波万波部門21作品は全て出揃いました。どれもこれも個性的で見応え充分、実に魅力的なラインアップです。
今後、主にこの二つのコンペ上映作品の監督などから、どの地域にどの監督を派遣できるのか、そして、各地域でどんな方々 やどの学校が監督たちを受け入れてくれるのか、フィールドワークと人探しが始まります。そして、資金の集まり具合によって、派遣できる人や交流地域の数に 影響が出てくることも確かです。せっかくですから、ひとつでも多くの地域交流が実現させたいものです。http://www.yidff.jp/2019/program/19p1.html
YIDFF2011 インターナショナル・コンペティション部門審査員アマル・カンワル監督(インド)が山形市立第四中学校を訪問し講演を行った。通訳者は遠藤由理さん。
世界中から優れたドキュメンタリー映画を集めて上映し、世界のリアルな喜怒哀楽に触れ、真摯な作り手と好奇心旺盛な観客が、生きることや芸術や世界の在り 様について語り感じ合える場、それが映画祭です。皆、その祝祭空間に集まり、そこから何かを持ち帰ることができます。しかし、その空間を一歩出れば、東北 の街並みや農山村が広がり日常の生活がある。そして、実はその日常や暮らしや人々が映画祭という祭りを支え続けてくれているのではないか、とも考える。特 にドキュメンタリー作品は、世界の何処かの一隅を見つめるところから生まれるものではないか。
それならば、映画祭という祭りを、もっと身近なものとして色んな日常の現場に運んでもいいのではないか。
映画祭というシステムを超えたもう一つの映画祭を発見できるのではないでしょうか。それは、明らかに、今後の映画祭の在り様の可能性として考えています。
このプロジェクトについて思いを巡らし、応援してくださっている皆様、本当にありがとうございます。地域に小さく咲く手作りの映画祭作りを今後ともよろしくお願いいたします。
YIDFF2017 アジア千波万波部門 奨励賞受賞作品『あまねき調べ』のアヌシュカ・ミーナークシ監督、イーシュワル・シュリクマール監督、通訳者 山之内悦子さん 鶴岡まちなかキネマにて
羽黒山の石畳道と五重塔の前で。
5000 円
10000 円
残り16枚
30000 円
残り10枚
50000 円