「物乞いになればいい」と言われた彼のその後の物語
vol. 12 2016-01-08 0
本業トゥクトゥクドライバー、副業映画配達人
カンボジアのバッタンバン州に駐在している山下は、バッタンバン市内に降り立った翌日、その後映画配達の中心となっていく2人の人物に出会いました。
一人はクラウドファンディングページでもご紹介させていただいた、元映写技師のサロンさん。
もう一人が、エン・サロンさん(名前が同じで少しややこしいですが…)。
元映写技師のサロンさんはクメール語しか話せません。そこにたまたま通りかかったのが、トゥクトゥクドライバーをしていたエン・サロンさんでした。英語が話せる彼は、通訳を買って出てくれました。
「僕たちのプロジェクトのミッションは、生まれ育った環境に関係なく、子どもたちが夢を持ち人生を切り拓ける世界を作ること。そのために村を回って映画を届けています」
熱く語る山下の英語をクメール語に翻訳し、元映写技師のサロンさんに伝え、そして機材の使い方などを見ているうちに、エン・サロンさんは気づけば通訳の枠を超え、誰よりやる気のある映画配達人になっていたのでした。
「タイに行けば仕事がある。物乞いの仕事だ」
彼に最初に会ったとき、足を引きずるようにして歩くので、怪我をしているのかなと思っていました。彼が長年、右の手足にハンディキャップを抱えていたと知ったのは先日のこと。
エン・サロンさんは3歳の時に病気になりましたが、内戦で薬が買えず、彼は右手足に不自由さを抱えたまま生きることになりました。
大人になってからバイクタクシーの仕事をしましたが、同業者やお客さんから「あいつは足が悪いからあいつのバイクに乗るのは危ない」と噂になったそうです。
仕方なく、暗くて足のことには気付かれない夜にだけお客さんを探すことにしました。でも夜は銃が出回っていて治安が悪かった。
足の不自由な彼は弱いと思われたのか、バイクを盗もうとする泥棒に銃で脅されたことが何度もあったそうです。
知人から「タイに行けば仕事がある」と誘われました。どんな仕事か聞くと、「物乞いだ。足の悪いおまえならピッタリだ」と、冗談とも本気ともつかぬ感じで言われたこともあったけど、それは絶対に嫌だったと彼は言いました。
辛いことが重なり、彼は薬を飲んで自殺を図ったそうです。でも周りの助けで一命を取り留めました。
一度失った命、彼は英語を勉強して、トゥクトゥクドライバーになりました。
「結婚して子どもも二人できた」と彼は誇らしげに語ります。
彼は私たちの大切な宝物になった
彼は副業の映画配達人を気に入っています。
わずか3ヶ月で各学校と連絡を取り、2,000人以上の子どもたちに映画を届けてくれました。
「子どもたちに夢を贈る素晴らしいアイディアだと思った。子どもたちがスクリーンを観て驚いた顔をするんだ。笑って映画を観て、終わると『次はいつ来るの?』と聞きにくるんだ。この仕事は楽しい」
彼が学校にやってきた時、彼のハンディキャップを気にする子どもはいません。ただこれからいったい何が始まるのかとワクワクドキドキしています。
彼は子どもたちに誇らしげに映画の説明をして、 手際良く映画上映の準備を終えると、子どもたちの笑い声を聴き、嬉しげに拍手を浴びていました。
映画の上映中、サロンさんも熱心に映画を観ています。そして最後に「これはいい映画だ」と感想を言ってくれます。
今ではエン・サロンさんの方から、どうしたらもっとたくさんの子に届けられるか、どこで収益を得るのかなどアイディアを出してくれるようになったと山下は語ります。
エン・サロンさんは言いました。
「この仕事を与えてくれてありがとう」
今回カンボジアに行って、山下と仕事をしているカンボジアの映画配達人たちと再会し、このプロジェクトの命をつないでいく責任があることを改めて感じました。
今回の皆様のご支援で、サロンさんたち映画配達人は誇りある仕事を続けることができます。
そしてその映画配達人は、多くの子どもたちに夢の種をまいていきます。
子どもたちにまいた夢の種が花咲くかどうかは、10年、20年経たなければわかりませんが、
映画配達人の喜びと、子どもたちのワクワクした表情だけは、今すぐにわかる事実です。
活動を支えてくださる皆様に、心からの感謝を込めまして。
(文:教来石小織)