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カンボジア農村部に暮らす10,000人の子どもたちに夢ある映画を届ける事をクラウドファンディングで実現!
悲劇の時代に一度、映画文化が滅びた国カンボジア。
かつて映写技師をしていたカンボジア人サロンさんたちと一緒に、
農村部に暮らす10,000人の子どもたちに夢ある映画を届けたい!
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https://worldtheater-pj.net/
悲劇の時代に一度、映画文化が滅びた国カンボジア。
かつて映写技師をしていたカンボジア人サロンさんたちと一緒に、
農村部に暮らす10,000人の子どもたちに夢ある映画を届けたい!
2015年10月某日。カンボジア・バッタンバン州のとある村にて。
僕たちは広場の木にスクリーンを貼り、映画上映の準備をしていました。
「この村で映画上映会が行われるのは初めて。映画を観たことある人はたぶんいない」
と隣で通訳さんが教えてくれます。
日暮れとともに、徐々に増えてくる子どもたちと大人たち。
プロジェクターのスイッチを入れると、スクリーンに浮かび上がる日本のアニメ映画。
果たして子どもたちに受け入れてもらえるのか。
息をひそめてスクリーンを見つめる子どもたちを見つめました。
エンドロールが流れると、子どもたちから次々と、「もっと観たい」「明日も来る?」の声。
大人たちも駆け寄ってきて、「子どもたちが楽しめる時間を作りにきてくれてありがとう」「ここよりもいい上映場所を紹介する」「雨期は雨が怖いので、自分の家を使ってくれ。たくさん人が観られるし、雨を気にしなくていい」と。
口々に「オークン(ありがとう)」と言ってくれる村人を前に、緊張と疲労から解き放たれて泣きそうになった僕がいました。
僕は現在大学3年生。2012年夏に立ち上がったCATiCという団体で、カンボジア農村部に住む子どもたちに映画を届ける活動をしています。
具体的には、映画の上映権を得て、カンボジア人のプロの声優さんご協力のもと、クメール語吹替版を作成。農村部の村に発電機とスクリーン、上映機材を持ち込んで、教室や広場を即席の映画館に変える移動映写をしています。
僕たちはこれまでシェムリアップ州の延べ25か所の村を回って、約2,500人の子どもたちに映画を届けてきました。
今までは、日本人メンバーとカンボジア人の学生さんたちと一緒に上映していたけれど、今回は日本人は僕一人で、カンボジア人の新しい仲間との初上映でした。どうなることかと思っていたけれど、受け入れてもらえた。大丈夫だ。きっとやっていける。
※弊団体では、2014年2月にもクラウドファンディングを実施いたしました。
▼やなせたかしさんのアニメ映画をカンボジアの電気がない地域に住む子ども達に届けたい
https://motion-gallery.net/projects/CATiC
多くの方に応援、ご支援いただきましたおかげで今日まで歩んでくることができました。
この場をお借りして心より御礼申し上げます。
「バッタンバン州に昔映写技師をやっていた人がいて、今は違う仕事をしているけれど、貧しい生活をしているみたい。映画が大好きだから、映画を上映する仕事なら喜んでやってくれると思う」
そんな情報が僕たちの元に届いたのは、2015年7月のこと。情報の主は、カンボジアの女性映画監督、ソト・クォリカーさんでした。
先程2,500人に届けてきたと書きましたが、この数は決して多くはありません。普段は自分たちの仕事をしながら、限られた時間を利用してカンボジアに来て上映をするため、回れる村も届けられる回数も少なかったのです。
カンボジアの隅々まで定期的に映画を届ける環境をつくることを目標にしている僕たちは、もどかしい思いをしていました。早く現地で仕事としてやってくれる方(映画配達人と呼んでいます)を見つけたい。
そんな僕たちにとってクォリカー監督からの情報は、間違いなく吉報と呼べるものでした。
そして僕は大学を休学。1年間バッタンバン州に住んで、映画を届ける活動を現地に定着させようと決意しました。まだ会ったこともないくせに、元映写技師のカンボジア人の方と一緒にどうやって進めていこうか、そんなことばかり考えていました。
プノンペンからバスに揺られること6時間。バッタンバン州にて。
原チャリに乗って現れた元映写技師は、サロンさんという名前でした。61歳。
失礼ながら、想像していたよりご年配の方でした…。力仕事は大丈夫だろうか。話せるのはクメール語だけ。対して僕はクメール語勉強中の身。
「この先大丈夫だろうか…」「僕たちの活動のことを理解してくださるだろうか」
様々な不安が頭をよぎります。それでも通訳さんを通して、僕たちのビジョンや、「あなたと一緒にやりたい」と、必死に伝えました。
サロンさんは、昔のオフィスに案内してくれました。扉を開けたとたん、思わずむせ返るようなかび臭さ。
そこにあったのは、今は使われていない数台の、埃をかぶった映写機でした。
映写機を見つめるサロンさんを見て思いました。
「あぁ、この人は本当に、映写技師だったんだ」と。
残念ながら、僕たちの使う上映機材はプロジェクター。映写の技術をもっているサロンさんには、物足りないかもしれません。それに大学生の僕が教えるのはおこがましい。それでもサロンさんは一生懸命、プロジェクターの使い方を覚えてくれました。
しかしいざ上映が始まると、サロンさんは毎日遅刻してくるし、間違いを指摘しても認めなかったりして、腹立たしくなることもしばしば。彼は昼間からウォッカを飲み、飲まされた僕はダウン。とんでもない人だと思いました。
それでも映画について話すサロンさんは、非常にいい顔をしているのです。
なぜ映写技師になったか聞くと、「当時は映画を作ることや観ることが、日常の中に当たり前にあったから」と語ります。
そんなサロンさんの他にも、映画配達人になってくれる人たちが現れました。
元はサロンさんと僕の間で通訳をしてくれていたトゥクトゥクドライバーの、こちらも名前はサロンさん。そしてその息子ボンロン君。
2015年11月下旬。口コミで僕たちのことが広がり、どんどん上映依頼がやってきて、気づけば僕たちは、約2カ月で21か所の上映地、1,643人の子どもたちに映画を届けていました。
映画の王国というと大げさかもしれませんが、カンボジアには、東南アジアでナンバー1を誇るような映画黄金期がありました。
カンボジアがフランスの植民地だったころ、フランスから映画文化が入ってきました。最初は特権階級だけの娯楽でしたが、徐々に一般市民にも愛されるようになりました。1960年代から1975年にかけて、300本以上の映画が作られたと言います。
2012年に亡くなられたカンボジアのシハヌーク殿下も、30本近く映画を撮られるくらい映画を愛していました。当時映画館には長蛇の列ができていたそうです。
けれども1970年代に入り内戦が始まると、戦時下での娯楽は相応しくないとして、1973年に政府は映画館の閉鎖を命じました。1975年、クメール・ルージュが政権を握ると、映画人も虐殺の対象になりました。農村部では時々移動映写が行われ、強制労働に疲れた人々は体を引きずって映画を観に行かせられたそうです。そしてそこで流れる映画はすべて、ポル・ポトを崇める映画だったといいます。
(写真は子ども時代に内戦を経験したリティ・パニュ監督の作品『消えた画 クメール・ルージュの真実』のワンシーンです。親を殺され、兄弟を殺され、悲劇の内戦時代を過ごした自身の経験をキリングフィールドの土で人形を作って再現しています)
現在は映画文化も復興し、リティ・パニュ監督や、サロンさんを紹介してくださったソト・クォリカー監督など世界に通用する映画を制作される方も出てきました。
現在都市部には、18の映画館があります(2014年ユネスコ調べ)。
2013年にプノンペンにできたイオンモールの中にも大きな映画館がありますし、2014年、シェムリアップにも大きくて綺麗な映画館ができました。
清潔で涼しい映画館。ポップコーンも6種類のフレーバーから選べます。
一番人気のジャンルは、今も昔もホラー映画。
でも農村部には、映画館はありません。
農村部にあるのは、僕たちのつくる即席の映画館だけなのです。
(村のお母さんが作ってくれるポップコーンもあります)
カンボジア農村部の子どもたちに将来の夢をきくと、答えられないか、「仕事に就きたい」、「先生」か「医者」という答えが圧倒的です。日本の子どもたちに聞いたら、もっとたくさんの答えが返ってくるのに。知らない夢は思い描けないのかもしれません。
そんなカンボジア農村部で映画を上映すると、村によって子どもたちの反応に差はあれど、どこの村でも子どもたちがスクリーンを見つめる目は真剣そのもの。
シーンの移り変わりとともに、笑ったり涙を流したり。
上映前はプレゼントしたサッカーボールでバレーボールをしていた子も
サッカー映画を観たあとにはボールを蹴りだすなど、そんな変化があちこちで見られました。
何より印象的だったのは、映画を観る前に「将来は先生になりたい」と言っていた女の子が、映画の後に「夢が変わりました。映画をつくる人になりたいです」と言ったことでした。
映画の上映準備をする僕たちを見て、「僕もこの仕事がしたい」と言った男の子もいました。
彼らは新しいことを一つ知ったのだと思います。
少しだけ、これは僕自身の話です。
僕は子どもの頃から少年野球チームに所属して、野球一筋で生きてきました。ポジションはピッチャー。将来はプロ野球にいこうと本気で思っていました。高校もスポーツ推薦で入学。そして高校一年の夏に挫折。野球以外のことを知らなかったので、目標を見失い、高校も中退。引きこもって暮らすようになりました。
そんなときに出会ったのが、ルワンダの内戦を描いた『ホテル・ルワンダ』という映画でした。映画を観て、「こんな世界があるんだ」と初めて知りました。「なんとかできないだろうか」という思いが膨れ上がり、国際協力に興味を持つようになりました。
国際協力について勉強したい。初めて野球以外の新しい目標ができました。そこから大学を受験するため、無我夢中で勉強しました。一浪して合格。大学に入ったときに、高校を中退して引きこもっていた時には閉じられていた自分の可能性が、無数に広がっていくのを感じました。
僕の人生を変えたのが教育なら、そのきっかけをくれたのは映画でした。
映画はワクチンや食糧のように、生きる上で絶対に必要なものではありません。映画を届ける僕たちの活動が、正しいかどうかは正直誰にもわかりません。続けていった10年後20年後に、やっと答えが出るのかもしれません。
悩みながら進む中で、ある方のこんな言葉に出会いました。
「ワクチンや食糧は生きる手段。映画や本は生きる目的を与えてくれる」
また、別の途上国に詳しい方が、こんなことを言っていました。
「途上国を変えるのは、実は映画なんです。途上国の虐げられている女の子が、もしも悪と戦う少女の映画を見たら、自分たちも戦っていいのだと気づくでしょう。映画には、人間のマインドセットを変える力があるんです」
途上国の人々に生きる目的を与えてくれるかもしれない映画を届ける活動を、世界の当たり前にしていきたい。
その第一歩を、カンボジアから踏み出したいと思います。
初めて映画を観る子どもたちだからこそ、良い映画を届けたい。
僕たちは子どもたちに届ける映画一つ一つにこだわって選定しています。できれば子どもたちが楽しんで観ることができて、将来の夢の選択肢が広がったり、目標に向かって頑張る大切さを教えてくれたりする映画がいい。
たとえばアンパンマンの作者やなせたかしさん原作の『ハルのふえ』は、森でタヌキに育てられた男の子が、努力して音楽家になる夢を叶えるお話。
サッカーの長友選手が監修した『劇場版 ゆうとくんがいく』は、ゆうと少年が世界一のサッカー選手を目指すお話。
『ニルスのふしぎな旅』は、妖精に小さくされたいたずらっこの少年ニルスが、鳥たちと冒険に出て、優しく勇気ある少年に成長していく物語です。
権利元より上映許諾を得た作品を、カンボジアのプロの声優さんご協力のもと、クメール語吹替版を作成して届けています。
子どもの心を育む良質な映画を、カンボジア農村部に暮らす1万人の子どもたちに届けたい。映画配達人たちが、トゥクトゥクに乗って村へ行き、発電機、上映機材で即席の映画館を作ります。そのために人件費、移動費、機材費などの資金が必要です。
僕の駐在期間中に、現在のバッタンバン州のように、3名以上で構成される映画配達人チームを、3都市で始動させたいと思っています。
映画配達人の仕事は、上映地の開拓、交渉、上映準備、上映地の村との関係づくり、そして夢を届けることです。
1万人に映画を届けられたら、一人約100円で映画を届けられる計算になります。
100円で一人の子どもが新しい世界を知り、人生の目標を見つけるきっかけに出会うかもしれません。
映画を届ける活動は、夢の種まきです。
どうか僕たちと一緒に、夢の種をまいてくださいませんか?
特定非営利活動法人CATiC
副理事 山下龍彦
【リスク】
映画配達人たちの事故や病気など、やむを得ぬ事情で活動が休止する可能性があります。また、国や世界情勢により、本活動を続けるには危険と判断された場合は一時撤退する可能性もあります。
【チャレンジ】
ご支援が集まりましたら、バッタンバン州の次に、シェムリアップ州、プノンペンでも映画配達人チームを作り、3か所で映画配達事業を稼働させたいと考えています。
映画を1回観に行く金額で子どもたちに映画をプレゼントしてくださるあなたに…
【夢の種まき参加権(1,800円)】以上につく特典は、
特典A:映画配達人と子どもたちからのサンクスムービー
映画を届ける映画配達人たちと、映画を観た子どもたちからのサンクスムービーをお届けします。
子どもたちに届ける映画選びに参加したいあなたに…
【審査員権(3,000円)】以上につく特典は、
特典B:ノミネート作品の投票権
カンボジアの子どもたちに届ける映画に選ばれたノミネート作品をご覧いただき、審査員として1票いれていただける権利です。(2016年4月頃実施予定)
~新作映画が子どもたちに届くまでの流れ~
1.ノミネート作品の決定
2.審査員による投票
3.上位に入った作品の上映権について権利元とご相談
4.上映作品の決定
5.クメール語吹替版作成
6.映画配達人により子どもたちに映画が届く
夢の種まきに参加した感動を生で感じたいあなたに…
【大感謝祭参加権(10,000円)】以上につく特典は、
特典C:現地駐在員・山下龍彦の特別報告会にご招待
2016年10月に駐在期間を終えて帰国する山下の特別報告会にご招待させていただきます。
子どもたちに届けたい映画があるあなたに…
【推薦権(30,000円)】以上につく特典は、
特典D:上映作品推薦権利
カンボジアの子どもたちに届けたいお勧めの作品をご推薦ください。ノミネート作品の一つとさせていただき、皆様から投票を募ります。グランプリに輝きました作品を、権利元と交渉の上、クメール語に吹き替えてカンボジアにて上映させていただきます。(2016年4月頃実施予定)
※権利元との交渉内容によってはノミネートが難しい作品もございます。その際は別の作品をご推薦いただく可能性がございますのでご了承いただけますと幸いです。※活動の趣旨に合わない作品は候補に入れられない可能性がございますのでご了承ください。
子どもたちに伝えたいメッセージがあるあなたに…
【エンドロールに登場権(50,000円)】以上につく特典は、
特典E:子どもたちに伝えたいメッセージをエンドロールで流します
子どもたちに伝えたいメッセージとお名前をクメール語にして、上映時のエンドロール(CATiCにて制作いたします)で流します。
※活動の趣旨に合わないと思われるメッセージについてはお断りする可能性がございますのでご了承いただけますと幸いです。(上映期間:2016年4月~2016年9月末まで)
海の向こうから映画配達に参加したいあなたに…
【いつも映画配達人と一緒権(100,000円)】以上につく特典は、
特典F:映画配達人のユニフォームにメッセージと記名&ユニフォームプレゼント
現在制作中の映画配達人のユニフォームに、子どもたちに伝えたいメッセージとお名前をクメール語でプリントいたします。映画配達人たちが、あなたのメッセージが書かれたユニフォームでバッタンバン州を駆け回ります。
※活動の趣旨に合わないと思われるメッセージについてはお断りする可能性がございますのでご了承いただけますと幸いです。(使用期間:2016年4月~2017年3月まで)
自分も映画を届けてみたい!というあなたに…
【映画配達人体験権(300,000円)】以上につく特典は、
特典G:映画配達人が乗るトゥクトゥクの看板にお名前を入れます(企業ロゴ等可)
映画配達人が村への上映時に使用しているトゥクトゥクの看板にお名前を入れさせていただきます。市内では外国人観光客も利用しているトゥクトゥクです。
特典H:映画配達人体験権
2016年9月までのお好きな時期に、カンボジアのバッタンバン州で映画配達人体験ができる権利です。カンボジアの小さな村、サーカス学校、寺院、地雷原の村、バンブートレインの村など、お好きな上映地をお選びいただきましたら、ご希望の日程に合わせて上映の準備を進めてまいります。(上映地1~3箇所、最高3泊までを予定しております)
※現地関係者と相談の上進めてまいりますので、ご希望に沿えない場合もございます。
※現地での宿泊費、移動費、食費等がついております。恐縮ですが航空券は別途ご負担いただきます。
※ご不明点、ご質問、事前のご相談に関しましてはinfo@catic.asiaまでお問合せいただけますと幸いです。
子どもたちにこの映画を絶対に観せてあげたい!というあなたに……
【映画一本丸ごとスポンサー権(1,000,000円)】以上につく特典は、
特典I:子どもたちに観せたい映画をクメール語に吹替えてカンボジアに届けます
カンボジアの子どもたちに観せたい映画を1作品、クメール語に吹替えてカンボジアの子どもたちに届けます。
※配給元によっては権利交渉が難しい作品もありますので、複数候補を挙げていただきご相談の上進めてまいります。
※弊団体の活動の趣旨に合わない映画、特定の団体・宗教・政治を推進する映画、子どもの教育上相応しくないと判断される映画等についてはお受けできませんのでご了承ください。
※ご不明点、ご質問、事前のご相談に関しましてはinfo@catic.asiaまでお問合せいただけますと幸いです。
1800 円
3000 円
10000 円
30000 円
50000 円
100000 円
300000 円
1000000 円