転機になったのはタイへの移住です。
vol. 3 2024-06-09 0
写真のキャプション 縫製工場でマスクを制作。初めてのマスク作りで失敗もありました。
写真のキャプション;製作したマスク。
昨日の続きです。
転機になったのはタイへの移住です。2004年7月、奥野は家族よりひと足さきにタイ・チェンマイに移動しました。当時、奥野はCS放送局でアジアの情報番組制作の仕事を始めたのです。家族は10月に移住。
この移住ですが、2000年に入ってデジタル革命で紙の雑誌より携帯で情報を集める時代が始まっていました。雑誌の休刊や廃刊が続いていました。この先、雑誌などで食べていけるのか。ドキュメンタリーの発表の場所がいつまであるのか。僕は危機感を持っていました。そんな時に友人が務めるCS放送局でアジアの情報番組が始まり、奥野は特派員という形でタイに行くことになったのです。
スチールカメラをビデオカメラに変えて新たな船出です。
パートナー(妻)の佐保に相談すると家族で移住することに賛成。僕は先のことはわからないけど、このまま日本にいても雑誌の廃刊は続くだろうし、座して死を待つより、先に進み新しい物語を紡ぎ出したほうが可能性があると考えたのです。
このアジアの情報番組は1年半ほどで終わってしましまいたが、その期間中に僕たちは映像制作会社K.M.Ttomyam Co.,Ltdを起こしたのです。情報番組制作中に出会った企業家や政府系財団の方達と知り合いアジアの情報番組がなくなった後もスムーズに仕事を作り出すことができました。僕たちは会社のプロモーションビデオや政府系財団のニュースなどを制作して仕事の幅を広げていきました。
ただ、ドキュメンタリー制作はストップしてしまいました。
仕事は増えてスタッフも15人くらいにまで膨らんだ時期もありましたが、しかし、会社の経営は山あり谷ありでした。覚えておられる方もいると思いますが、国軍のクーデターや空港占拠事件、リーマンショック。僕たちの仕事にも大いに影響がありその度にどうやって会社を存続させることができるのかそれなりの苦労も経験しました。もちろん、チャンスもありました。2012年にはタイ人の日本行きがノービザで15日間滞在できることになると一気に観光が花開きました。僕たちは日本を紹介するテレビ番組を制作しました。これは2019年まで続きました。その後はみなさん同様ご苦労されたと思いますが、2020年コロナ禍でほぼ全ての仕事がなくなりとても困りました。寝ても覚めてもこの苦難をどう乗り切るのか考え込んでいました。日本とは違ってタイでは支援金や給付金制度はなかったのです。あったのは電気代と若干税金が安くなった程度です。僕たちは外国人ですから銀行からの借入はかなりハードルが高くてできません。しかし、あるときに夢の中で思いついたのがマスク作りです。マスクを作って売ろうと! 当時、日本はマスクがなくて困っているとニュースでも知っていました。
これは半年間ほどの商いでしたが大いに助かりました。スタッフのひとりが縫製に詳しく仕事を失った縫製工場やテーラーなどで暮らしていた人たちと繋がり、僕たちはオリジナルのマスクを作って日本に送って売って頂きました。これで半年間ほど食い繋いだのです。
この続きは明日。ドキュメンタリー制作を再び始めることになります。
奥野安彦