即興芸術と肉体、即興に軸足を置かないアーティスト
vol. 21 2022-01-09 0
制作ノート(7)
今回は、音楽の上野耕路さんの制作ノートをご紹介します。上野耕路さんと犬童監督は映画「ゼロの焦点」から何度もタッグを組んできています。「名付けようのない踊り」に音楽を付けるということは、田中泯さんのダンスに音楽を付けるということでもあり、どのように考え作られたのかご寄稿頂きました。
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実は田中泯さんの踊り+自分の音楽というのはこの映画が初めてではなく、1994年NHK音楽プログラム『幻蒼』というのが最初です。それは音楽を先に作りそれに合わせて映像を作るという主旨のものだったので田中泯さんの踊りに合わせて音楽を作るという企画ではありませんでした。というわけで田中泯さんに合わせて音楽を作ったのはこれが初めてです。前回のNHKの仕事の時もそうでしたが、どうも田中泯さんと仕事するときは、これまでやっていなかった音楽的手法と取り組むことになるようです。前回は音をピッチクラス的に12進法の数字で表しその数を12進法以外の進法に変換して種々の音楽的素材とするというものと登場人物(その映像はハムレットを土台にしていた)の名前を数字に変換し、数字を音に変換するというものでした。今回取り組んだことは複数の異なる音価のパターンの繰り返しを組み合わせるということでした。それらパターンの混在とは、それらの発音の様相が刻々と変化していくということです。特にオイルプールの場面の音楽がそうです。
田中泯さんはとてもルックスがよく、どんな衣装でもよく似合い、とてもフォトジェニックで、気品とワイルドさのバランスが見事で、あらゆる面でビューティフルな方です。彼の踊りを見ていると、彼の美しい肉体が天才的な即興芸術が注ぎ込まれる一点ものの意匠的クリスタルと化しているかのように感じます。そこに様々な光が当たりプリズム化して反射しているかのようです。ここで即興芸術について思いを巡らすと、例えばバッハの時代ではパイプオルガンや鍵盤楽器で即興でフーガを弾いてゆくということが行われました。鍵盤楽器で行われたバッハの即興フーガは「音楽の捧げ物」の三声のリチェルカーレとして残っています。オルガンでの即興フーガというとそのあとのロマン派の時代では交響曲で名高いブルックナーがその名手だったようです。古典派・ロマン派のピアノヴィルトゥオーゾたちも盛んに即興演奏を行います。モーツアルトがベートーヴェンを絶賛した時に聴いたのは彼の即興演奏でした。のちのリストは他の作曲家の曲を初見で弾くものの次に弾くときは同じようには決して弾かず延々と即興を繰り広げたようです。20世紀ともなれと即興といえばJazzが成功を収めます。Jazzの即興演奏のスタイルは様々に変遷しましが、いわゆるジャズでいうアドリブ(即興)とは、ブロードウェイのミュージカルの歌をなどテーマとし、まずはそのコード進行を土台に行われました。マイルス・デイヴィスは自分をインプロヴィゼーション・アーティストと定義していました。さて様々な即興ですが、スタイルによって何が違うかというと即興に至るまでのプリパレーションです。バッハの時代のパイプオルガンは人足が二人掛かりで吹子で空気を送り込んでいたため、練習することは不可能なため相当な準備が必要だったわけです。即興でフーガを弾くこととジャズメンがスタンダードを演奏するのはこのプリパレーションが違うわけです。田中泯さんはその全てではないにせよ即興のプリパレーションを農作業で肉体を作ることを基本としています。ともあれ即興(もしくはパフォーマンスアート全般といってもよい)には実は肉体というファクターがとても重要です。分野によってその運動量の差はありますが。いずれにしろこの三次元に即興的に自分の霊感を具現化するにはその霊感を受け止める容器が必要とならざるを得ません。この容器に当たるものは肉体です。僕は50代になってピアノを習いなおしました。真面目な生徒ではなかったけれどこの映画でピアノを弾いてもらっている大井浩明氏のレッスンを受けました。そこで理解できたことはピアノを打鍵するときもっと力が抜けていなければよい音も出ないし指も回りきれないということと、その力を抜いた状態を支えるためにはインナーマッスルが必要ということでした。
これまで田中泯さんはさまざまなアーティストたちと活動されていますが、僕のように即興に軸足をおかない計画派的アーティスト、おそらく映画監督もその部類かもしれませんが、彼らのように自らの肉体では表現しないアーティストたちとの共同作業ではそうしたアーティストたちが持たない(持ち得ない)理想の肉体(形)を具現化、彼らの霊感を受け止める美しい容器と化しているように思います。
上野耕路さん
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1960年生まれ。ニューウェーヴバンド〝ゲルニカ〞での作曲・編曲で注目を浴び、その後も自身のユニットや映画音楽などで活躍。『ラストエンペラー』(87)など、坂本龍一の映画音楽プロジェクト等を経て、映画・ドラマ音楽を精力的に制作。映画音楽では『ゼロの焦点』(09)、『のぼうの城』(12)で日本アカデミー賞優秀音楽賞、田中泯主演NHK音楽映像詩『幻蒼』(95)で第三二回プラハ国際テレビ祭チェコ・クリスタル賞を受賞。その他代表作に、『へルタースケルター』(12)、『マエストロ!』(15)、『最高の人生の見つけ方』(19)などがある。