「踊りを撮影する」 vol.2ー 清久カメラマン
vol. 15 2021-12-26 0
制作ノート(4)
「名付けようのない踊り」は2年以上にわたる撮影を行っており、多くのカメラマンの方に参加いただきました。
4回にわたり「踊りを撮影する」と題し、中でも多くの撮影をして下さった4人のカメラマン(池内・清久・池田・星山)の方からの寄稿文を掲載しています。
「踊りを撮影する」vol.2 は、清久素延カメラマンです。
泯さんの踊りを撮影するーーどんな想いで撮影されていたのでしょうか。
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撮影 清久素延
私がいちばん最初に撮影したのは、ポルトガルの撮影を担当した池内義浩カメラマンの次で「オイルプール」 でした。
田中泯さんを撮影するという事に関して、ドキュメンタリーの経験も殆どなかった私にとってはどう捉えて行くか?というのが大きな問題でした。最初は「場踊り」自体もよく解っていなかった。
泯さんの過去の映像を見たり写真を見たり、その中でいちばん衝撃を受けたのは岡田正人さん の夢の島での写真でした。映画の中でもこの写真は紹介されていますが、私は泯さんを出来るだけ 近距離で撮りたいと思いました。
「間(あいだ)」を撮る。
泯さんは、踊りは間に生まれるとおっしゃっています。
見る人々との間、木々や自然との間、時には昆虫や蜘蛛との間、そして見る人々との間には線は引かれていない。
その「間(あいだ)」をいちばん意識して撮影しました。
「場踊り」を撮影するのに三脚を据えて撮るか?手持ちで望むか?どういうスタイルで望むかは毎回のテーマでした。
手持ちの場合、今はブレを吸収する小型で便利なスタビライザーがありますが、泯さんが肉体ひとつ で踊っているのにブレを吸収しようなど安全圏な選択はない、ブレも含め覚悟を持って望まないと いけないと決めました。
撮影は上手く行けば家に帰っても気持ちよく、敗北すれば数日落ち込む。
東京芸術劇場前の場踊りでは、「間(あいだ)」を客観的に捉えようとあえて手持ちではなく三脚で挑みました。
結果は惨敗で数日落ち込みました。常に2カメで撮っていたのですが、2台とも泯さんが建物から出て来たのを見 逃していました。場踊りはいつ始まるか?わかりません。 気付いた人々もカメラも慌てるように泯さんの方に走りました。
この時は3第目の小型カメラをプロデューサーの江川さんに渡し、2階から俯瞰で撮ってもらっていたショットに この状況が写っています。
犬童監督はこの慌てふためくカメラ含め、この状況を楽しんで見ていたに違いない。
私が数日落ち込んだこの場面は監督の編集が加わり、凄く緊張感のあるサスペンスフルな場面となっていました。
この映画はたまたま私が多く撮影していますが、複数のカメラマンで繫いで撮っています。 それぞれが泯さんを感じ、撮っていると思います。
皆さんには「間(あいだ)」に生まれる泯さんの踊りを、見て感じて欲しいと思います。
ロケハンをしている様子:写真を撮る清久カメラマン
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プロフィール[撮影:清久素延 ]
1983年にフリーの撮影助手となる。 1985年「火宅の人」より木村大作氏に師事 1998年東宝映画に入社、平成モスラシリーズ、ゴジラシリーズ に参加。
2003年に「ロボコン」でカメラマンデビュー 「テニスの王子様」「NANA2」を撮る。
2008年に東宝映画と契約技師、その後フリーとなる。
「ハゲタカ」('09)「女の子ものがたり」('09)「武士道シックステーン」('10) 「のぼうの城」('12)第36回日本アカデミー賞優秀撮影賞受賞(江原祥二氏と共同受賞)「だいじょうぶ3組」('12)「「また必ず会おう」と誰もが言った」('13) 「無花果の森」('14)「マエストロ!」('15)「脳内ポイズンベリー」('15)「青空エール」('16)「僕の妻と結婚して下さい。」('16)「一礼して、キス」('17)「サクラダリセット 前後編」('17) 「honey」('18)「猫は抱くもの」('18) 「初恋~お父さん、チビがいなくなりました」('19)
「ハケンアニメ」2022年公開予定