地図から消えゆく津島からのメッセージ③
vol. 5 2020-02-21 0
今野千代
こんなにも、辛く、苦しく、悲しく、寂しい避難生活。
突然に避難命令が出され、全国のあちこちへ散り散りバラバラになり、もうすぐ9年になります。当時は、津島に放射能が降っているとも知らされずに避難させられ、まさか帰宅困難区域になろうとは思いませんでした。
2011年の正月に、娘たちが孫を連れて帰省し、家族がそろって楽しく過ごしたのが、わが家での最後の思い出となりました。
なぜ津島に飛んできたの??
一時帰宅する度に、家は朽ち果て、天井の屋根板は雨漏りで腐り、屋根裏に入り込んだケモノの糞尿が落ちてきます。
ドローン空撮のお手伝いに参加し、たくさんの家々を回りました。以前に私は津島の診療所で働いていたため、その場に行くと患者さんの顔や家族のことを思い出し、自然と涙があふれました。そしてお祭り、盆踊り、肉まつり、部落対抗の運動会、球技大会、敬老会など、昔の遊びや楽しかったこと、いろんなことを思い出しました。
時が経つにつれ、無念の想いは募る一方です。古里を忘れることは出来ません。映像ができれば、「これが津島だよ」と子供や孫たちに伝えたいです。たくさんの楽しい思い出がありますから。
武藤晴男(津島原告団事務局長)
私たちは、東日本大震災による東京電力福島原発事故でそろそろ9年に渡る避難生活を送ります。未だにいつ帰れるかも解りません、やるせない心情をご理解戴ければ幸いです。