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「ふるさと津島」最後の姿 ドローン空撮映像をクラウドファンディングで実現!

「ふるさと津島」
最後の姿をドローン空撮映像で残したい!

原発事故から9年、今も帰還できない福島県浪江町津島。除染に伴い家屋の解体が始まった。家もなく人も戻らない津島は、やがて地図から消えゆく。100年後の子孫のために、津島全520戸の最後の姿をドローン空撮映像で記録する。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額2,000,000円を達成し、2020年5月8日23:59に終了しました。

コレクター
156
現在までに集まった金額
2,030,000
残り日数
0

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額2,000,000円を達成し、2020年5月8日23:59に終了しました。

Presenter
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ふるさと最後の姿をドローン空撮映像で残したい。帰還困難区域である福島県浪江町津島の住民12名が中心となり、「ふるさと津島を映像で残す会」を結成。子や孫、そして100年後を生きる人たちに、地図から消えゆく「津島」を映像で残し、伝えるために、全国の皆さまのお力をお貸しください。

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このプロジェクトについて

原発事故から9年、今も帰還できない福島県浪江町津島。除染に伴い家屋の解体が始まった。家もなく人も戻らない津島は、やがて地図から消えゆく。100年後の子孫のために、津島全520戸の最後の姿をドローン空撮映像で記録する。

汚染されたふるさと

 「あ~、津島」。ふるさとの地名をつぶやくだけで、私たちの胸は悲しみに満ちあふれます。福島第一原発の爆発事故から9年、家族の手を引いて緊急避難したあの日から、私たちは自宅に戻ることができず、各地で避難生活を送っています。福島県浪江町津島は帰還困難区域に指定され、いまも15マイクロシーベルト/毎時を超える場所もある高線量の放射能汚染地帯なのです。阿武隈山地に広がる浪江町津島

 帰りたくても、戻れない。自宅の状況を確認するために許可を得て一時帰宅することがあります。鉄柵のゲートを開けてもらい、立入禁止区域に入ると風景は一変します。自宅の損傷は見るに耐えない状況で、イノシシが体当たりでドアを破壊し、サルが食べ物を探すために居間を荒らし、ハクビシンが屋根裏をトイレにしています。和室の畳は腐り、踏み抜けてしまうこともあります。以前は笑い声の絶えなかったわが家ですが、同じ家で暮らすことはもうできません。

森に埋もれてゆく民家

地図から消えゆく「津島」

 古き良き津島で、ついに家屋の解体が始まりました。2019年度から復興拠点の整備のための除染作業が本格化し、荒廃した家を取り壊す必要があるのです。地区全域の避難が解除される予定はなく、5年後なのか、30年後なのか、いつ戻ることができるのか分かりません。そのため荒廃した自宅を残し続けても、これからを生きる子や孫に「負の遺産」を残すことになります。

完成したばかりだった町立津島保育所

 苦労して土地を開拓した先祖のことを想い、私たちは失意の中で苦渋の決断を迫られました。結果、取り壊しの選択を選ばざるを得なかったのです。歴史的な建造物も取り壊されることになり、津島という地名は残ったとしても、暮らしの証は地図から消えてしまいます。

家屋の取り壊しが始まった

最後の姿を映像で残したい

 暮らしの証が消えてしまう前に、ふるさと最後の情景を映像で残したい。住民12名が集まり「ふるさと津島を映像で残す会」(会長:佐々木 茂)を結成し、津島地区行政区長会のご理解をいただき、全家屋520戸あまりを撮影するプロジェクトをスタートさせました。

 しかし人気番組「ポツンと一軒家」のように、人里離れた山奥に点在する家屋も少なくありません。そのうえ、9年間も整備していない道路は荒廃し、足を踏み入れることさえできません。

道が藪に覆われ、徒歩では近寄ることもできない

 「どうやってすべての家屋を撮影するのか…」。思い付いた方法はドローンによる空撮でした。そこで事故直後から福島で取材を続け、ドローン撮影も行っていたフォトジャーナリストの野田雅也さんと出会い、2019年6月にプロジェクトを始動させました。すでに家屋解体用の重機が運び込まれ、翌日から取り壊しが始まるというギリギリのタイミングでした。

決して忘れてはならないこと

 ドローンで空撮するとはいえ、文字通り「山あり、谷あり」の撮影が続いています。通信機の電波が届かない場所や、森に覆われて屋根の一部しか見えない民家もあります。機材を担ぎ、放射能に汚染された山を登り、谷を渡り、1軒1軒を探し歩いて、もれることなく記録しています。

鶏舎の屋根が落ちた高橋養鶏場

 それぞれの屋根の下に家族の物語があり、撮り逃すことはできません。空撮だけでなく、私たちの今の想いを残すインタビューも同時に収録しています。編集過程で空撮映像に、インタビューの語りを重ね、映像DVDを制作する予定です。

 ふるさとに帰ることができず、避難先で亡くなる人も増えてきました。津島の風景や決して忘れてはならないことを、子や孫に伝える必要があると考えています。この映像が世の中の人の記憶に残るよう、そして後世に伝えることができるよう願いを込めて作ります。

自然に寄り添う暮らしがあった

想定されるリスクとチャレンジ

  津島で家屋解体が始まった2019年6月よりドローンによる撮影を開始しました。それから6ヶ月間をかけて一軒一軒を訪ね歩いて空撮し、2019年末にはほとんどの撮影を完了させました。今後は、津島の四季や再撮影、ナレーション収録等を含め、2020年4月までにすべての撮影が完了する予定です。また同時に編集作業の工程を進め、数ヶ月をかけてまとめる予定です。すでに空撮の95%の完了しているため、想定されるリスクは非常に少ないと言えます。これからはより多くの方々にご覧いただけるよう、良い作品作りにチャレンジしていくつもりです。

津島に伝わる獅子笛の収録シーン

返礼品について

 かつての津島には、天然の松茸やいのはな(香茸)、たらの芽やコシアブラなどの山菜、名物の焼き餅やかぼちゃ饅頭などふるさと自慢の品々がありましたが、今となっては採ることも、口にすることもできません。返礼品のひとつに、私たちのふるさとを案内することも考えましたが、放射線防護上、立ち入り禁止区域を案内することもできません。お礼をしたくても、お送りできる品物がないのです。

朽ちていく暮らしの痕跡

 私たちにできることは、直筆で感謝の気持ちを伝えることと、完成したDVDで返礼することだけです。せめて寄付していただいた方々のお名前を、エンドロールに記載させていただきたいと考えています。十分なお礼はできませんが、どうぞお許しください。



直筆のお礼の手紙
ふるさと津島を映像で残す会」メンバーより、直筆の手紙をお届けします。返礼できる品物がないため、感謝の気持ちを込めて、ひとりひとりにお送りします。

完成DVDの贈呈
すべての撮影完了後(2020年4月予定)に編集し、「ふるさと津島(仮題)」ダイジェスト普及版を45分程度の映像DVDにまとめます(全520戸を収録する完全記録集・全4巻セットも今後制作予定)。完成後、このダイジェスト普及版を贈呈します。
エンドロールにお名前を明記
「ふるさと津島(仮題)」ダイジェスト普及版のエンドロールに、お名前またはニックネームを記載させていただきます。登録時に実名またはニックネームをご記入ください。

DVD上映権
「ふるさと津島(仮題)」ダイジェスト普及版の自主上映会(1回)を、全国どこでも開催することができる権利です。

DVD上映権+津島の語り部
自主上映会の終了後、「ふるさと津島を映像で残す会」メンバーが登壇し、語り部として津島の想いを伝えます。全国どこでも開催できる自主上映会+講演会のセットです。


「ふるさと津島を映像で残す会」よりメッセージ

会長 佐々木 茂

私達の住む津島地区は放射能汚染によって帰れぬ土地となりました。
ふるさとへの思いは絶ち難く苦悩の日々を送っています。
残された家族や風景を記憶遺産として何としてでも残したいとの強い思いと、
放射能汚染が残したものを皆様に知って頂きたいと考えています。
仲間を募り、高線量の放射能を浴びながら、協力して撮影に参加致しました。
皆様のご協力ぜひともお願い致します。

今野秀則(福島原発事故津島被害者原告団 団長

期間困難区域の自宅に一時帰宅する度に、この懐かしいふるさとの風景が失われてしまう痛切さに、心が打ちのめされます。何としても映像として残したいと思います。

断ち切れぬ想い…「切ない」(東京新聞 2019.5.16)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokuj...

三瓶春江

 私たちの「ふるさと津島」は、未だに帰還困難区域のままです。原発事故前、私たち家族は4世代10人で暮らしていました。孫やひ孫との暮らしは、私たちの明るい灯火でした。

 しかし幸せだった大家族も、原発事故により離散生活となり、6ヶ所に分散しバラバラになりました。

 帰れない「ふるさと津島」での生活を思い出しながら、今の現状を皆様に知って頂きたいと思います。私たちのような原発事故被害者を二度と出さないために、私たち家族が津島で暮らしていた証を残すために、空撮映像のDVDを制作することとなりました。ご協力をお願いします。

今野美智雄

 私たちは浪江町津島地区に住んでいました。その故郷を追われて9年が過ぎます。地区住民は故郷を離れ、異郷の地でとりあえずの仮の住まいで生活を送っています。

 そんな中で故郷を「記憶」だけでなく「記録」に残そうと住民有志が立ち上がりました。

 ドローンで津島の住宅と風景を撮影し、DVDを製作して、住民に配布していきたい。そして津島のことを知らずに育つ子や孫に、津島のことを伝えていきたいです。


今野千代

こんなにも、辛く、苦しく、悲しく、寂しい避難生活。

突然に避難命令が出され、全国のあちこちへ散り散りバラバラになり、もうすぐ9年になります。当時は、津島に放射能が降っているとも知らされずに避難させられ、まさか帰宅困難区域になろうとは思いませんでした。

2011年の正月に、娘たちが孫を連れて帰省し、家族がそろって楽しく過ごしたのが、わが家での最後の思い出となりました。

なぜ津島に飛んできたの??

一時帰宅する度に、家は朽ち果て、天井の屋根板は雨漏りで腐り、屋根裏に入り込んだケモノの糞尿が落ちてきます。

ドローン空撮のお手伝いに参加し、たくさんの家々を回りました。以前に私は津島の診療所で働いていたため、その場に行くと患者さんの顔や家族のことを思い出し、自然と涙があふれました。そしてお祭り、盆踊り、肉まつり、部落対抗の運動会、球技大会、敬老会など、昔の遊びや楽しかったこと、いろんなことを思い出しました。

時が経つにつれ、無念の想いは募る一方です。古里を忘れることは出来ません。映像ができれば、「これが津島だよ」と子供や孫たちに伝えたいです。たくさんの楽しい思い出がありますから。

武藤晴男(津島原告団事務局長)

私たちは、東日本大震災による東京電力福島原発事故でそろそろ9年に渡る避難生活を送ります。未だにいつ帰れるかも解りません、やるせない心情をご理解戴ければ幸いです。

石井ひろみ

北海道で生まれた私は、転勤族の父に連れられ、福岡・大阪・兵庫・東京・神奈川と7度の転居を繰り返しました。そして8度目の移動で津島に嫁ぎ、もう引っ越すことは二度とないと思ってました。

自然の豊かさ、美しさは勿論、将来もずっと途切れることなく繋がりあっていると思っていた人と人との絆、人情の豊かさがもたらす安心感。ふるさとを持たなかった私が、40年をかけてようやく手に入れたふるさとを、原発事故で奪われました。

築150年になる旧家で暮らしていたのですが、避難から9年が経ち、傷みがはげしくなりました。イノシシが庭に穴掘り、側溝を土で埋めたため、大雨の時には溢れ出た雨水が床下まで浸水したこともありました。

放置していても家は朽ちてゆくだけです。だから今回、歴史ある母屋も解体する決意をしました。150年に渡り、先祖や家族が暮らしたこの家が無くなるのを前に、せめて記録だけでも残したいと思います。

窪田美智代

あれから9年。帰還困難区域となってしまったふるさと津島。

一時帰宅するたび水田は森になり、

見えていた近所の家までも木が生い茂り、

見えなくなってしまっています。

とても悲しく、悔しい思いでいっぱいです。

荒れはてて行くふるさと津島を何とか残したいと思い、

今後ともご支援頂ければ幸いに存じます。

佐々木やす子

2011年1月3日、年明けの成人式を楽しみにしていた次男(20歳)が病気で倒れて半身不随になりました。そして翌月の2月18日、闘病生活をしていた夫が58歳で他界しました。

3月11日に地震、原発が爆発し、慌てて避難しました。避難所を転々とする中で、夫の納骨もできず、四十九日も弔うこともできなく過ぎてしまいました。さらにリハビリをしていた次男が、8月11日にすい臓がんで急死しました。

私にとってはつらい、つらい2011年でした。

辛い、悔しさ、どうにもならない気持ち。

1日も早く家に帰りたい。

夫と息子が待つふるさとに帰りたい。

そして、自分が骨になる前に帰りたい。


志田昭治

郷土芸能「津島の田植踊(たうえおどり)」を後世に残すため、昨年12月、震災後に初めて披露されました。

黄金の男根を振りかざして踊った鍬頭(くわがしら)の志田昭治さん、映像で残す会のメンバーのひとりです。

「8年以上も踊っていないから、無理かなと思っていたけど、体が覚えてた。前はもっと体を反ったり、足を高く上げたりできてたんだけど、もうできないね。」

披露したのは、田植え踊りの役あわせて14人を赤宇木郷土芸術保存会のみなさん。

「観に来たくれた人には、馴染みの顔がいっぱいいるわけよ。顔を見ただけで、ちょっと「うるっ」と来た。最後の方で、やり方を間違ったんです、自分でも『ちょっと違ったな』と思ったら、会場から笑いが起きてた。みんな分かってたんだな」

1日限りで踊りを復活させ、映像をカメラに収めました。

「今は動物が飛び跳ねてるけど、いつの日か、ふるさとに戻ってやりたいですね」。

窪田たい子


ふるさとを思う。

数時間が過ぎ、振り返るとなんと、両親を亡くした時くらいに、悲しい気持ちになります。

誰でもあのふるさとの地を見たら、本当に残念に思うと思います。

私はやりがいのある仕事、農家も、自営の仕事もできなくなってしまいました。

前を見ることができなくなってしまいました。

親と友人と話の交流を得て前に進むことができました。

でもなんど思っても、ふるさとを忘れることはできません。

津島の自然、四季の良さ、一年を通して良いところがいっぱいあり、

心に残るところがいっぱいあります。

そしてまた、ふるさとを思います。


他、佐々木加代子


ドローン撮影・編集 野田雅也Media Laboノダグラ映画「サマショール 〜遺言 第六章」共同監督

関連記事

かけがえのない故郷返して 東京新聞(2017年11月21日)

自然豊かな故郷に帰りたい 朝日新聞(2018年2月28日)

浪江の避難住民ら、帰れぬわが家をドローン撮影 河北新報(2019年12月11日)

消えゆく古里をドローンで記録 浪江町津島の住民 西日本新聞(2020年2月14日)

浪江町津島地区の住民有志 生きた証し、ドローンで残す(東京新聞 2020年4月16日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokuj...

特集「消えゆく津島を映像に・・・住民の思い」(Nスタふくしま)テレビユー福島 2020.4.23

「戻れぬ里 桜は咲く」津島の桜をドローンで撮影(河北新報 2020.4.22)


100年後も孫らに見せたい

浪江・津島の帰還困難区域 ドローンで撮影 (福島民報 2020.5.3)

古里の情景空撮(読売新聞 2020.4.23)

https://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/feature/...


古里の姿次世代へ 伝統芸能映像に (新潟日報 2020.5.3)


関連リンク

「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」 http://www.tsushima-genben.com

映画「サマショール 〜遺言 第6章」(共同監督:野田雅也)

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