カフェ潮の路物語【その1】~「その後」の生きづらさにつきあうために
vol. 3 2017-03-06 0
2014年6月に一般社団法人つくろい東京ファンドが発足し、中野区内で個室シェルター「つくろいハウス」を開設してから、早いもので2年半が経ちました。シェルターを経由してアパート自立を果たし、地域で生きる人は30人を超えました。その小さな町を歩いていると、あちこちで元入所者さんに出会い、立ち話が始まります。
「つくろいハウス」に入所する方々は、それまでに路上生活がとても長かったり、過酷な成育歴や経験を生き抜いてきた方が多く、一見健康そうに見えてもさまざまな病気を抱えている方が少なくありません。
ですから、アパートに移ったからと言って万事解決とはいかないのです。アパートに入ったあとも人生は続きますし、路上で生活をしなくて良くはなったものの、その人を困窮に陥れたご本人の問題が解決したわけでもありませんから。
なので、つくろい東京ファンドでは、入所者さんがアパートに移って一人暮らしを始めたあとも、必要に応じたサポートを提供し、利用者さんと並走しております。
つくろいハウスの一室
長く路上にいる時には夢のようだった自分の部屋。一生手に入らないと思っていた自分だけの安心、安全な部屋が手に入った喜びが冷めると、ふと孤独にさいなまれることがあるようです。それまで、今日を生き抜くことに専心して乗り切ってきた緊張の糸が途端にぷっつり切れてしまう。そしてある時、「何で生きてるのか分からなくなった」と暗い目をしてその苦しさを訴えるようになるのです。
私たちは「貧困」とは、家がない、お金がないなどの「経済的貧困」と、頼れる家族も友達もいない「つながりの貧困」がセットになったものだと考えています。
経済的貧困が解決したあとは、つながりの貧困に着手する必要が出てきます。つくろい東京ファンドでも、アパートに移る人が増えるつれ、その必要性を感じ始めました。
これまでも「つくろいハウス」の事務室で、月1回、「なべ会」(なべ会と言いつつ、季節にあわせていろんなものをみんなで作って食べています)を開き、アパートに移った人たちとの交流の場を作ってきましたが、スペースや開催頻度に限界があります。
「なべ会」の一幕。昨年の夏はみんなでたこ焼きを作りました
利用者さん達が新たな人間関係を築いたり、働く準備のようなことができる場所を作らなくてはならない。そう思い、予算もままならないまま場所を探し始めたのが2016年の夏でした。
カフェ事業の企画書より
たくさんの不動産屋を回ってもなかなか予算と折り合いがつくような物件には見つからず、半ば諦めかけていた去年の11月、その変わった名前からずっと気にはなっていたものの、訪ねてはいなかったシェルター近くの小さな不動産屋に飛び込み、ある物件と運命的な出会いをしました。私達の物語がここから始まりました。(小林美穂子)