なぜ“津島”なのか】⑲ 三瓶春江さんと義父・陸さん
vol. 24 2023-05-29 0
【津島の“生き字引】
津島の開拓農家で育った三瓶春江さんは、24歳のとき、南津島の三瓶章陸さんと結婚した。義父、陸さんは役場職員だったが、津島の歴史に精通し、「津島の生き字引」と呼ばれるほど、津島・郷土歴史研究の第一人者として広く知られていた。「津島のことで分からないことがあったら、陸さんに聞いて来い」と言われるほど、頼りにされた。大学の先生や学生たちも陸さんに教えを乞うた。
歴史書や古書から調べたことを夜なべしてガリ版で刷って津島の資料を作り、尋ねてくる人ごとに配った。嫁の春江さんは「これほど津島のことを愛している人が他にいるだろうか」と畏敬の念を抱いた。
2015年に「津島原発訴訟団」が結成されると、春江さんは役員の一人となった。陸さんはそんな嫁に「20歳ほど若ければ、俺がやりたかった。悔しい。だから春江、俺の分までがんばれ!」と春江さんの背中を押した。
【俺の分までがんばれ】
福島地裁の郡山支部での裁判公判に出かける時は、春江さんは必ず自宅で病床に伏せる陸さんに「今日は裁判に行ってくるから、気をつけて待っていてね」と声をかけた。帰ると、「今日はこんな人がこんな意見陳述したんだ。とてもよかったよ」と義父に報告する。すると陸さんは「春江、頑張ってくれよな」と励ます。「こんな言葉に、『自分は義父さんの分までがんばらなきゃ』と思えたんです」と春江さんは振り返る。
2018年9月、陸さんの病状が急変し入院、もう危ないと医者から宣告された。ちょうど津島原発訴訟の原告団と弁護団の現地調査リハーサルの日だった。出かけている最中に、亡くなってしまうかもしれない。「それでも、義父は『行って来い!俺の死に目に会わなくても、俺はいい。津島のためになるんだったら行って来い!』と背中を押すような人だと確信していたから、リハーサルに行くことに躊躇しなかった」
幸い、陸さんは持ちこたえた。それから2日後、リハーサルが終わり春江さんが戻ってくるのを待っていたからのように静かに息を引き取った。享年85だった