【なぜ“津島”なのか】⑦学校での差別といじめ
vol. 14 2023-04-11 0
須藤カノさんは、離婚した長男の4人の幼い息子たちを母親代わりに育てた。避難した当時、長男、隼人君は小学2年生、次男、玲君は小学1年生、末っ子はまだ2歳だった。
しかし避難先の学校に転校した隼人君と玲君は、差別にさらされる。玲君は、「高濃度の放射能に汚染された地域の子」として他の生徒たちから「玲菌(れいきん)」と呼ばれ、「うつるから寄るな!」と言われた。隼人君は、「どうせ汚れているから」と体操着をぞうきん代わりにさせられた。さらに隼人君が衝撃を受けたのは、教師たちによる「汚染地区から避難した子どもたち」に対するあからさまに差別と排除だった。当時を振り返る18歳になった隼人君は、「先生から人間と見られていなかった」「普通、憎む人を『殺したい』と思うけど、僕はあの教師たちを、『存在ごと消し去りたい存在』です」と表現した。差別の後遺症は10以上経った今でも残っている。「どこの出身?」と聞かれても、今も「浪江町津島の出身」と答えられない。